祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解66

「これらのことをあかしする方がこう言われる。『しかり。わたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。」(ヨハネ黙示録22:20-21)

(1)神の栄光を求める祈り
今日でいよいよ小教理問答を読み終えることとなりました。最後の第107問、主の祈りの結びの頌栄を取り上げます。第107問を読みましょう。「問:主の祈りの結びは、私たちに何を教えていますか。答:(『国と力と栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン』という)主の祈りの結びが私たちに教えている事は、私たちが、祈祷における励ましを神だけから受けるということ、また祈祷において、神に国と力と栄光とを帰して神を賛美することです。また、自分の願いと聞かれる確信とを証言して、私たちは『アーメン』と言うのです」。
小教理問答は主の祈りの結びが教えていることは「祈祷において、神に国と力と栄光とを帰して神を賛美すること」であると言います。私たちの祈りが他の諸宗教の祈願と根本的に異なる一番のことが、この神への賛美にあるといえるのではないでしょうか。人々は多くの場合、人知れぬ神に向かって自分の願望を投げかけるのみですが、主イエスが教えてくださった祈りは、聞き届けてくださる神に向かって感謝し、賛美をささげることまでをも含みもっているのです。しかも旧約聖書にちりばめられた賛美の祈りを見ると、それが如何に大きく豊かな世界であるかがわかってきます。小教理問答が引証聖句として示す
I歴代誌29章10節から13節には次にようなダビデの賛美の祈りが記されています。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたはとこしえからとこしえまでほむべきかな。主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です。富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものの支配者であられ、御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。今、私たちの神、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます」。こうしてみると私たちが「祈り」という言葉でとらえているものが如何に狭められたものであり、実際に祈りの世界の広がり、豊かさはどれほどのものであるかを教えられるのではないでしょうか。私たちの願いも訴えも執り成しも悔い改めも、それらの祈りが一つの大きな方向付けを与えられ、神を私たちの全ての全てとする信仰へと私たちを方向付ける祈りが神への賛美の祈りなのです。

(2)神のあわれみと聞き届けに信頼する祈り
 また小教理問答は主の祈りの結びが教えるのは「私たちが、祈祷における励ましを神だけから受けるということ」であると言います。ここで印象深いのは、小教理問答がこの教えを支える御言葉としてダニエル書9章を指示している点です。ダニエル書9章は、バビロン捕囚の子孫であったダニエルが、メディヤの王ダリヨスを通してエルサレムの荒廃の時代がやがて過ぎ去ることを知らされたとき、神の御前に先祖たちの罪を悔い改め、エルサレム再建への願いを、神のあわれみを求めつつ祈る感動的な祈りの場面です。小教理問答はこのダニエルの祈りの中に、祈りにおける神の励ましを見るのです。それは不信と背信のイスラエルに対する契約を忘れずにあわれみを施してくださる神が、ご自身の真実のゆえに祈りを聞き届けてくださるという確信に支えられた祈りなのです。
 ダニエルは9章4節で「ああ、私の主、大いなる恐るべき神、あなたを愛し、あなたの命令を守る者には、契約を守り、恵みを下さる方」と呼びかけ、7節から9節で悔い改めて祈ります。「主よ。正義はあなたのものですが、不面目は私たちのもので、今日あるとおり、ユダの人々、エルサレムの住民のもの、また、あなたが追い散らされたあらゆる国々で、近く、あるいは遠くにいるすべてのイスラエル人のものです。これは、彼らがあなたに逆らった不信の罪のためです。主よ。不面目は、あなたに罪を犯した私たちと私たちの王たち、首長たち、および先祖たちのものです。あわれみと赦しとは、私たちの神、主のものです。これは私たちが神に背いたからです」。そして17節から19節で神の聞き届けを信頼して祈るのです。「私たちの神よ。今、あなたのしもべの祈りと願いとを聞き入れ、主ご自身のために、御顔の光を、あなたの荒れ果てた聖所に輝かせてください。私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行ってください。私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです」。

(3)祈りの確信としての「アーメン」
 最後に小教理問答は「アーメン」の意味を「自分の願いと聞かれる確信とを証言して、私たちは『アーメン』と言うのです」と説きます。私たちが祈る祈りは、祈る私たちの思いよりも遙かに確かに、この祈りを聞かれる生ける神によって確かに聞き届けられている。これを信じるゆえに私たちは「アーメン」と祈りを結ぶことができるのです。それは契約の神、私たちの祈りを聞き届けてくださる父なる神が、私たちに愛と恵みを注いでくださるという信頼と確信のゆえです。そしてその確信によって励まされながら、私たちはまた再び新しい思いをもって「天におられる私たちの父よ」と祈り始めることができるのです。
 この父なる神の大いなる愛と真実によって支えられていることによって、私たちは祈りつつも確信が持てず不安になる時にも、祈りながらも答えが出ずに行き詰まる時にも、祈ること自体がとぎれそうになる時にも、にもかかわらず、希望を持って祈り続けることができるのです。なぜならこの「アーメン」こそ、私たちのうちから出てくる言葉ではなく、主イエスが私たちに与えてくださった祈りの締めくくりであり、私たちに与えられた恵みの約束の言葉だからです。私たちは真実でなくとも、主はつねに真実なるお方であって、それゆえにすべてのものは確かである。それが祈りにおける「アーメン」の意味です。父なる神において全てが確かである。アーメンにはこのような確かな慰めの響きがあるのです。

 



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