祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解59

「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。」
                                  (ローマ8:15)

(1)祈りの基準としての「主の祈り」
恵みの手段の第三のものである「祈り」について学んでいます。前回は祈りの本質について学びましたが、そこでは祈りの大切な目標として「神の御意志との一致」ということが教えられていました。しかし実際にはどのようにして私たちが神の御意志と一致する祈りを捧げていくことができるのか。このような祈りは私たち自身の内からは決して生まれ出るものではありません。そこで小教理問答は私たちに、祈りのお手本、祈りの基準を示すのです。第99問を読みましょう。「問:神は、私たちに祈祷を教えるため、どんな基準を授けていてくださいますか。答:神の御言葉全体が、私たちに祈祷を教えるのに役立ちます。しかし、その特別な指導基準は、キリストが弟子たちに教えられた祈祷文、いわゆる主の祈りです」。ここでは私たちに与えられている祈りの基準が二つ示されます。一つは「神の御言葉全体」であり、今ひとつは「特別な指導基準」としての「主の祈り」です」
まず一つ目の「神の御言葉全体」が祈りの基準であるということは、もっとも本来的なことでしょう。創世記の族長たちの祈りから始まって、出エジプト時代のモーセとイスラエルの祈り、歴代の王たち、預言者たちの祈り、そして詩篇に代表される民たちの祈りなど旧約聖書の中には数多くの祈りの言葉が溢れています。また新約においても福音書、使徒の働き、書簡、そして黙示録を貫いて祈りの言葉が鏤められています。とりわけ、前回も学んだように、詩篇は150篇全体が祈りそのものであって、私たちは詩篇を通して神にささげられる祈りの多様さ、奥深さ、その世界の広がりを学び取ることができるのです。その上で、それらの中でも最も特別な祈りの基準は、やはり主イエスご自身が教えてくださった主の祈りです。今日の第99問の引証聖句では、マタイ福音書6章9節以下をルカ福音書11章2節以下と比較せよ、との指示がなされていますが、これら二つの福音書を見ると、この祈りが主イエスによって与えられた祈り、主イエスが教えられた祈りであることは明らかです。主イエスご自身が「このように祈れ」と教えてくださった祈りを通して、私たちは祈りを学んでいくことができるのです。

(2)父への祈り
 では実際に主の祈りにおいてどのように祈りが教えられているのかを見ていきましょう。第100問にはこう記されます。「問:主の祈りの序言は、私たちに何を教えていますか。答:(「天にまします我らの父よ」という)主の祈りの序言が私たちに教えている事は、私たちを助ける力と志をもっておられる神に、全くきよい崇敬と確信とをもって、父に対する子のように近づくこと、また、私たちが他の人々と共に、他の人々のために祈らなければならない、ということです」。ここでまずもっとも根本的なこととして教えられるのは、私たちの祈りは「天にまします我らの父よ」と呼びかけられているように、子どもの父に対する祈りであり、しかもそれは「私たちを助ける力と志をもっておられる神に、全くきよい崇敬と確信とをもって、父に対する子のように近づく」ということです。
 私たちが神を父と呼ぶのは、「そのような方であってほしい」という願望ではなく、「確かにそのようなお方である」という約束に基づくことです。確かに私たちが「アバ、父よ」とお呼びするお方は、「私たちを助ける力と志をもっておられる神」であり、そのお方の真実さと確かさにゆえに、私たちは「きよい崇敬と確信とをもって」、このお方に「父に対する子のように近づく」ことができるのです。「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(ヘブル4章16節)と記されている通りです。

(3)ともに祈る祈り
 さらに小教理は、「天にまします我らの父よ」との呼びかけが教える祈りの基準は、「私たちが他の人々と共に、他の人々のために祈らなければならない、ということです」と教えます。つまりここで小教理はこの祈りが「我らの祈り」であることに注目するのです。主イエスが与えてくださった祈りは、基本的に一人で祈る祈りではなく、主の弟子たちが共に祈る祈り、教会の祈りです。私たちは祈りにおいて「ともに」」ということを大切にし、またその祈りが「他の人々のため」の祈りであることを大切にしたいのです。主の祈りは私たちが心を合わせ、声を合わせて祈る祈りです。その祈りの中で、祈っている私は、時に人知れぬ孤独や悩み、試みの中にあったとしてもなお、「我らの祈り」の中に加えられていることに慰めと励ましをいただき、そしてそのようにして自らが重荷を担うものでありつつ、それでいてなお「他の人々のため」に祈る者とされている事実に気づかされるのです。
 私たちはかつては神に背を向けた自己中心な者であり、罪の奴隷として生ける屍のような存在でありました。しかし御子イエス・キリストの贖いにより、聖霊の恵みによって罪赦され、今は神を「アバ、父よ、我らの父よ」とお呼びすることのできる神の子どもとされました。そしてその証しとして、今まで自分一人で生きてきた私が、他の人々と共に祈る者へと変えられ、自分のことばかりを考えて生きてきた私が、自分のことだけでなく、他の人のために祈ることができる者とされているのです。この恵みを絶えず覚えながら、他の人々と共に、他の人々のために祈るとき、私たちは、私たちが神の子どもたちとされ、神の家族の交わりに入れられていることを深く感謝し、喜びながら、なお祈りの中で神に近づいていくことができるのです。この祈りの幸いを繰り返し味わいながら、恵みの手段として与えられている祈りの特権をよく用いていきたく願います。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.