祈祷会「ウェストミンスター小教理問答」の学び24  2020/01/22

「したがって、神に関わる事柄について、あわれみ深い、忠実な大祭司となるために、イエスはすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それで民の罪の宥めがなされたのです。」
ヘブル2章17節

(1)贖い主キリストの祭司職
 しばらく間が空きましたが、引き続き贖い主キリストが果たされる「預言者、祭司、王」としての三重の職務について学びます。前回学んだ第24問で、私たちの贖い主イエス・キリストは御自身の御言葉と御霊によって「預言者」の務めを果たされることを学びました。続いて今回はキリストの「祭司」としての職務について学ぶことにします。第25問を読みます。「問:キリストは、祭司の職務をどのように遂行されますか。答:キリストは、神の義を満足させてわたしたちを神と和解させるために、御自身をいけにえとしてただ一度献げたことと、わたしたちのために絶えず執り成しをされることによって、祭司の職務を遂行されます」。
 旧約聖書における一般的な祭司の務めとは、民の代表として律法に定められた礼拝祭儀をつかさどり、そこにおいて民の罪のための執り成しの儀式や犠牲の奉献によって、主なる神の怒りを宥め、神に民の罪の赦しを求め、神と人との間の和解のために執り成しをすることでした。そこでは祭司たちがくり返しこれらの儀式を執り行うことで、民は罪の赦しを受けて生活を続けることができたのです。しかし今や、神の御子イエス・キリストが全き祭司として、神の義の要求を満たし、神との和解のためのとりなしの御業を果たしてくださったこと、また今も果たし続けていてくださることを、今日の第25問は明らかにしています。そこでの大事なポイントは「ただ一度」ということと「絶えず」ということです。

(2)ただ一度の完全ないけにえとして
 贖い主イエス・キリストは単に旧約の祭司職に並ぶお方ではありません。むしろイエス・キリストが全き祭司であることの類いまれなるお姿は、「御自身をいけにえとしてただ一度献げたこと」に表されています。このことを、第25問の引証聖句でもあるヘブル書の御言葉で確かめておきたいと思います。まずヘブル9章11節から14節。「しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。雄やぎと雄牛の血や、若い雄牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものとするのなら、まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか」。
 この御言葉は、旧約のレビ記4章3節以下に定められた罪の贖いのための犠牲についての規定と、民数記19章2節から10節に記された汚れからの浄めについての規定が下敷きになっています。旧約の祭司はいけにえの動物を犠牲として捧げることによって罪の贖いと浄めを願い求めるのに対して、全き祭司なる主イエス・キリストは「御自身をただ一度献げた」こと、すなわち罪なき完全ないけにえの犠牲となって十字架についてくださったことにより、永遠の贖いを成し遂げてくださったことを明らかにしています。
 さらにヘブル10章10節から14節にはこうあります。「このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができませんが、キリストは、罪のために、一つのいけにえを献げた後、永遠に神の右の座に着き、あとは、敵がご自分の足台とされるのを待っておられます。なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです」。このように、旧約においては罪のための贖いととりなしは犠牲の奉献がくりかえし行われることによって遂行されたのですが、今や主イエス・キリストがただ一度きりの完全な犠牲となってくださったことにより、今や私たちの罪に対する完全な解決が成し遂げられているのです。まさにキリストは、私たちの罪の赦しを得させるためにほふられた神の小羊なのです。

(3)絶えず執り成し続けてくださる主
 祭司なるイエス・キリストは、犠牲としてささげられただけではありません。主イエスは十字架の後、三日目に死人の中から甦り、天に昇り、今や全能の父なる神の右の座に着かれておられます。そしてこの御座において「私たちのために絶えず執り成しをされる」というのです。ヘブル7章24節、25節。「イエスは永遠に存在されるので、変わることがない祭司職を持っておられます。したがってイエスは、いつまでも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになります」。  
 このようにキリストは今も変わることのない祭司の務めを果たしつつ、私たちのために絶えず、今も執り成し続けていてくださるお方です。それゆえに私たちは救いにあずかり、罪の赦しを与えられてなお、日々罪との戦いの中にあり、傷つき、敗北を繰り返す弱い存在でありなが、それでもなお私たちのため絶えず執り成し続けていてくださる主イエス・キリストのゆえに、恐れつつも大胆に主の御前に進み出ることが許されているのです。この恵みの事実をヘブル4章14節から16節によって深く確信させていただきましょう。
 「さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」。

 

 



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