祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解49

「そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。」(使徒3:19)

(1)命に至る悔い改め
 第85問で扱われた「罪のため私たちに当然な神の怒りとのろいとを免れるために、神が私たちに求めておられる事」のうち、「イエス・キリストへの信仰」に続いて、今回は「命に至る悔い改め」について学びます。第87問を読みましょう。「問:命に至る悔い改めとは、何ですか。答:命に至る悔い改めも、救いの恵みです。それによって罪人は、自分の罪をほんとうに自覚し、キリストにある神のあわれみを理解して、自分の罪を歎き憎みつつ、罪から神へと立ち帰り、新しい服従をはっきりと目差し努力するようになるのです」。前回、キリストの贖いの祝福にあずかるために、信仰と悔い改めが必要といわれる時の順序の大切さを考えました。すなわち、悔い改めがあって信仰があるという順序でなく、信仰があって悔い改めがある、という順序の大切さです。しかもその場合、悔い改めは人間の業、信仰は神の業、ということでなく、イエス・キリストへの信仰も、命に至る悔い改めも「救いの恵み」であると教えられていることの大切さにも触れました。
 そこで「命に至る悔い改め」という表現についてですが、ここでの「命」が意味するのは「永遠のいのち」ということであって、日ごとに犯す罪に対して繰り返される悔い改めということ以上に、ここではまず一回的な神への悔い改め、罪の奴隷の状態から、罪赦され、神の子の状態へと変えられていく決定的な悔い改めの問題が扱われているのです。しかも「命に至る」という時、そこでは悔い改めの目的、方向性が問われています。しばしば申し上げるように、私たちはともすると罪の問題を深みの問題、度合いの問題として考えがちですが、聖書は一貫して罪の問題を神との関係性において捉えます。神とのあるべき関係が崩された状態が罪の状態であり、罪とは神に背を向けて自分勝手な方向に生きている状態を指しています。ですから、ここで「命に至る悔い改め」と言われる時、そこでは、神に背き、自分勝手な方向に歩み、それによって滅びに至るはずの私たちが、そこから神の恵みとイエス・キリストの贖いによって方向転換させられ、滅びの至る道から、命に至る道へと向きを変えさせていただいたという、まさに「立ち返り」が起こったということなのです。

(2)神への立ち返り
 それゆえに、聖書が教える悔い改めとは、単なる反省や後悔とは異なるものだということが分かってきます。自分の心をのぞき込んで「ああするんじゃなかった、こうするんじゃなかった」といつまでもため息混じりにじっとたたずむことや、後ろを振り返って過去に犯してきた過ちを悔い続けるということではありません。悔い改めとは上から引き起こされる新しい歩み、そして本来あるべき人間の姿への明確な方向転換なのです。また、教理の言葉で「悔い改め」によって引き起こされる変化を「回心」と言います。通常、日本語で「かいしん」というと「改心」を意味すると考えて、何か悪いことをした人が、その後、反省をして「これから心を入れ替えてがんばります」、「心を改めます」と言うことがあるでしょう。
 しかし、聖書の言う悔い改めと回心は、そのような人間の反省や努力によって生まれるものではありません。「悔い改め」とは神によってなされる方向転換であり、罪から神への、自己中心から神中心への、そして永遠の滅びから永遠のいのちへの「立ち返り」です。「それによって罪人は、自分の罪をほんとうに自覚し、キリストにある神のあわれみを理解して、自分の罪を歎き憎みつつ、罪から神へと立ち帰り」と教えられるように、神へと立ち返り、翻って、贖い主イエス・キリストに信頼し、この方を信じて、神に向かって歩んでいく新しい歩みが始まっていく。それが「命に至る悔い改め」ということであって、まさに「神の恵み」、救いをもたらす神の特別な恵みなのです。

(3)新しい服従への道
 さらに小教理問答が、「新しい服従をはっきりと目差し努力するようになるのです」と教えるように、悔い改めとは本来の神とのあるべき関係に立ち返った者が、新しく命に至る道へと向かって歩み出す、新しい服従の歩みであることを意味しています。ただ立ち止まって自分を深く見つめて佇むというのではなく、悔い改めとは新しい出発であることを覚えたいと思います。罪赦された者として命に向かって歩んでいく。それはかつての罪の奴隷であったときのような律法に縛られ、罪の呵責によって恐る恐る歩む「古き服従」の歩みではなく、今や罪赦されて神の子どもとされ、福音の自由の中に生かされている者が、神の愛への応答として喜んで歩む「新しい服従」の歩みです。
 その途中では古き自分の内に残る罪の残滓との闘いはあり、日ごとの罪の悔い改めは続くのですが、しかしそれで大きな方向が変わるわけではないのです。ちょうど電車の中で車両の中を前に後ろにと行きつ戻りつすることがあったり、電車が揺れれば右に傾いたり、左に傾いたりすることがあったとしても、すでにその電車の中に乗り込んでいる以上、そこから逸れていったり、離れていったりすることがないのと同じように、私たちもすでに神に立ち返り、命に至る新しい服従の道をすでに歩み始めているのであって、その中で日ごとに自らの罪を悔い改めつつ、「自分の罪をほんとうに自覚し、キリストにある神のあわれみを理解して、自分の罪を歎き憎みつつ」、神に従う歩みを続けていくのです。その道は、すでに神が御子イエス・キリストの贖いによって開いてくださった恵みの道筋であることを覚えつつ、新しい服従の歩みを聖霊の助けをいただいて歩んでまいりたいと願います。

 



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