祈祷会  
ウエストミンスター小教理問答講解38

「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」(出エジプト20:4)

(1)第二の戒めの求めと禁止
 今日は十戒の第二戒を学ぶことにします。まず最初に第49問を読みましょう。「問:第二戒はどれですか。答:第二戒はこれです。『あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう』」。
 十戒の第二戒はいわゆる「偶像礼拝禁止」の規定です。天地万物を創造された主なる神は、この世界のあらゆる被造物によって表現されることのない、永遠で不変で無限なるお方です。ですからこのお方を私たちはいかなる像をもってしても表現することはできないし、有限な線によって無限なる神を括ることはできません。像によらない礼拝をささげるところに、キリスト教礼拝の最も重要なしるしがあると言ってもよいのです。しかしこのことを裏返してみれば、人間がいかに目に見えるものによって支配されやすいかを示しているとも言えるのです。出エジプト記32章を見ると、十戒がシナイ山の上でモーセに授けられていた時、イスラエルの民の求めに応じて、アロンが彼らの持ち物の中から金を集めて鋳物の子牛を造り、これを「イスラエルよ、これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」といって拝み、それゆえに神の怒りと罰を招いた記事が記されます。ここで大切なのは、イスラエルが神に罰せられたのは、彼らが主なる神を否定して、他の神として金の子牛を拝んだからではなく、むしろこの金の子牛像をもって自分たちをエジプトから連れ上った神を表現したということでした。しかし唯一まことの神は人の手によって姿形を作り上げることの出来るようなお方ではないし、その像によって礼拝することはできません。そこで先に第51問で次のように教えられています。「問:第二戒では、何が禁じられていますか。答:第二戒が禁じている事は、像による神礼拝、または神の御言葉に指定されていないあらゆる他の方法による神礼拝です」。私たちは像によって礼拝を捧げることをしない。それはただ像を用いないということだけでなく、御言葉に指定されていない他の方法による礼拝をもしない、ということを含んでいるのです。

(2)霊とまことによる礼拝の原理
 では私たちがささげる礼拝とはどのようなものであるべきでしょうか。それは主イエス・キリストがヨハネ福音書4章で言われたように、「霊とまことによる礼拝」です。それで第50問では次のように教えられます。「問:第二戒では、何が求められていますか。答:第二戒が求めている事は、神が御言葉のうちに指定されたとおりの宗教的礼拝と規定のすべてを、受けいれ、実行し、純正完全に保つことです」。神が求める「霊とまことによる」礼拝とは、要するに「御言葉」に基づく礼拝ということであり、第50問が教えるのは、御言葉による礼拝を整えている考え方の原理、原則といってよいものです。今、夕の礼拝で新しく「礼拝に生きる」というシリーズを始めましたが、まさにそこで行われているのは、礼拝の一つ一つの要素が御言葉に基づくものであることを確かめる作業なのです。 ウェストミンスター信仰基準に代表されるピューリタンの礼拝は、当時のカトリックやルター派、あるいは同じ英国の国教会(聖公会)の礼拝に比べると随分とシンプルで簡素なものでした。日本の福音主義教会の礼拝も基本的にはピューリタンの伝統を受け継いでいるので、やはり簡素な礼拝式順となっています。そしてその理由がこの第51問にあるのです。ピューリタンの礼拝原理は「神の御言葉に指定されていないあらゆる他の方法による神礼拝」を禁じ、「神が御言葉のうちに指定されたとおりの宗教的礼拝と規定のすべてを、受けいれ、実行し、純正完全に保つこと」でした。ですから礼拝のプログラムを見れば、聖書がはっきりと教えていることだけがそこには置かれているわけです。
 教会の歴史を見ると、特に礼拝については大きく二つの考え方がありました。一つは「聖書が明確に禁じていないことはしてもよい」というもの、今一つは「聖書が明確に命じていないことはしてはならない」というものです。これに当てはめてみると、ウェストミンスター小教理問答がとる考え方、ピューリタンの礼拝原理は明らかに後者にあることがわかります。聖書がはっきりと教えていることをし、聖書にない様々な諸儀式を加えない。これが大切な礼拝の考え方なのです。

(3)礼拝における神の熱心
 最後に第二戒について第52問は次のように教えます。「問:第二戒に加えられている理由は、何ですか。答:第二戒に加えられている理由は、神が私たちに君臨する主権者であられること、神が私たちの所有者であられること、神が御自身への礼拝に熱心をもっておられることです」。これは出エジプト記20章5節から7節に記される、第二戒が与えられている理由を論じるところです。なぜ異教の偶像礼拝が禁じられるのはもちろんのこと、まことの神を像によって礼拝することも禁じられるのか。その理由は「神が私たちに君臨する主権者であられること、神が私たちの所有者であられること、神が御自身への礼拝に熱心をもっておられること」と言われますが、聖書によれば「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神」であるからと言われるのです。ここに聖書が偶像礼拝を禁じる一番の理由があります。つまりそれは神が無限でかたちを持たないから、とか、見えない神を像で表現することができないから、というような物理的な理由によるのではなく、まず何よりも、神御自身が私たちの主なるお方、私たちの主権者、所有者なる御方として、御自身への愛と服従を独占的に求められるからだというのです。
 ここには目に見えない真理を目に見える形であらわすことに伴う、なかなか深く難しい問題がよこたわっているのですが、私たちが見えない真理と別のものを見える形にして拝むのではない、そうではなくて、目に見えない真理を目に見える形であらわすのだと仮に言い張ったとしても、実際には目に見えるかたちのほうに私たちの心はどんどんと引っ張られ、そしてついには目に見えるかたちに様々な仕方に縛られていってしまうことになる。しかし神はそこにねたみを起こされるというのです。だからこそ、私たちは目に見えるものではなく、御言葉の原理に立って礼拝の道筋を整えていかなければならないのです。

 



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