祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解65

「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」(マタイ26:41)

(1)試練と誘惑からの守りを求める祈り
今日は主の祈りの第六の祈願を取り上げます。第106問を読みましょう。「問:第六のの祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。答:(『我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ』いう)第六の祈願で私たちが祈る事は、神が私たちを罪の誘惑から守ってくださるか、私たちが試みられる時に私たちを支えて助け出してくださるように、ということです」。主の祈りの第六の祈願は時に「試みからの守り」と「悪、あるいは悪しき者からの助け」を願う二つの祈りと数えられることもあります。しかし小教理問答はこの祈りを一つの祈りとし、しかも「罪の誘惑から守ってくださるか」、「試みられる時に支えて助け出してくださるように」と、その重点を「試みからの守り」に置いているように思われます。そもそも第六の祈願で「試み」と訳される言葉は、新約聖書では主に二通りの意味を持っています。一つは「試み」、「試練」、いま一つは「誘惑」という意味です。日本語の語感でいうと、試練は「相手の実力や信仰の程度を厳しく試すこと」と肯定的なニュアンスであるのに対して、誘惑は「人の心を迷わせて、悪いことに誘い込むこと」として否定的な意味合いを持っており、新約聖書の言葉にも肯定、否定の両方の意味が込められていて、それぞれをその文脈に沿って訳し分けているのです。
 そこで聖書において私たち人間に対してもたらされる「試練」、「誘惑」の意味するところを考えてみますと、次のように分類することができるでしょう。第一に「試練」とは「神が人を試みられる」ということです。主なる神は私たちを試練に会わせることによってご自身との交わりを固くするため、私たちに試練を与えられることがあるのです。Iコリント10章13節に「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます」とあり、またIペテロ1章7節に「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります」と記されている通りです。旧約聖書で信仰の父アブラハムが息子イサクを捧げよという命令を受け取ったことも、義人ヨブが大いなる苦難の中に投げ込まれたことも、それは神の人に対する試みなのでした。しかしその一方で第二の「誘惑」の場合は明らかに「サタンが人を惑わす」ということです。「悪」と訳される言葉は「悪い者から」とも訳せる言葉でその場合には明らかに「悪しき存在」であるサタンが念頭に置かれているでしょう。罪の誘惑の背後には悪しき者の存在があり、また悪しき者の働きは私たちに対して様々な悪の力となって及んで来るからです。

(2)地上の現実の中での祈り
 地上に生きる限り、私たちは罪の誘惑から免れて生きることはできませんし、試みを避けて通ることもできません。小教理問答はそのような地上の生涯を生き抜いていく信仰者の現実をしっかりと見据えているので「試みに会わせないでください」という祈りを誘惑と直面せず、それを避けて通らせてくださいという祈りとは理解せず、また最初からその戦いを放棄してあきらめてしまうことのないように「神が私たちを罪の誘惑から守ってくださるか、私たちが試みられる時に私たちを支えて助け出してくださるよう」という祈りとして教えているのです。これはいつの時代にも信仰者たちが願ってきた祈りでした。私たちはこの世の中で日々神なき世界の価値観の中で生きていくことにより多くの誘惑や試練に遭遇しますが、しかしそれは今の私たちに限ったことではないのです。古代の教父オリゲネスは言います。「私たちは、試みを受けることのないように祈るべきではなく、それによって捕らえられ、打ち負かされてしまうことがないように、試みによって取り囲まれることのないように祈らなければならない」。

(3)救いの完成を求める祈り
 さらにこの祈りは私たちが日ごとに直面する誘惑、試練からの助けとこれらに対する勝利を願う祈りにとどまらず、救いの完成を願うスケールの大きな祈りをも含んでいます。ウェストミンスター大教理問答の第195問ではこの第六の祈願を次のように解説しています。「神が世界とその中にある一切のものを支配し、肉を従わせ、サタンを抑圧し、万物を指図し、すべての恵みの手段を与えて祝福し、わたしたちを促してその使用に注意深くならせて下さり、その結果、わたしたちと神のすべての民が、神の摂理によって、罪に誘われることから守られるようになること、あるいはたとえ誘われても、みたまによって、試みの時に強く支えられて立つことができるようにされ、あるいは倒された時には、再び起こされてそこから立ち直り、それをきよく用い利用することができるようになること、わたしたちのきよめと救いが完成され、サタンがわたしたちが足の下に踏みにじられ、わたしたちが罪と試みとすべての悪から、永遠に全く解放されるようになることである」。
 このように第六の祈願は毎日の試練からの助けと誘惑からの守りを祈り続けていくことによって私たちが聖化の途上を進んで成熟を与えられ、そしてついには救いの完成を迎える時に、まったく聖なる者とされた私たちには罪に対する完全な勝利が与えられることを教えています。この究極的な勝利を求めながら、私たちは日ごとに繰り返し繰り返し、主の祈りに導かれて祈り続けるのです。

 



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