祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解40

「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」(出エジプト20:8)

(1)第四の戒め
 今日は十戒の第四戒を学ぶことにします。第57問を読みましょう。「問:第四戒はどれですか。答:第四戒はこれです。「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、何のわざもしてはならない。あなたもあなたの息子、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門の内にいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」。これは旧新約聖書の時代の日常生活にもしばしば現れる安息日の規定であり、ユダヤ人にとっては今日においても日常生活に深く結びつく重要な意味を持つ戒めです。
 私たちキリスト者にとっては、主イエス・キリストの復活を経て今や聖霊の恵みの時代を生きているので、基本的には安息日の規定に縛られるものではないのですが、それでもウェストミンスター小教理問答はこの日の意味を新しく私たちに教えているのです。まず第58問では次にように教えられます。「問:第四戒では、何が求められていますか。答:第四戒が求めている事は、神が御言葉において、はっきりと七日のうち丸一日を御自身のための聖安息日にすると指定されたとおりに、その定めの時を神に対してきよく守ることです」。さらに第59問では「問:七日のうちのどの日を、神は週ごとの安息日と指定されましたか。答:神は、世の初めからキリストの復活までは、週の第七日を週事の安息日と指定されました。そして、キリストの復活からは、週の第一日を世の終わりまで続けるように指定されました。これがキリスト教安息日です」として、かつて旧約時代には土曜日が安息日であったのが、イエス・キリストの復活を境にして日曜日になったと記されるのです。ここは少々込み入った議論になりますが、先に申し上げたように、私たちは今、日曜日に礼拝を捧げていますが、この日を「主日礼拝」と呼んでいます。つまりこの日が安息日だから礼拝をするというよりも、それ以上に主イエス・キリストの復活された日、主の日としての意義を重んじているわけです。すると、日曜を安息日として守るのと主の日として守るのとでは、いったいどこが違うのかという問いが出て来ます。基本的にはどちらにとってもこの日が礼拝の日であることには違いないのですが、敢えてその違いを言えば、日曜を主の日として捉える立場からすれば、とにかく礼拝に集って主イエス・キリストを礼拝することが大事なわけですが、これをキリスト教的安息日として捉える立場からすると、次に出てくるようにまさに旧約において教えられているのと同じように、この日を終日きよく休む、一切の働きもせずにこの日を聖別することが求められるのです。そして次の第60問にあるように、小教理はこのキリスト教安息日の理解に立っています。
 
(2)安息日の過ごし方
 そこで第60問、61問を読みましょう。「問:安息日は、どのように聖別すべきですか。答:安息日は、次のように聖別すべきです。その日は終日きよく休むこと、他の日なら正当な世俗の職や娯楽さえもやめることです。すべての時間を公私の神礼拝を守るのに費やすこと。ただし、必要やむを得ない業とあわれみの業にとられる時間は別です」。「問:第四戒では、何が禁じられていますか。答:第四戒が禁じている事は、求められている義務を怠るか不注意を果たすこと、この日を、怠惰により・それ自体罪である事を犯すことより・または私たちの世俗の職や娯楽を必要もなく思い語り行うことによって汚すことです」。このように日曜をキリスト教安息日と位置づけるならば、この日は礼拝のためだけに用いる聖別された日となります。私たちは厳密な意味でこの理解よりもむしろ主の日の理解に立つ者ですが、しかしウェストミンスター小教理問答を作り出した英国のピューリタンと呼ばれる人々の信仰姿勢からあらためて多くを学ぶ必要があるように思います。
 私たちはこの箇所を読むと非常に厳しい規定であると感じますが、しかしこのような規定が定められた背景には、それなりの理由があったのでした。特に日曜日に学校や仕事が当然のように入ってきて、礼拝の自由が侵害されている私たちの現状は、実は小教理問答が作られた時代のピューリタンたちの置かれていた状況とよく似ているのです。当時の英国は国王がカトリック信仰を持っており、ピューリタンたちを様々な手段で迫害していました。中でもピューリタンたちが日曜日を安息日として終日厳格に過ごしていることに目を付け、彼らの信仰を邪魔する目的で「スポーツの日」を定め、日曜日は国民はスポーツをしなければならないと命じて、ピューリタンたちの礼拝を妨げようとするようなことさえあったのです。そういう中で彼らがこのキリスト教的安息日の規定を掲げ、この日を礼拝の日として聖別して過ごしたということ自体が、社会に対する大きな信仰の証しとしての意味を持ったのです。

(3)六日間の過ごし方
 最後に第62問を見ましょう。「問:第四戒に加えられている理由は、何ですか。答:第四戒に加えられている理由は、神が週の六日を私たち自身の職のために使わせてくださること、神が第七日には特別の所有権を主張されること、神御自身が模範を示されたこと、神が安息日を祝福しておられることです」。ここにも単に禁止の命令という消極的な面だけでなく、むしろ積極的な教えが述べられています。すなわち安息日を守るということは、他の六日間が私たちのために与えられ、委ねられているということ、そしてこの労働の日々の中で守られる安息日を、主なる神がことのほか祝福しておられるということです。
 ある著名な先生の著書に『中断される人生』というタイトルの説教集があります。私はいつもこれは良い題名だな、と思います。何かをしている時にそれが中断されるというのはあまりうれしいことではありません。特にそれに集中している時、没頭している時、あるいは締め切りに追われている時はなおさら、それをきりの良いところまで続けたい、目処の立つところまで進みたい、と思ってそこから離れることができなくなってしまいます。けれどもそうすることでいつしか私たちは、自分の人生、自分の時間、自分の手の業がことごとく自分自身の所有であるように錯覚し、己を神としていく過ちに陥っていくのです。けれども主なる神は、そのような私たちの歩みを中断させ、私たちの人生に介入し、そこで私たちの人生の真の所有者が誰であるのかを明らかにさせ、この御方にあってこそ私たちの地上の日々が意味あるものであることを明らかにしておられるのです。

 

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.