祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解53

「またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。聖霊は、私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」(エペソ1:13-14)

(1)恵みの手段としての聖礼典
 今回から、恵みの手段の第二番目に挙げられている「聖礼典」について学びます。まず
第91問を見ましょう。「問:礼典は、どのようにして救いの有効な手段となるのですか。答:礼典が救いの有効な手段となるのは、礼典そのものや礼典執行者の中にあるどのような力によるのでもありません。ただ、キリストが祝福してくださることと、信仰によって礼典を受ける人々にキリストの御霊が働いてくださることとによるのです」。ここで「礼典」と訳されるのはラテン語の「サクラメント」、ギリシャ語では「ミュステリオン」という言葉で、これは英語の「ミステリー」の語源となる言葉です。カトリック教会ではこれを「秘蹟」と呼び、東方教会では「機密」と呼んだりもします。
 これらの言葉の神秘的な響きからも連想しやすいように、聖礼典はしばしばその儀式そのものに特別な効力があるとされたり、その儀式を執り行う聖職者に特別な霊的能力があるかのように考えられて来ました。特に中世ローマ・カトリック教会においては、御言葉から切り離された儀式としての神秘化、魔術化が進んでいったのです。そのような誤謬を念頭において小教理問答は、礼典の効力は礼典そのものの力によるのではないことを主張するのです。また古代教父のアウグスティヌスの時代に、罪を犯した司祭が執行した洗礼は有効であるか否かを巡って「ドナティスト論争」と呼ばれる議論が戦わされた事がありました。そこでは礼典の効力は礼典執行者の力に左右されるかが問われたのですが、小教理問答はこれについても、アウグスティヌスの線に沿って「礼典執行者の中にあるどのような力にもよらない」と結論づけたのです。では聖礼典の効力は何によってもたらされるのかといえば、それは「キリストが祝福してくださること」と「キリストの御霊が働いてくださることによる」のでした。

(2)しるしと証印としての聖礼典
 では、そもそも「聖礼典」とは何であるのか。続く第92問では次のように教えられます。「問:礼典とは、何ですか。答:礼典とは、キリストが制定されたきよい規定です。そこでは、キリストと新しい契約の祝福とが、感覚的なしるしによって信者たちに示され、証印され、当てはめられるのです」。聖礼典とは、聖霊がキリストと新しい契約の祝福、すなわち救いの恵みを、私たちの感覚に働きかけて示してくださる恵みの御業であることが分かります。御言葉の説教がもっぱら私たちの「聴くこと」に働きかけるのに対して、聖礼典は、私たちの五感にトータルに働きかけて、キリストの恵みを鮮やかに示してくれるのです。
 しかもそこで聖礼典が、キリストと新しい契約の祝福を「示し、証印し、当てはめる」と言われる点にも注意を払いたいと思います。この「示す」とはすでに起こった事柄を再び表すことを意味し、「証印する」とは封をして内容を保証することを意味し、「当てはめる」はそれを受け取る一人一人に適用することを意味しています。つまり聖礼典は、それに与る信仰者たちに、キリストの救いの恵みを再び示し、そこに込められた救いの約束を保証し、しかもそれを確実に私たちのものとして受け取らせてくださるものなのです。これとの関連で、ハイデルベルク信仰問答の第66問が聖礼典を「目に見える聖なるしるしまた封印」と呼んでいることをも覚えたいと思います。聖礼典とは、キリストの救いの恵みが聖霊によって私たちのものとされていることの確かな「領収のサイン」であり、中身を保証する「封印」であって、聖霊による証印を、見えるかたちで表しているのです。私たちは信仰の歩みを続ける中で、時に自分の救いに迷いや疑いが生じることがあります。その時に、自分が救われているということの確かさを、自分の信仰深さや信じる気持ちの強さに置いているならば、たちまち救いの確信は揺らいでしまうでしょう。しかし小教理問答は、そのような私たちの信仰の迷いやぐらつきを十分踏まえた上で、恵みの手段論を展開し、しかも聖礼典が聖霊による証印であると教えるのです。たとえ自分の救いを疑うようなところに陥ったとしても、御言葉の説教を聞き、聖礼典に与り、祈りをささげ、しかもそれらを忠実に繰り返し用いて行くときに、私たちはその中で、聖霊による証印が与えられていることを思い起こし、救いの恵みを再確認することができるのです。 

(3)救いの恵みの祝福を伝える洗礼と主の晩餐
 最後に第93問を読みましょう。「問:新約の礼典は、どれですか。答:新約の礼典は、洗礼と主の晩餐です」。私たちが聖書から教えられている聖礼典はこの二つです。それらはいずれも主イエス・キリスト御自身が定められ、また自ら与り、司り、それを守るようにと弟子たちに教え、命じられたものです。しかし一方でローマ・カトリック教会では秘蹟は「洗礼、聖体、婚姻、叙階、堅信、告解、終油」の七つであるとされます。洗礼と聖体(ミサ、私たちの場合の聖餐)に加えて、婚姻、叙階(聖職者に任ずること)、堅信(幼児洗礼を受けた者がミサに与るために信仰を言い表すこと)、告解(司祭に罪を告白して赦しを得ること)、終油(臨終の者に油を塗って祈りをささげること)を秘蹟に数えるのには、歴史の中ではそれなりの意味と根拠があったのですが、やがて時代と共にそれらの諸儀式の神秘化、魔術化が進み、儀式を司る聖職者の特権化が進んでいくことになっていったのです。
 しかし私たちプロテスタント教会は、それらを礼典に数えることはしません。聖礼典とは、あくまでも聖霊がキリストにある救いの恵みと祝福を私たちにもたらすために与えられているのであって、その起源をキリスト御自身の制定に遡ることができるもののみに限定されており、しかもそれらが絶えず御言葉と結び合わされることによって、儀式の一人歩きや司式者の特権化を防ぐ意図が明確にされているのです。私たちはいつでも聖礼典に込められた恵みを、御言葉から受け取りつつ、そこに示された主イエス・キリストの救いの恵みを新しく受け取っていきたいと思います。

 



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