祈祷会「ウェストミンスター小教理問答」の学び(4)  2019/05/15

「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」

二テモテ3章16節

(1)私たちを教え導く規範
 人生の主要な目的が「神の栄光をたたえ、永遠に神を喜ぶこと」と教えた第1問に続き、そのような人生の主要な目的に至るための道筋を、第2問が次のように教えています。「問:どうしたら神の栄光をたたえ、永遠に神を喜ぶことができるかについて、神は、私たちを教え導くために、どのような規範を与えられましたか。答:旧新約聖書に含まれている神の言葉は、どうしたら神の栄光をたたえ、永遠に神を喜ぶことができるかについて、私たちを教え導く唯一の規範です」。
 ここで教えられているのは、聖書が私たちの人生を教え導く「唯一の規範である」ということです。ウェストミンスター大教理問答の第3問では「信仰と従順の唯一の規範」とも言われています。ここで「規範」と訳されるのは「ルール」(rule)です。「規範」とは、一つの目安としての「指針」(ガイド)でなく、客観的な「基準」(スタンダード)でなく、私たちに権威をもって臨み、私たちを拘束し、実際に私たちの生き方を形づくるものと言えるでしょう。以前に学んだ同盟教団信仰告白の第1項の「旧新約聖書66巻は・・・信仰と生活の唯一絶対の規範である」も、このウェストミンスター大小教理問答の線に立っています。
 そこであらためて第2問が教えていることを整理してみましょう。ここで教えられていることは、まず私たちが神の栄光をたたえ、永遠に神を喜んで生きるためには、「規範」が必要だということです。私たちの思いのままの生き方では、決して神の御心に適うことができません。次に、この規範は私たち自身の中にすでにあるものではなく、神が示してくださるものによって教え導かれなければならないということです。そこで神が示してくださる規範、それが「旧新約聖書に含まれている神の言葉」だというのです。「規範」という言葉は強い表現です。今の時代にはあまり好まれない言葉です。しかも「唯一の規範」とさえ言われます。「それぞれが自分の目に良いと見えることを行う」(士師17:6)ような価値観の多様化した時代にあっては、教会においてさえも「唯一の規範」というものは遠ざけられてしまいかねないものです。しかしこの規範は私たちを狭い世界の中に閉じ込め、縛り付けるためのものではなく、「罪から解かれて自由となり」(教会福音讃美歌243番)、神の栄光をたたえ、永遠に神を喜んで生きるために、私たちを具体的に生かすための規範であることを忘れてはならないでしょう。

(2)旧新約聖書に含まれる神の言葉
 ウェストミンスター小教理問答はこの「唯一の規範」を「旧新約聖書に含まれている神の言葉」と言っています。この「含まれている」という表現については、次の説明が有益です。「(この)表現は、神の言葉の所在を限定する表現であって、決して、聖書の中に神の言葉でないものが含まれているというような、近代主義神学の主張するような意味ではない」(春名純人『「ウェストミンスター小教理問答」講義 上巻』聖恵授産所出版部、2009年、19頁)、「この表現は聖書自体にあり、慣用句として全キリスト教会で広く使われてきました。意味は『収められている』です。『含まれている』という受身の表現は、『神は神の言葉を聖書に収めておられる』という、神のはたらきの言い換えです」(水垣、袴田『ウェストミンスター小教理問答講解』13頁)。こうして第2問が「旧新約聖書に含まれている神の言葉」という時、そこでは、聖書以外には神の言葉は含まれていないという「聖書の独占性」が主張されています。もちろん神はいかなる方法を用いてもご自身を明らかにすることがおできになり、事実、神が創造し、今も治めておられる世界が神の栄光をあらわしています(詩篇8、19等参照)。しかし私たちが知るべき神のお姿、その御心、その御業を知るのは、神が与えてくださった聖書のみである。これが私たちの信仰の基礎を作っている確信です。
 
(3)聖書と聖霊のお働き
 最後に確認しておきたいのは、聖書とともに働いてくださる聖霊のお働きについてです。ウェストミンスター大教理問答の第4問で次のように教えています。「問:聖書が神の言葉であるということは、どのようにして明らかになりますか。答:聖書はその威厳と純粋さにより、すべての部分の一致と、すべての栄光を神に帰そうとする全体の目標により、罪人に罪を悟らせて回心させ、信者を励まし造り上げて救いに至らせる、それがもつ光と力によって、自らが神の言葉であることを証ししています。しかし、聖書により、聖書とともに、人間の心の内で証しする神の霊のみが、聖書が神の言葉そのものであることを、完全に納得させることがおできになります」。
 このように、聖書が神の言葉であることの証しは、第一に聖書自身が証しする神の言葉としての威厳と純粋さ、第二に聖書のすべての部分の一致とその目標、第三に人を救いに至らせることのできる光と力、そして何よりも「人間の心の内で証しする神の霊のみ」の働きによるというのです。ですから私たちは日毎に聖書を開く時も、主日の礼拝において御言葉の朗読と説き明かしを聞く時も、いつでもまず聖霊の神の導きを求め、聖霊の照明を求めて祈るのです。
 祈りの心をもって聖書を読む時、御言葉を開く時、そこで神は私たちに語りかけ、ご自身の御心を明らかに示し、そのようにして私たちがこの生涯において神の栄光をたたえ、神を永遠に喜ぶ道を歩み続けさせてくださるのです。

 

 



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