祈祷会「ウェストミンスター小教理問答」の学び(2)  2019/04/10

「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」 

ローマ11章36節
                                   
(1)人間の究極の目的
 本日からいよいよ「ウェストミンスター小教理問答」の内容に入っていきます。まず第1問を読みましょう。「問:人間の主要な目的は何ですか。答:人間の主要な目的は、神の栄光をたたえ、永遠に神を喜ぶことです」。ハイデルベルク信仰問答の第1問、「生きるにも、死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」と並んで、この最初の問いかけは決定的です。「ただ一つの慰め」、「人間の主要な目的」。いずれも私たちにとって究極のことを問いかけています。「主要な目的」について、他の日本語訳は「おもな目的」、「第一の目的」などと訳していますが、その意味は「それ以上考えられないという『最高の』『最重要の』という意味です」(水垣亘・袴田康裕『ウェストミンスター小教理問答講解』一麦出版社、2012年)と説明されます。
 確かに、小教理問答の教師向けの指導要領のような性格を持つ「ウェストミンスター大教理問答」では、第1問で「人のおもな、最高の目的は何ですか」となっています。またウェストミンスター小教理問答の源泉の一つである、1542年にカルヴァンが著した「ジュネーヴ教会信仰問答」の第1問は「人生の特に目指す目的は何ですか」となっています。人にとっての最高の問い、最重要の問い、最優先の問い。それなしに生きることの方向付けの生まれない、そしえ人生の支えを得ることのない究極のこと、それなしには私たちの人生が無に帰せられてしまうほどの、しかしひとたびそれを見出すならば、私たちの人生が決定的な意味を持つほどの究極のことが問われているのです。
 私たちにとって存在の意味への問いは、究極の問いです。「人は何のために生きるのか。私の生きる目的は何か」。これは私たちが人生において一度は必ず向き合わなければならない問いです。そういう大上段に構えた問い方をしないまでも、私たちは日々を生きる中で、なぜ生きるのか、なぜ学ぶのか、なぜ働くのか、その意味を繰り返し問い続けながら生きています。意味のないことのために生きることほど苦痛なことはありません。自分のしていることに何の意味も与えられず、それを見出せないならば、私たちはたちまち生きる気力を失って絶望の淵に立つことになるでしょう。それは人が意味を問う存在であるからです。

(2)私の人生を問う
 その一方で、それほど重要で、究極の問いでありながら、その問いに対してはっきりとした答えを出すことができない。きっぱりと言い切ることができない。そんなもどかしさの中にあるというのが私たちの現実の姿なのではないでしょうか。こういう問いは若い時の青臭い問いだという人があります。しかし本当にそうでしょうか。むしろ人はどれだけ齢を重ねても、この問いかけを心のどこかで抱き続けているのではないでしょうか。しかしその答えが出せないことにどこかで気づき始めると、その問いと真正面から向き合うことを避けて、当面の目標設定で、すなわちいい学校に入り、いい就職をし、いい家庭を築き、いい社会的地位を得て、いい暮らしをし、いい老年を迎え、あまり周りに迷惑もかけずに最後を迎えられればよい、というような当面の目標設定でやり過ごし、究極の問いを先送りしてしまうのです。しかしやがて老年を迎えると、自分の存在の意味への問いは切実になります。何かができる自分、何かが示せる自分、何かを成し遂げる自分を人生の意味付けに設定しているならば、やがてそれらのものが取り去られ、一人の裸の存在になっていくときに、自分自身の存在の意味や価値、尊厳を見出すことができず、深い絶望の中に置かれてしまうということがあるのです。
 そこでウェストミンスター小教理問答は、人生の目的を問うという究極の問いを私たちに向けて発します。問いを発するということはそこに答えがあることを意味します。その答えをしっかりと受け取っていきたいと願うのです。
 
(3)神の栄光をたたえ、永遠に神を喜ぶ
 ウェストミンスター小教理問答第1問は、人間の主要な目的を「神の栄光をたたえ」、「永遠に神を喜ぶ」ことと言います。これは二つの別々な目的ではなく、一つに結び合わされた人間の究極の目的を意味しています。そこで最初にまず覚えたいのが、人間の目的が人間自身に対してでなく、神に向かっているという事実です。第1問に附されている引証聖句はIコリント10章31節、「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」と、ローマ11章36節、「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン」です。神の栄光を現す、神の栄光をたたえる。神に栄光をお返しする。このベクトルをはっきりさせて生きるところに、私たち人間の主要な目的があるというのです。その際に覚えなければならないのは、神御自身が栄光に包まれたお方であり、すでに栄光に充ち満ちたお方であられるということ、そして神の栄光の御前では人間は恐れおののくほかないということです。にもかかわらず、主なる神はそのような私たちを通してご自身の栄光をあらわし、ご自身をほめたたえることをよしとしてくださいました。なぜならそれは創造のはじめに主なる神が私たち人間をつくられた時の究極の目的だったからです。ハイデルベルク信仰問答も第6問、創造された当初の人間の目的を次のように解説しています。「人が自らの造り主なる神を正しく知り、心から愛し、永遠の幸いのうちを神とともに生き、そうして神をほめ歌い、賛美するためでした」。
 罪の中にあった私たちは神の栄光をあらわすどころか、かえって神を無視し、その御名を汚し、自分の栄光や自分の欲望を追い求めて生きてきました。しかしそれらは真の人生の目的とはなりえないことを知らされ、主イエス・キリストを信じ、救われた時に、本当の人生の目的が何であるかを知ることができるようにされたのです。それは神が創造のはじめに与えられた目的に立ち返ることであり、本来の人間のあるべき姿を回復することを意味していました。もはや自分の栄光、自分の欲望、自分の自己実現が私の人生の目的ではなく、私を生かし、私を愛し、私を救ってくださった神の栄光をたたえて生きること、しかもそれが「食べるにも、飲むにも、何をするにも」とあるように、生活の隅々にまで及び、また日常のもっとも現実的で具体的な場において目指されていくことが大切なのです。私たちが日々を生きる家庭で、職場で、地域で、人々との関わりの中で、そしてこの国で、私たちはその生活のただ中において神の栄光をたたえて生きる。光の源なるキリストの輝きによって照らされ、その輝きを反射させながら、「世の光」として生きる。そのように神をたたえる歩みを果たさせていただきたいと願います。

 

 



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