祈祷会「ウェストミンスター小教理問答」の学び(3)    2019/05/08

「あなたは、私を諭して導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいます。」

詩篇73章24節

(1)永遠に神を喜ぶ
 ウェストミンスター小教理問答の第1問は、人の主要な目的、最高の、究極の目的を「神の栄光をたたえ、永遠に神を喜ぶこと」と教えています。「神を喜ぶ」とは実に新鮮な言葉です。「神の栄光をあらわす」、「神をたたえる」という表現は聖書の中に数多くありますが、「神を喜ぶ」という表現そのものは確かに聖書には出て来ません。しかしここにウェストミンスター小教理問答の大事なメッセージがあるとも言える、特別な表現です。
 私たちはしばしば「神の栄光をたたえる」、「神の栄光をあらわす」ということを真剣に願います。そしてその延長上で、いかにして神をお喜ばせできるかと考え、そのためにがんばらなければならないと力が入ります。しかし第1問は「神は喜ばせること」ではなく、「神を喜ぶこと」を教えます。この「神を喜ぶ」ということをきちんと受け取ることが、私たちの信仰の歩みにおいてきわめて重要なことなのです。
 また「永遠に神を喜ぶ」と言われている点も重要です。私たちが神を喜ぶことは、地上の生涯においてのみならず、永遠のいのちにまで繋がっているのです。このことを小教理問答は後の第38問で次のように言い表しています。「第38問:信者は、復活の時、キリストからどんな祝福を受けますか。答:信者は復活の時、栄光あるものによみがえらせられて、審判の日に、公に受け入れられ、無罪と宣告され、永遠に、全く神を喜ぶことにおいて完全に祝福された状態にされます」。あわせてハイデルベルク信仰問答の第58問も読んでおきましょう。「第58問:『永遠のいのち』という箇条は、あなたにどのような慰めを与えますか。答:わたしが今、永遠の喜びの始まりを心に感じているように、この生涯の後には、目が見もせず耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったような完全な祝福を受け、神を永遠にほめたたえるようになる、ということです」。このように主イエス・キリストによって救われ、神に造られた本来の人間の目的に取り戻された私たちにとっては、この地上で生きる日常の営みと永遠のいのちへの祝福とが、「神を喜ぶ」という一つの同じ目的によってしっかりと結び合わされているのです。

(2)神を喜び、世界を喜ぶ
 さらに、神を喜ぶことは、世界を喜ぶことに繋がっています。旧約聖書の箴言8章30節、31節を読みます。「わたしは神の傍らで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しんでいた。主の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ」。ここでの「わたし」は世界の創造の時に御父の傍らにあった御子イエス・キリストを指していると考えられています。御子が御父の造られた世界を喜び、楽しんでいる姿、そこに私たちは、私たちが世界を喜ぶことのできる根拠を見出すのです。そもそも創世記1章が記す創造の出来事において、父なる神はご自身の造られた世界を「良しと見られた」(創世記1:4, 10, 12, 18, 21, 25)のであり、その集大成として31節で「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常によかった」と記されています。
 確かにその後、この世界は堕落によって罪の支配のもとにありますが、この世界の持つ「良き創造」としての構造は変わってはいません。「神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません」(Iテモテ4:4)と言われるとおりです。しかしそれが本来の姿に回復されるためには、世界の救いが必要です。そして罪の中にあって真の喜びを喪失してしまった私たちもまた、「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神」(同6:17)にあってこの世界を喜び、楽しむことをもって神を喜び、神の栄光をたたえる「新しい人」として回復されることが必要なのです。ハイデルベルク信仰問答の第90問が次にように教えるとおりです。「第90問:新しい人の復活とはなんですか。キリストによって心から神を喜び、また神の御旨に従ったあらゆる善い行いに心から打ち込んで生きる、ということです」。

(3)神の喜びのこだま
 「神を喜ぶ」は原文では「enjoy God」という表現です。「enjoy」という言葉には、本来「受け取る、享受する」という意味があったと言われます。神ご自身が私たちを受け入れてくださり、私たちもこの神ご自身を受け取り、神のすべての恵みと祝福を享受する。そこに神を喜ぶ姿が表されているというのです。第1問はこの問答の引証聖句として詩篇73篇24節から28節を挙げています。中でも冒頭に読んだ24節が重要です。「あなたは、私を諭して導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいます」。神が私たちを受け入れてくださり、神が私たちを喜んでいてくださる。ここに私たちが永遠に神を喜ぶことの源泉があるのです。
 先日の礼拝でも紹介した『雪の下カテキズム』の第14問に次のように記されています。「第14問:神の喜びはなぜそれほどまでに大きいのでしょう。答:私どもが計り知ることのできない神の秘密がここにあります。明らかに、神が私どもをそれほどまでに愛していてくださるのであります。神の喜びは愛の成就の喜びです。私が知る主の福音に生きる喜びは、この神の喜びの反映、こだまのようなものであります。私どもを求め、愛してやまない御子、主イエス・キリストは、その死と復活によって、まさに、そのいのちをもって私どもを真実の平安と望みに生きる者としてくださいました。私の誇り、喜びもまた、今はこの神の愛に生かされることに尽きるのです」。
 私たちが永遠に神を喜ぶこと。それは神が私たちを御子イエス・キリストを賜るほどの愛をもって愛し、その愛をもって私たちを尊び、喜んでいてくださることへの応答、「こだま」である。この喜びの事実をしっかりと受けとめ、私たちの存在を愛し、喜んでくださる神を、私たちもまた、存在によって愛し、喜びながら、神をたたえて生きる賛美の人生、神を喜んで生きる礼拝の人生を歩ませていただきましょう。

 

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.