祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解52

「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それいよって成長し、救いを得るためです。」(Iペテロ2:1-2)

(1)御言葉を読み、聞く
キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な手段のうち、その第一に挙げられたの「御言葉」について、先の第89問では、特に御言葉の説教の意義が教えられていました。今回の第90問では、さらに説教の聴き方について教えられていきます。「問:御言葉が救いに有効となるには、御言葉をどのように読み、また聞かなければなりませんか。答:御言葉が救いに有効となるには、私たちは、勤勉、準備、祈祷をもってこれに傾聴し、信仰と愛をもって受け入れ、私たちの心のうちに蓄え、私たちの生活の中で実践しなければなりません」。
 ここで小教理問答は、御言葉を「どのように読み、また聞かなければなりませんか」という問いに対して「これに傾聴し」と答えます。つまり先の第89問でもそうであったように、基本的に神の御言葉は「聴く」ものであり、しかも礼拝における説教を通して聴くものであると理解しているのです。もちろんことのことは個人的な聖書の通読などを排除するものではありませんが、しかし今日のように一人一人が各自の聖書を手にしているのと違い、当時においては聖書の朗読と説教が、信徒それぞれの御言葉の経験の中心にあったのであり、そのことの持つ意義は今日も十分に意識される必要があるでしょう。ウェストミンスター会議は小教理問答、大教理問答、信仰告白の三部からなる「信仰基準」の他に、「公的礼拝の指針」という文書も作成しましたが、その中では礼拝の中で旧約、新約聖書がそれぞれ一章ずつ朗読されるべきと定めています。ここにも「御言葉を聴く」ことを大切にした教会の信仰が表れているのです。私たちも毎週の礼拝での聖書朗読の際、手もとの聖書を開いてそれを「読む」というのでなく、朗読される御言葉を「聴く」ことにより意識を向けることも大切な意味を持つでしょうし、それに相応しい聖書朗読のための備えにも十分心を用いたいと思います。

(2)聴き、受け入れ、蓄え、実践する
 さらに小教理問答は、御言葉の読み方、聴き方として「私たちは、勤勉、準備、祈祷をもってこれに傾聴し、信仰と愛をもって受け入れ、私たちの心のうちに蓄え、私たちの生活の中で実践しなければなりません」と教えています。これについては、以前の教会セミナーで「聖書の読み方」について学んだ時にも触れたことですが、今日の箇所をさらに詳しく論じている大教理問答の言葉にも聞いておきたいと思います。大教理問答の第160問にはこう記されています。「問:御言葉の説教を聞く人々には、何が求められていますか。答:御言葉の説教を聞く人々に求められているのは、第一に熱心と準備と祈りをもって説教に耳を傾けること、第二に聞いたことを聖書によって吟味すること、第三に真理は、神の言葉として、信仰・愛・謙遜、素直さをもって受け入れること、第四に神の言葉について瞑想し、語り合うこと、第五に神の言葉を心に蓄えること、第六に生活の中でその実を結ばせることです」。ここでは小教理問答が「傾聴する」、「受け入れる」、「蓄える」、「実践する」の四つにまとめていることが、「傾聴する」、「吟味する」、「受け入れる」、「瞑想し、語り合う」、「蓄える」、「実践する」の六つにまとめられています。これらは「傾聴し吟味する」、「受け入れ、瞑想し、語り合う」、「蓄える」、「実践する」とまとめることができるでしょう。御言葉を聴くことは、ただ聞いているというだけでなく、心傾けて聴き、その聴いた御言葉を吟味することまでを含んでおり、御言葉を受け入れるとは、それについて祈りの中で思い巡らし、それについて語り合い、分かち合うことによってさらに深く、さらに身近に御言葉が適用されることをも含み、そうすることによって御言葉が一人一人の中に豊かに蓄えられ、しかも蓄えられた御言葉が一人一人の生活の中で実を結び、実践されていくようになるというのです。「御言葉を聴く」という営みが持つこのような広がりと奥行きを、私たちもしっかりと見据えておきたいと思います。
中でも、とりわけ説教で聞いた御言葉について兄弟姉妹たちが互いに教えられたことを分かち合い、そのことについて語り合うことの恵みを覚えたいと思います。聴いた御言葉の分かち合いによって、私が受け取った御言葉と、他の兄弟姉妹たちが聞き取った聖書の御言葉が触れ合うことを通してさらに御言葉が共鳴し、増幅し、さらに新しく豊かな御言葉の恵みを得ることができる。これこそが御言葉を分かち合い、御言葉について語り合う共同の黙想の醍醐味であると言えるでしょう。教会の交わりの中で様々なことが語り合われますが、何と言ってもまずは御言葉を分かち合うこと、どんなことを教えられたか、どんなことが心に残ったか、どんな感想を持ったか、あるいはどんな疑問が浮かんだか、どんな痛みを感じたか、どんな慰めや励ましを受けたか、どんな新しい真理を学んだか。そのようなことが分かち合われるような交わりを形作って行きたいと願うのです。

(3)御言葉を語り、聴く群れ
 よくご紹介する言葉ですが、宗教改革者カルヴァンが教会の目印として掲げた「神の言葉が真摯に語られ、聴かれるところに主の教会がある」という言葉があります。教会の目印の一つに御言葉の説教を掲げるのはカルヴァン以前からあった宗教改革の教会の伝統ですが、ここで大切なのは御言葉が「語られる」だけでなく、「聴かれる」ことに重きが置かれている点です。説教は説教者が語るだけでは成り立たない。それが聴かれなければならないのです。説教は対話とも言われます。説教者は聴衆と対話をしているのです。もちろん聴衆がその都度、応答の声を上げたりすることはありませんが、しかしそこでは対話がなされているのであって、一方通行の説教はありえません。
 そうであるならば説教者が御言葉を語るために祈り、備え、情熱を注いで語るのと同じように、聴衆もまた「勤勉、準備、祈祷をもってこれに傾聴し、信仰と愛をもって受け入れ、私たちの心のうちに蓄え、私たちの生活の中で実践する」ことを願いながら、御言葉に聴く姿勢を養い、整えていきたいと思います

 



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