祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解32

「朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。」(Iコリント15:42-44)

(1)救われた者が復活の時に受け取る祝福
前回の第37問では「死の時」にキリストから受け取る祝福について学びました。そこでは、主にあって召された者の魂は全くきよくされて直ちに栄光に入り、肉体はキリストに結びつけられたまま後の復活の日まで墓の中で休むと教えられました。そして続く第38問では「復活の時」にキリストから受け取る祝福が教えられていきます。これは私たちの信仰を支える一番の希望の教えです。キリストの復活を信じる私たちには、その復活のいのちに与ることによる「からだのよみがえり」が約束されているのです。そこで第38問を読みましょう。「問:信者は、復活の時、キリストからどんな祝福を受けますか。答:信者は、復活の時、栄光あるものによみがえらされて、審判の日に、公に受け入れられ、無罪と宣告され、永遠に、全く神を喜ぶことにおいて完全に祝福された状態にされます」。小教理問答の第3問には、聖書がおもに教えていることについて「人が神について何を信じなければならないか」と「神は人にどんな義務を求めておられるか」と記されて、小教理問答の内容が「信ずべきこと」と「守るべきこと」の大きく二つの部分に分けられることを教えていますが、今日の後に続く第39問が「神が人に求めておられる義務は、何ですか」という問いになっているように、前半部分の「信ずべきこと」の最後にあるのが、今日の第38問、信者の復活の希望の教えであることがわかります。そして次回の第39問から終わりの第107問までが、私たちの「守るべきこと」を教えているということになるのです。
 このように今日の第38問は、私たちが信じている中身の一番最後に位置する教えでありますが、それはまた私たちの信仰生活の総仕上げに関わる教えでもあるのです。第38問の答えの終わりに「完全に祝福された状態にされます」とありますが、まさにここに私たちの救いの完成の状態が記されているのです。少しおさらいになりますが、小教理問答はこれまで、主なる神の御前における人間の姿を「状態」という言葉で言い表し、しかもそれを四つの状態に分けて教えてきました。すなわち最初は第12問にある「創造された状態」、続いて第17問にある「罪と悲惨の状態」、そして第20問にある「救いの状態」があり、最後の四つ目が今日の第38問の「完全に祝福された状態」です。つまり、私たちに与えられている復活の信仰は、私たちが主にあって完全に祝福された状態に置かれることを意味している、とても大切な教えであるということができるのです。

(2)公に受け入れられる
 小教理問答は、私たちの復活が「栄光あるものによみがえらされる」と教えます。冒頭で読んだIコリント15章にあるように、朽ちることのない栄光のからだとしての復活であるというのです。私たちはこのことについてついあれこれと詮索してしまいたくなりますが、ここではともかく、今のからだと復活の時のからだには、一方では連続性があり、しかし他方では断絶性があることの両面を踏まえておきたいと思います。復活のからだは間違いなく私自身のからだそのものであるという連続性がある一方で、しかしそのからだは地上の朽ちていく卑しく弱いからだではなく、キリストの栄光の輝きを与えられた朽ちることのない栄光のからだだと言われるのです。
 さらにここで大切なことは、「審判の日に、公に受け入れられ、無罪と宣告される」ということです。ここで「公に受け入れられる」とはどういう意味でしょうか。ヘブル書9章27節に「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」とあるように。私たちの復活のときは、主イエス・キリストが再臨され、最終的な審判のくだされる時です。その日に私たちは神の法廷において、地上で成し遂げられたキリストの贖いと、聖霊が押してくださった証印の確かさのゆえに、最終的かつ決定的に、キリストのものとして受け入れられ、無罪の宣告を与えられるのです。それはまさにマタイ福音書10章32節で主イエスが「わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます」と言われたことが現実となる時でもあるのです。

(3)神の栄光を表し、神を喜ぶ祝福
 こうして栄光のからだに復活させられ、無罪を宣告された私たちの新しい姿を小教理問答は「永遠に全く神を喜ぶことにおいて完全に祝福された状態にされます」と言っています。そこで、このくだりを読んで思い起こしておきたいのが、あの有名な小教理問答の第1問です。「問:人のおもな目的は、何ですか。答:人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」。まさにこの神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶという、創造の時に主なる神が与えてくださり、しかし堕落によって失われてしまった人間本来の目的が、主イエス・キリストの救いにあずかって義とされ、子とされ、聖とされた私たちのうちに取り戻され、そしてついに復活の時に完全なかたちで回復し、成就することを知ることができるのです。
 ここに私たちの死を根本的に乗り越えて生きることの希望、復活の希望があります。私たちの復活は、私たちが神のかたちに創造されたその最も幸いな真の人間性の回復の時であり、恵みの契約の完成の時であり、私たちが栄光のからだをもって、御子イエス・キリストの似姿に変えられる、栄化の成就の時であり、そして天の御国で、永遠に神の栄光をあらわし、神を喜んで生きることのできる真の意味での礼拝的な生の全うされる時です。この希望に生かされて地上の日々を生きるとき、私たちは主の日ごとに礼拝に集い、生ける主の御名を賛美し、この方を礼拝することを通して、また毎日のなにげない日常生活の中で「食べるにも、飲むにも、何をするにも神の栄光を表す」ことを願いつつ生きるとき、そこですでにこの天の御国での栄光に満ちた生活の予行練習をしているとさえ言うことができるのです。この喜びを味わいつつ、主にある希望に生かされていきたいと願います。

 



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