祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解60

「神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。」                                (詩篇67:3)

(1)神の御存在をあらわす「御名」
今日は主の祈りの第一の祈願を取り上げます。第101問を読みましょう。「問:第一の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。答:「(『ねがわくは、み名をあがめさせたまえ』という)第一の祈願で私たちが祈る事は、神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように、また、神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように、ということです」。
主の祈りの第一の願いは、私たちをして神の御名があがめられるように、神の御名が聖とされるようにという祈りです。私たちはこの祈りの前に立つときに、これを簡単に口にすることのできない畏れを伴う困惑を覚えざるを得ません。それは、生まれながらの罪人である私の口で祈る祈りによって、どうしたら神の御名を聖とすることができるのか。そんなことは到底できないことではないかという困惑です。しかし、私たちはそのような畏れをともなう困窮に気付くことがまず必要なことでしょう。それでこの同じ箇所について大教理問答の第190問はこう記しています。「第一の祈願においては、自分自身とすべての人々の中にある、正しく神を崇められない無能力と無気力とを認めつつ、次のことを祈るのである」。
 このように考えると、主の祈りの第一の祈願は、すでに学んだ十戒の第三戒、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」と深く関わる祈りであることに気付かされます。小教理問答は第54問でこの戒めを次のように教えていました。「問:第三戒では、何が求められていますか。答:第三戒が求めている事は、神の御名、称号、属性、規定、御言葉、御業を、きよく敬虔に用いることです」。ここでの「神の御名、称号、属性」ということは神御自身の御性質を表す言葉ですが、私たちが礼拝する御方について、これを私たち自身の都合の良いお姿に変えてしまうことで御名を濫用してはならず、「規定、御言葉、御業」すなわち礼拝における説教を聞く姿勢、賛美や聖礼典に与る姿勢、また献金や奉仕の姿勢において、これらを神が求められる方法に従ってきよく敬虔に用いることで、神の御名を聖とすることが許されるのだと教えられるのです。
 
(2)神を栄光をあらわす力を求める
小教理問答は第一の祈願について、「神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように、また、神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように、ということです」として、これを二つの祈りと説き明かしています。まず第一の「神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように」という祈りですが、ここで教えられていることを言い換えれば次のようになるでしょう。すなわち、神がご自分の御存在と御業をご自身の創造された世界を通し、そして何よりも御言葉によって啓示し、神の「存在、知恵、力、聖、義、善、真実」を示してくださり、とりわけ御子イエス・キリストによってご自身の愛をあらわしてくださることによって私たちの罪を赦してくださり、聖霊によってまことにこの方を神として信じ、仰ぎ、神ご自身を心から礼拝する者へと新しく造り変え、そのようにして罪人の私が救われることをもって神の栄光をあらわす者としてくださるように、ということです。つまりここにはこれまで順を追って学んできた父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊なる神の三位一体の神の御存在とその御業が示されており、その三位一体の神の御業の集大成である私たちをして、神の御名はあがめられ、聖なるものとされることができるのです。

(3)神の栄光のための御配剤
 これとあわせて、主の祈りの第一の祈願が「神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように」という祈りであるという教えにも注目したいと思います。ここでの「万事」とは、神を私たちの祈りの外で起こる事柄、あるいは人間の罪の結果によって引き起こされる様々な事柄を指しています。そのような神の御名を聖とすることに適わない事柄をも、神が御自身の栄光のためによく取り計らってくださり、万事を益としてくださるようにという祈りが教えられているのです。この点についても大教理問答の解説に聞いておきたいと思います。「神が無神論、無知、偶像礼拝、冒涜、および何事であれ神に不名誉な事柄をはばみ、取り除いてくださり、またその支配的摂理によって、万事を神御自身の栄光へと導き、処理してくださることである」。
 確かに自分自身を見つめても、また私たちの周りの世界を見渡してみても、そこにはただそのものによって神の栄光をあらわすことができるようなものを見出すことはできません。私たちの罪の影響はこの被造物世界全体に及び、世界もまた救いを求めて呻いているのです。しかしだからといって私たちはただただ悲観的になり、絶望して祈ることをやめてしまってはならないのです。いかに世界の暗闇が濃くなり、罪と悲惨が地に蔓延し、人間の罪の現実が目を覆いたくなるような姿を示したとしても、それでも私たちは神が諦めておられないこの世界に対して、先に諦めて祈りの手を下ろしてしまってはならないでしょう。そのような人間の罪と被造物の悲惨の中にあっても、しかし聖なる神が、その力強い御手によって、神御自身に不名誉な事柄をはばみ、取り除いてくださることを希望の中に待ち望み、そして何よりも、今も生きておられる神御自身が、その支配的摂理によって万事を御自身の栄光へと導いてくださることを信じ、忍耐強く、希望をもって、「あなたの御名が聖とされ、あなたの御名があがめられますように」と祈り続けていくものでありたいと願います。

 



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