祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解55

 「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」
                                   (使徒2:38)

(1)洗礼と教会
前回は洗礼の意味するところが如何なるものであるのかを学びました。引き続き今回は、洗礼を授けられるべき人は誰であるのかを学んでおきたいと思います。第95問を読みましょう。「洗礼は、だれに執行されるのですか。答:洗礼は、可見的教会の外にいる人には、キリストへの信仰と服従を告白するまでは、だれにも執行してはなりません。しかし、可見的教会の会員の幼児は、洗礼を受けなければなりません」。前回学んだように、洗礼とは、私が聖霊の恵みによってキリストに接ぎ木され、キリストのものとされたことの証印ですが、このことは単に私とキリストという個人的な関係のみを意味するのではなく、私がキリストのからだである教会に加えられるという共同体としての関係をも担っているのです。このことを踏まえて、今日の箇所では洗礼を授けられるべき人として、大きく二種類の人々が想定されています。一つにはキリストへの信仰と服従を告白して、教会に加えられる人、今一つには、教会員の家庭に与えられた幼児です。
 なぜ小教理問答はこれらの二つの人々のことを敢えて取り上げているのでしょうか。それを知るには当時の教会の状況を知る必要があります。当時のカトリック教会では、キリストの福音についての知識や明確な信仰の確信なしに、半ば自動的に洗礼が施されていました。そこでは信仰の内実が問われることはなく、むしろ洗礼という儀式が魔術的な意味合いを帯びていたのです。さらに他方で幼児洗礼を否定し、自覚的な信仰告白に基づく洗礼のみを主張する再洗礼派と呼ばれる人々がありました。彼らは古代以来続く幼児洗礼の伝統を、信仰の形骸化と見なし、カトリックだけでなく、福音主義教会がこれを継承したことを問題視していたのです。そこでこれら両者の過ちを正すために、この問答がここに置かれているのです。

(2)可視的教会と洗礼
 小教理問答はまず「洗礼は、可見的教会の外にいる人には、キリストへの信仰と服従を告白するまでは、だれにも執行してはなりません」と教えます。ここで小教理問答が「可視的教会」(visible church)というのは、地上のある特定の場所と時間の中に立つ教会を指しており、これに対して唯一のキリストのからだなる公同教会のことを「見えない教会」(invisible church)と呼ぶのです。私たちは信仰を告白し、洗礼を受けることによって見える地上の教会に正式に加えられ、それをもって見えない公同の教会の一員とされるのであって、その際には、「キリストへの信仰と服従を告白する」ことが求められるのです。
 私たちの教会では、求道生活を始めてから洗礼を受けるまでに、それなりの時間をかけて準備をしていきます。牧師とともに聖書の会でキリスト教信仰の基本を学び、その後、洗礼準備会で教会員になるにあたっての具体的な事柄を学び、役員会による洗礼試問を経てようやく洗礼式を迎えるのです。その間、礼拝に集い続け、教会の交わりに加わっていくのは言うまでもありません。なぜそれほどの時間をかけて洗礼の準備をするのか、それは洗礼を受けるというのが、単なる一回的な儀式ではなく、キリストのからだなる教会に加えられ、神の家族の一員となり、主にある兄弟姉妹たちとともに、地上の見える教会に具体的に連なり仕えることをもって、見えない公同の教会に繋がっているからなのです。

(3)幼児洗礼について
 次に小教理問答は「可見的教会の会員の幼児は、洗礼を受けなければなりません」と教えます。これはいわゆる幼児洗礼についての教えです。同盟教団では幼児洗礼については未だ統一的な見解を持っていませんので、私たちの教会でもこれを行うことは控えていますが、私自身は幼児洗礼は聖書的に見て正しいことであり、教会における子弟教育、信仰継承を実りあるものとするためにも必然的なことと考えています。幼児洗礼とは、信仰者の家庭に生まれた子どもたちは神の救いの契約の中にあるゆえに、幼児の時に洗礼を授けて教会の一員とすることであり、やがて彼らが成長して自らの口で信仰告白に至るまで、教会と家庭がその信仰教育の責任を担う大切な働きです。今日の第95問の引証聖句に創世記17章10節をコロサイ2章11節、12節と比較するよう指示があります。創世記17章10節はこうです。「次のことが、わたしとあなたがたと、またあなたがたの後のあなたの子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中のすべての男子は割礼を受けなさい」。さらにコロサイ2章11節、12節にはこうあります。「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです」。
 このように小教理問答は、幼児への洗礼は旧約時代、神の民イスラエルに与えられた割礼を原型としており、新約の時代には、神の民の子孫としてのしるしが幼児洗礼によってあらわされることになったのです。私たちの教会では幼児洗礼を行ってはいませんが、献児式の時にご両親方と準備の時を持ち、誓約をもって信仰教育の責任を果たすことを神の御前に言い表すようにしています。また教会学校の働きの中心には子どもたちに対する信仰教育があります。礼拝に子どもたちをともに集わせるのも、教会を挙げて信仰継承に取り組む姿勢のあらわれです。本来幼児洗礼とは、その後の信仰告白を目指した家庭と教会を挙げての祈りと信仰継承の営みが相俟ってこそ、その祝福がより確かなものとされるのであって、そうでなければ本人の記憶のない時期に、親の一存で授けた単なる儀式に終わってしまいかねません。教会は洗礼を重んじるゆえに、信仰者の家庭の幼子については、両親と教会自らの信仰教育の責任を自覚し、それ以外の求道者については、その人自身のキリストに対する明確な信仰と服従を求めるのです。それらはいずれも洗礼がキリストの救いの恵みをしるしする聖なる礼典であり、教会に委ねられた大いなる祝福であるゆえの自覚と責任がともなっているのです。

 



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