祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解33

「主は主の御声に聞き従うほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」(Iサムエル15:22)

(1)信じることと生きること
 前回も申し上げたように、小教理問答の第3問には、聖書がおもに教えていることについて「人が神について何を信じなければならないか」と「神は人にどんな義務を求めておられるか」として、聖書の内容を大きく二つの点にまとめています。そしてそれがそのまま小教理問答の内容の区分になっているのです。すなわち、これまで学んできた第1問から第38問が「信ずべきことがら」を教える箇所であり、今日から取り上げる第39問から終わりの第107問までが「守るべきことがら」を教える箇所ということになるのです。そこで第39問を読みましょう。「問:神が人に求めておられる義務は何ですか。答:神が人に求めておられる義務は、神の啓示された御意志に服従することです」。
 聖書は、父なる神が私たちに永遠の聖定のうちに定めてくださった恵みの契約に基づいて、御子イエス・キリストによる十字架の贖いを通して救いの恵みを賜り、聖霊によってその救いを私たちにもたらし、地上にあっては義とされ、子とされ、聖とされ、さらなる数多くの祝福を分け与えてくださり、さらに死に際しては御国の約束と身体のよみがえりの希望を与えてくださり、復活において完全な祝福を与えてくださることを教えています。しかしそれだけでなく、この救いにあずかった私たちがどのようにこの恵みに答えて生きるのかをも大切なこととして教えているのです。このように福音の教えにおいては、主イエス・キリストを信じることと、この主イエス・キリストにあって生きることとは決して切り離されてはおらず、主イエスを信じて救いにあずかった者は、救われた者として新しく主にあって生きるようにと導かれているのです。これはローマ書やエペソ書のパウロの語り方に見られる基本的な教えです。たとえばローマ書は1章から11章にかけて神の救いのご計画とイスラエルの救い、信仰による義という救いの教えを記し、その後12章から16章にかけて「そういうわけですから、兄弟たち」といって救いにあずかった者の神をあがめて生きる生き方を教えます。エペソ書も1章から3章にかけて神の救いのご計画を記した後、4章から6章にかけて「召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい」と救われた者の生き方を勧めているのです。私たちも信じることと生きることが切り離されてしまわないように、むしろ信じたことが生き方の隅々に行き渡り、具体的な日々の生活が変えられていくことを祈り求めたいと思うのです。

(2)神が人に求めておられる義務
 ここで小教理問答は「神が人に求めておられる義務は何ですか」と問います。私たちは「義務」という言葉を聞くと、何か私たちの手足を束縛し、自由を奪い取るもののように思って身構えてしまいがちですが、これは救いにあずかった者が当然なすべきこと、ということです。主の恵みにあずかり、救いの喜びと自由に生きる私たちは、この神と共に生きたいと願い、神に喜ばれる歩みをしたいと願う。それは押し着せられた義務感ということではなく、私たちの主への従順の姿勢です。このことは第39問が証拠聖句として掲げている二つの御言葉をよく味わうことで十分に納得することができるでしょう。まずはミカ6章8節です。「主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか」。もう一箇所はIサムエル15章22節。「主は主の御声に聞き従うほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」。この神の喜ばれる生き方を私たちも自ら願い、選び取り、神と共に歩むこと。それこそが神が人に求めておられる基本的な姿です。

(3)啓示された神の御意志への服従
 先の二つの御言葉を用いて、小教理問答は神が求めておられる義務とは、神の御意志に服従することだと言います。神の御心に従順にしたがって生きること、それこそが神が私たちに求めておられることだというのです。しかし大切なことは、ここで「啓示された神の御意志に服従すること」と言われていることです。私たちは誰も主の御心に従っていきたいと願いますが、しかし実際に信仰生活を送る上での大きな問題の一つは、その肝心の神の御心がなかなか私たちには分からないように思えるということではないでしょうか。確かに全知全能の神は、すべてのことをご自身の聖定のもとに定め、摂理の御業によって導いておられるのですが、そのすべてが私たちに明らかにされているわけではありません。そこには神の隠された御意志があるのです。しかし小教理問答はそこを注意深く扱って、私たちに必要なのは、この神の隠された御意志をあれこれと詮索することではなく、むしろ明らかにされた御意志に服従することだと教えているのです。
 私たちはしばしば私たちの知り得ないことを知ろうとして悩むことが多いのですが、むしろ聖書を通して明らかにされている御心をはっきりと受け取り、私たちに隠されていること、今はまだ明らかにされていないことについては、主なる神の御真実に信頼して、これをお委ねして生きることが大切なあり方だということでしょう。では明らかにされた神の御意志とは何でしょうか。いくつかの御言葉を開いておきたいと思います。まずは主エスがヨハネ6章39節、40節で語られた言葉です。「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます」。つまりまず何よりも私たちが従うべき神の御意志とは、私たちが主イエス・キリストを信じ、救いの中に入れられると言うことです。次に使徒パウロはIテサロニケ4章3節でこう言っています。「神のみこころはあなたがたが聖くなることです」。救われた私たちが、その救いに感謝し、聖くなっていくこと、これが神が求めてられる義務だというのです。それでこの後、小教理問答は、私たちの聖なる歩みのための確かな指針として、十戒を説き明かしていくことになるのです。そして最後にヘブル10章36節を読みましょう。「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」。神の求めておられる生き方を追い求めていくために、忍耐が必要といわれます。このことをよくよく心に刻んで、信仰の歩みを続けてまいりましょう。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.