祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解57

「ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで、飲み食いするならば、その飲み食いが自分をさばくことになります。」                          (Iコリント11:29)

(1)主の晩餐への備え
 今日取り上げる第97問は、主の晩餐を受けるにあたっての「ふさわしさ」を問うものです。私たちは洗礼を受ける際には、受洗準備会などの学びと備えの時を持ちますが、主の晩餐にあずかることについてどれほどの備えを自覚しているでしょうか。冒頭に開いたIコリント11章29節で、パウロは主の晩餐に臨むにあたって「自己吟味」と「わきまえ」の必要を説いています。小教理問答はこの御言葉の教えに沿って次のように説いているのです。「問:主の晩餐をふさわしく受けるには、何が求められていますか。答:主の晩餐にふさわしく参加したい人には、次の事が求められています。すなわち、主の御体をわきまえる自分の知識・キリストを糧とする自分の信仰・自分の悔い改めと愛と新しい服従について、自己吟味することです。それは、ふさわしくないままで来て、その飲み食いによって自分にさばきを招くといけないからです」。
 ここでは主の晩餐にあずかるにあたって準備として「主の御体をわきまえる自分の知識・キリストを糧とする自分の信仰・自分の悔い改めと愛と新しい服従」についての「自己吟味」が求められます。すなわち、まずは主の晩餐が指し示しているキリストの贖いの御業の事実とそこに込められた意味についてよく知るということと、次に教えられたキリストの贖いの恵みを自分自身のこととして感謝し、信仰をもって受け取るということ、さらにはこのキリストの恵みの前にあって悔い改めと愛と新しい服従をもって従っていくということ、これらを主の食卓に集う度ごとに思い起こし、自己吟味することが求められているのです。教会では毎月第一主日に主の晩餐の礼典を執行するにあたって、前週の週報に必ず予告をし、これにあずかるために祈り備えるよう勧めがなされます。それは単なる予告ということでなく、自己吟味と祈りの準備なしに主の食卓にあずかることを避けるための必要な促しなのです。

(2)「ふさわしさ」への問い
 そもそも主の晩餐にあずかるにあたっての「ふさわしさ」とはどのようなものであり、またそれはどのように測られるものなのでしょうか。最も基本的なこととして、「ふさわしさ」とはキリスト・イエスに対する信仰を持っているということです。信仰がなければ主の食卓は「みからだをわきまえない飲み食い」となってしまいます。それで私たちは知識と信仰と悔い改め・愛・服従をもって主の御前に自らの信仰を繰り返し吟味して、新しい服従の心をもって主の食卓に近づいていくのです。
 しかし、すべてが自己吟味に委ねられるとすれば、そもそも主の晩餐にあずかるふさわしさを私たちはどのように見出すことができるだろうかと思います。しかしその一方で主の晩餐の席に臨みながら、自分自身はふさわしくないと思って恵みの礼典である陪餐を回避するなどということが許されることかという問いも生まれてきます。この点について大教理問答が語るところに聞いておきたいと思います。大教理問答の第172問に次のように記されます。「問:自分がキリストにあること、あるいは自分のなすべき準備について疑っている者が、主の晩餐に臨んでもよいか。答:自分がキリストにあること、あるいは主の晩餐の礼典に対して自分のなすべき準備について疑っている者は、自分ではまだその確信が与えられていなくても、キリストへの真の関心を持っているのかも知れないし、またもし関心の不足を悟って正しく悩み、キリストにあるのを認められて不義を離れたい、と偽りなく望んでいるなら、神の御前にはそれを持っているのである。その場合(弱く疑い深いキリスト者たちの救いのためにも、約束がなされ、この礼典が命じられているのであるから)、彼は自分の不信仰を嘆いて、疑いを解くよう努力すべきであって、そうするなら、彼はさらに力づけられるために主の晩餐に臨んでよいし、臨まなければならない」。

(3)恵みの招きの食卓
このように、私たちには主の晩餐にあずかる自己吟味が求められる一方で、しかしその自己吟味は神の恵みの約束と、この恵みへの招きを超えるものではありえないということです。つまり私たちは自らの自己吟味の中でキリストへの新しい悔い改めと愛と服従の心をもって主の晩餐にあずかるとき、そこに示される自分自身のうちにあるふさわしさのなさが、むしろ恵みの招きの中であらためて、キリストの贖いの恵みを思い起こさせ、キリストに堅く、深く結びつけるものとなるのです。
 そうであれば、私たちは日ごとの信仰の歩みの中で絶えず悔い改めと深い自己吟味を繰り返しながら、しかし自分の中には主の御体にあずかるにあたってのふさわしさを見出すことが困難に感じられることがあるとしても、それが私たちを主の食卓から遠ざけることにならず、だからこそキリストの十字架を仰ぎ、贖いの恵みに感謝して主の御前に近づくものでありたいと思います。そもそも主の晩餐は悔い改めの中で食する沈痛な食卓ではなく、赦しの恵みの中であずかる食卓であり、終わりの日の天の御国を先取りする勝利の祝宴です。主の食卓に招かれる度にキリストの恵みを新たに思い起こし、感謝と服従の心をもって、天の御国の希望を見つめながら、主の御体にあずかり続ける私たちでありたいと願うものです。

 



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