祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解58

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」(Iヨハネ5:14)

(1)祈りの本質
 第88問以来教えられてきたキリストの贖いの祝福を伝える外的手段の、いよいよ第三のものである「祈り」が取り上げられることになります。今日の第98問では祈りとは何であるかが論じられ、続く第99問では私たちの祈りの基準は何であるかが論じられ、そして第100問から最後の第107問までで主の祈りが説き明かされて、小教理問答は締めくくられることになるのです。そこで今回は祈りの本質について教えられる第98問を取り上げます。「問:祈祷とは、何ですか。答:祈祷とは、神の御意志に一致する事のために、キリストの御名によって、私たちの罪の告白と神のあわれみへの感謝に満ちたお礼を添えて、神に私たちの願いをささげることです」。
 まずここでは祈りの本質が「キリストの御名によって」、「神に私たちの願いをささげること」と言われます。私たちの祈りの前提となるのは、かつては神に背を向けて、神から遠く離れ、神の名を呼ぶことを知らず、祈りを知らなかった私たちが、今や神の恵みにゆえキリストの贖いによって差し出された救いに、聖霊によってあずかることがゆるされ、今や義とされ、神の子とされ、聖霊による歩みを得させてくださっているという事実です。それゆえに私たちの祈りは、神の子どもたちによる父なる神への祈りであり、子どもが父親の愛と力に信頼し、親しく願うように、私たちの祈りも、子どもとしての父に対する願いなのです。しかもこの祈りは「キリストの御名による」祈りです。時には子どもは父親に願うことを恐れたり、率直に願い求めることを憚られるように感じることがあるかも知れません。私たちも信仰の歩みの中で、父なる神に素直に祈ることが難しく思うことがあるでしょう。しかし、私たちの祈りは、キリストの御名による祈りです。父なる神の御子イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架に死に、この御子イエス・キリストを信じて神の子とされた私たちに、神を「アバ、父よ」と親しく呼ぶ祈りの道を開いてくださいました。そればかりでなく、復活され、天に挙げられた御子イエスは、今、天の父なる神の右の座にあって私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちの祈りが確かに父なる神に聞き届けられているという確かさを保証してくださるのは、私たちがその御名によって祈る御子イエス・キリストご自身なのです。

(2)祈りの作法
 小教理問答は、祈りとは何であるかを述べながら、あわせてその祈りをささげるにあたっての祈りの作法についても教えています。それが「私たちの罪の告白と神のあわれみへの感謝に満ちたお礼を添えて」ということです。旧約聖書の詩篇は全篇祈りの書物というべきものですが、そこには様々な神への願い求めにあわせてたくさんの罪の告白と神への感謝の言葉が溢れています。私たちが父なる神に向かって祈る時、そこではまず罪の告白と悔い改めがなされ、神に祈る私たち自身がまず御前に整えられる必要があります。悔い改めなし神に願うことは、時に独りよがりな祈りに陥ってしまうでしょう。祈りにあたってまず神への罪の告白をもって私たちは御前に進み出るのです。
 さらに、神への願い求めには、神のあわれみへの感謝に満ちたお礼が添えられることが大切です。私たちは時に神に願うことばかりに思いが向かって、願いが聞き届けられた祈りについての感謝を置き去りにしてしまうことがあるのではないでしょうか。また祈りが私たちの願ったとおりの答えでなかったとしてもなお神に感謝をささげるということが必要なのではないかと思います。神に向かって祈る願い求めにおいて、罪の告白とあわれみへの感謝が絶えずともなうような豊かな祈りをささげてまいりたいと思います。

(3)祈りの目的
 最後に祈りの目的ということを考えておきたいと思います。先に私たちは祈りの本質が「神への願い」であることを学びました。そうであるなら、祈りの目的はその願いが聞き届けられることと考えますが、ここでは祈りの目的が「神の御意志との一致のため」と教えられています。ここにウェストミンスター小教理問答の祈祷論の大きな特色があると言えるでしょう。もしかすると私たちの祈りの理解を根本から覆すようなことであるかもしれません。私たちはしばしば、祈りを自分の願いのために神を動かすことのように考えがちです。実際、多くの宗教における祈願は、祈りを聞かれる人格的な神への信頼ということでなく、祈る人間の熱心や犠牲に重点が置かれます。しかし私たちにとっての祈りとはそれとは全く異なり、私の願いに神を引き寄せるのではなく、神の御意志に私たちの願いを一致させていくのです。
 私たちはこのような祈りのモデルを、あのゲッセマネにおける主イエス・キリストの祈りの姿に見ることができるでしょう。主イエスは十字架の受難を前にしてこう祈られました。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかしわたしの願うようにではなく、あなたのみこころのままのように、なさってください」(マタイ26:39)。このように御子イエス・キリストは父なる神のみこころにご自身の心を重ね合わせていかれました。私たちも父なる神に向かって切なる願い求めを祈るときに、その祈りが聞き届けられること、その祈りが応えられることとともに、そしてそれ以上に、祈りの中で、祈っている私自身が神の御許に近づけられ、祈りの中で神のみこころを教えられ、そうしてついには私の祈りが神の御意志と一致していくまでに、神との祈りの交わりを深めていきたいと思います。いつも申し上げることですが、父なる神に「御心を教えてください」と願う祈りには、示された御心に従う信仰を与えてください」という祈りが伴うことが大切です。与えられた恵みの手段としての祈りの特権をよく用いて、祈りにおける神の御意志との一致を目指して、私たちの日ごとの祈りを充実させていただきたいと思います。

 



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