祈祷会「ウェストミンスター小教理問答」の学び31 2020/04/01

「また、あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理と義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした。」

エペソ4章23?24節

(1)聖化の恵み
 私たちに与えられる救いの恵みについて、第33問の「義認」、第34問の「子とすること」に続いて、今日の第35問は私たちが聖なる者とされること、すなわち「聖化」について教えます。「第35問:聖化とは何ですか。答:聖化とは、神の無償の恵みの御業であり、それによってわたしたちは、神のかたちにしたがってその人全体が新たにされ、ますます罪に対して死に、義に対して生きることができるようにされます」。
 聖化の教えは、主イエス・キリストの贖いによって義と認められ、神の子どもとされた私たちが、聖霊の恵みによってその立場と身分にふさわしい者へときよめられ、整えられていくという教えです。ですからこれは救われた私たちの日々の生活における具体的な変化と更新に関わるという点でとても身近な事柄であり、主イエスを信じた私たちの日々の歩み、信仰にあって生きる生活そのものを扱う教えであるといえるでしょう。
 ここでまず確認しておきたいのは、聖化も義認や子とすることと同じく「神の無償の恵みの御業」であるということです。私たちが聖なる者とされていくのは、私たちの努力、功績、精進によるものでなく、神の恵みの賜物です。しかしそれが私たちの生き方そのものであるとき、私たちがどう生きるかが問われるのもまた事実です。したがって義認が主なる神に対する「立場」に関わり、子とすることがそれに伴う「身分」に関わることであるのに次いで、聖化はそれによって生じる私たちの「状態」に関わっていることがポイントとなるのです。

(2)神のかたちのトータルな回復としての聖化
 さらに第35問は聖化について「神のかたちにしたがってその人全体が新たにされ」ると教えます。これは聖化の御業が私たちの心と体と魂を含む存在の全体に及ぶ、トータルな御業であることを意味しています。私たちはとかく信仰の事柄を心の内面のことに限定してしまいがちですが、聖書は信仰を私たちの存在の全体、生の全体に及ぶものとして捉えているのです。
 また私たちの聖化は、「神のかたちにしたがって新たにされる」ものです。創造の最初の人間は、本来「神の栄光をたたえ、永遠に神を喜ぶ」(第1問)ことを目的として、神によって「知識と義と聖において御自身のかたちにしたがい」(第10問)創造されました。ところが最初の先祖たちは「神に対して罪を犯すことによって、創造された状態から堕落し」(第13問)、その結果「罪と悲惨の状態」(第17問)に至らせられ、「アダムの最初の罪の罪責と、原義を失っていること、一般に原罪と呼ばれている全本性の腐敗と、原罪から生じるすべての現実の違反」(第18問)のもとにあり、「堕落によって神との交わりを失い、神の怒りと呪いの下」(第19問)に置かれた今日に至ってしまいました。
 しかし今や恵みのゆえに主イエス・キリストによって救われ、義と認められ、神の子とされた私たちは、本来の「神のかたちにしたがってその人全体が新たに」されることができるというのです。このように聖化とは私が私でない何ものかになっていくのではなく、神の約束、キリストの贖い、聖霊の恵みの中で、本来のあるべき姿に取り戻され、回復させられることを意味しているのです。冒頭のエペソ書4章23節、24節に「あなたがたが霊と心において新しくされ続け、真理と義と聖をもって、神にかたどり造られた新しい人を着ることでした」とある通りです。

(3)聖化の継続性・漸進性
 最後に聖化の継続性・漸進性ということについても考えておきたいと思います。義認、子とされることが一回的で決定的な恵みの御業であるのに対して、聖化は継続的・漸進的な御業であることを、小教理問答も「ますます罪に対して死に、義に対して生きることができるようにされる」と表現しています。
 確かに私たちは救われた時に立場としては完全に義なる者、子なる者、聖なる者とされました。しかしその状態においては聖霊に導かれて歩む日々の積み重ねを通して、その生涯の全体を通して、義に生きるものとして育て上げられていくのです。その途中にはさまざまな紆余曲折がありますし、信仰の停滞もあるでしょう。けれども聖霊は私たちの内にあって確実に、昨日よりも今日、今日よりも明日へと私たちを新しく造り変え続けてくださるのです。このことをハイデルベルク信仰問答第70問でも確かめておきたいと思います。「問:キリストの血と霊とによって洗われるとは、どういうことですか。答:それは、十字架上での犠牲において私たちのために流されたキリストの血のゆえに、恵みによって、神から罪の赦しを得る、ということです。さらに、聖霊によって新しくされ、キリストの一部分として聖別される、ということでもあります。それは、私たちが次第次第に罪に死に、いっそう敬虔で潔白な生涯を歩むためなのです」。
 さらにウェストミンスター信仰告白の聖化論を扱う第13章2節、3節でもこのように言われています。「この聖化は全人に行き渡るけれども、この世にある間は未完成である。どの部分もなお腐敗の残部が残っている。そこから、絶え間ない和解できぬ戦いが生じ、肉の欲が御霊に反し、御霊も肉に反するのである。この戦いにおいて、残っている腐敗が、一時、大いに優勢になることもあるが、それでもキリストの聖化の御霊からくる継続的な力の補給によって、再生の側が勝利を得る。それで聖徒たちは、恵みに成長し、神をおそれて聖潔を完成していく」。このように聖化の道筋は、私たちの存在全体に及ぶ御業であり、また私たちの生涯全体に及ぶ御業でもあります。だからこそ、私たちは日々、聖霊の恵みにより頼みつつ、礼拝の生活、御言葉と祈りの生活を通して、聖化の途を歩み続けることが必要なのです。

 

 



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