祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解34

「彼らはこのようにして、律法の命じる行いが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。」(ローマ2:15)

(1)神の御意志への服従の基準
夏の間、小教理問答の学びをお休みしていましたが、今日から再開していきます。そこで前回のおさらいをしておきましょう。前回の第39問から終わりの107問までが、第3問で「神は人にどんな義務を求めておられるか」という問いを受けて始まった小教理問答の大きな区分で言う後半部分にあたります。そこで前回、第39問で私たちは、神が求めておられる義務とは神の啓示された御意志に服従することだと学んだのでした。そこで今日の第40問では、この神の御意思に従うにあたって神御自身が示してくださった基準ということが教えられています。第40問を読みます。「問:神は、人の服従の基準として、何を最初に啓示されましたか。答:神が人の服従のために最初に啓示された基準は、道徳律法でした」。
 この「道徳律法」という言葉の「道徳」は、英語の「モラル」という言葉です。それは人と人がともに生きていく上での共通の約束事、お互いに受け入れ合っているきまり、ということです。それは誰かが決めたとか、教えたということではなく、人が生まれもって身につけている感覚、センスであるとも言えるでしょう。今日の様々な法律の成り立ちを辿っていくと、その根底には、人間に生まれもって備えられている法の感覚、自然法があるとされています。しかし聖書はさらにそこから遡って、そのような道徳律法や自然法というものの本来の起源は、私たち人間をご自身の似姿に似せてお造りになった創造主なる神御自身にあることを認めるのです。それでパウロは冒頭に開いたローマ書2章で、神を知らない人々、律法を持たない異邦人の心にも、神が書き記された律法が与えられていると語っているのです。私たちはすでに第10問で神が人をご自身のかたちに似せて創造してくださったことを学び、また第14問で、人間の罪が神の律法に対する不従順と背反であったことを学びました。ある人は、自分はそんな基準となる律法は知らなかったと言うかも知れませんが、神は人を創造された時からすでにその心に律法を書き記しておられたというのです。ですから人間は心のうちに生まれもって善と悪の感覚、道徳的、倫理的な感覚が与えられており、それによって自らの欲望や本能的な振る舞いをコントロールするのです。しかし今日私たちが直面している状況は、道徳、倫理の感覚が薄れ、ますます人間の罪の本性があらわになり、人間が獣のような姿に進んでいるということでしょう。そのような状況への危機感から、今日、公共のモラルの低下が嘆かれ、教育の現場での道徳教育、修身教育の重要性がしきりに叫ばれます。教育とは知育、体育、徳育だとも言われます。それはそれで意味のあることですが、同時にそれらが神ではなく国家に対する忠誠を求める愛国心教育と結びついていくことについては私たちはよく注意を払っておく必要があるでしょう。むしろ今こそ神御自身の求めておられる御意志によく聞き従い、示された基準に学ぶことが必要なのです。

(2)神が求めておられる基準としての十戒
 では神が私たちに求めておられる服従の基準はいったいどこにあるのでしょうか。第41問にこう記されます。「問:道徳律法は、どこに要約的に含まれていますか。答:道徳律法は、十戒の中に含まれています」。主なる神は創造の時に、人間をご自身のかたちに創造され、その時に人間の心に律法を書き記してくださったので、人間には生まれもって善悪を見極める感覚、聖なるものを求める感覚が備わっていました。主なる神に向かう心が善なる心であり、そこから逸れることが悪の心ですから、本来、人間の心に備えられた道徳律法はすべて、私たちを主なる神に向けさせるためのものでした。宗教改革者カルヴァンは、このような人間に備えられた感覚を「神聖感覚」、あるいは「宗教の種」と呼んで、すべての人の中に神を求める感覚があることを教えています。
 ところが最初の人間に罪が入って堕落した結果、人間の中から神のかたちは損なわれ、この神聖感覚は正しく機能することができなくなってしまいました。その結果、人間は真の神を求めることができず、また神の御心にかなう善を行うこともできなくなってしまったのです。それが偶像礼拝の始まりであり、また神を目的とせず、自己中心に生きることを始めた人間の姿でもあるのです。しかしだからといって人間が人間であることをやめてしまったわけではない。神のかたちは損なわれたけれども失ったわけではない。心に刻まれた道徳律法も、その本来の目的にかなって十分に機能することはできず、絶えず悪へと傾いているけれども、だからといって人間の中に善悪の感覚そのものがなくなったわけではない。問題はそれが何を基準とするのかが分からなくなっているということなのです。ですから善悪の基準はその時々の時代の状況や人間たちの都合で変わりうるものとなってしまいました。
 しかし主なる神はそのように人間たちが基準を見失ったまま生きることをよしとはなさらず、もう一度、心に刻んだ律法を、あらためて言葉をもって書き記し、神との正しい関係に立ち返って生きる道を示してくださった。この神の律法が、二枚の石の板に刻まれた十の戒め、十戒において要約的に示されているというのです。ですから十戒とは、それだけを守っておればよい、というような最低限の基準ということではなく、これは神の御意志の要約であり、十戒が含んでいる神の御意志の全体を私たちは十分に斟酌し、受け取っていくことが大切です。日々、主の御心を尋ね求め、示された御心に従う柔らかで従順な心を与えられていきたいと思います。

 



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