祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解29

「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(申命記31:6)

(1)聖化の不完全さ
前回、私たちは小教理問答第35問の聖化の教えを学びましたが、そこで聖化の継続性・漸進性ということに触れた最後の部分で、ウェストミンスター信仰告白の第13章を引用して次のように申し上げました。「この聖化は全人に行き渡るけれども、この世にある間は未完成である」。このことは、私たちの日々の信仰生活を振り返るならば実によく分かることではないでしょうか。敢えて言えば、主イエス・キリストの十字架の贖いによって罪赦され、義と認められたということは御言葉の約束に基づくこととして認識できても、義認の恵みがもたらす実りとしての聖化については、自分自身が聖められつつあるという実感よりも、今だ肉の欲に引きずられている自らの不完全さのほうがより確かに痛感できるのではないでしょうか。そしてそれゆえに私たちはしばしば自分自身の救われてなお同じ過ちを繰り返す愚かさや不甲斐なさを思い、自分自身の救いを疑ってみたり、不安にとらわれたりするのです。そういう私たちの信仰生活の現実を、ウェストミンスターの会議に集ってこれらの信仰告白や教理問答を作った人々はよく分かっていました。なぜなら彼らはただ書斎に籠もって難しい神学理論をあれこれとこね回すような者たちでなく、実際に教会に生きる人々を救いに導き、彼らの信仰を養うために懇ろに牧会し、御言葉を取り次ぎ続けた、自らもまた教会に生きる牧者たちであったからです。ですから彼らもまた、実際に信仰者たちが信仰生活のどのようなところで悩みを抱き、躓きを覚え、信仰が揺らいでしまうのかをよくわきまえた上で、実に行き届いた信仰の指導をしていくのです。
 そこで今日は小教理問答の学びを先に進める前に少し立ち止まり、小教理問答が触れずにいる大切な部分を大教理問答によって補っておきたいと思います。そこでまず大教理の第78問を、松谷好明先生の翻訳でご紹介します。「問:信者における聖化の不完全さは、どこから起こってくるのですか。答:信者における聖化の不完全さは、信者のあらゆる部分に残っている罪の残滓と、霊に逆らう肉の、不断の欲情とから起こってきます。それによって信者は、しばしば、さまざまの誘惑に負けて多くの罪に陥り、彼らの霊的奉仕すべてにおいて妨げられ、彼らの最善の行いさえも、神の御前には不完全で、汚れたものとなるのです」。このような聖化の不完全さは、私たち誰しもが自らの内に深く自覚させられるものであり、それはまた同時に私たちに一つの重大な不安を引き起こすことになります。

(2)聖徒の堅忍
 聖化の不完全さが私たちのうちに引き起こす不安。それはこのような私は神の恵みから落ちてしまうのではないか、という思いです。しかしそれについて、大教理問答の第79問は次のように教えます。「問:真の信者が、彼らのさまざまな不完全な点や、彼らを襲う多くの誘惑と罪のゆえに、恵みの状態から落ちてしまうことはありませんか。答:真の信者は、神の変わらない愛、堅忍、彼らのキリストとの不可分な結合、彼らのためのキリストの絶えざる執り成し、彼らの内に宿る神の霊と種を彼らに与えるという神の聖定と契約のゆえに、恵みの状態から全面的に落ちてしまうことも、最終的に落ちてしまうこともありえず、かえって信仰を通して、救いに至るまで、神の力によって守られています」。確かに主イエスもヨハネ10章28節でこう言われます。「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません」。この主イエスの愛の確かさのゆえに、私たちは神の御手の中に堅く保たれ、恵みから落ちることがないと確信することができるのです。

(3)救いの確かさ
 さらに大教理問答は第80問、81問で次のようにも教えます。「問:真の信者は、自分たちが恵みの状態にあること、そして救いに至るまでその状態で堅忍することを、誤りなく確信できますか。答:真にキリストを信じ、キリストの御前に全き良心をもって歩もうと努めている者たちは、特別な啓示がなくても、神の約束の真実に基づく信仰と、そのために命の約束がなされている様々な恵みの賜物を、彼らが自分たち自身の内に識別できるようにし、また、彼らが神の子であることを彼らの霊とともに証しする御霊とにより、彼らが恵みの状態にあり、救いに至るまでその状態で堅忍することを、誤りなく確信できます」。「問:すべての真の信者は、自分たちが今、恵みの状態にあることと、自分たちがやがて救われることとを、いつでも確信していますか。答:恵みと救いについての確信は、信仰の本質に属するものではないので、真の信者も、それを得るのに長い間待ったり、それを享受した後にも、種々の心身の不調、罪、誘惑、神による一時的見放しにより、それが弱められたり、とぎれさせられることがあります。しかし彼らは、彼らが完全な絶望に沈んでしまわないようにする神の霊の臨在と支えがないままに放置されることは決してありません」。
 これらの教えは通常「救いの確かさ」と言われるもので、ウェストミンスター信仰基準を生み出した「ピューリタン」(日本語では「清教徒」とも訳されます)と呼ばれる信仰の流れの代表的な教えです。救いの確かさはただただ三位一体の神の主権的かつ無償の自由なる愛に基づくのですが、それでも聖霊は私たちの信仰生活の現実の中で、自らの救いの確かさを見つめることを得させてくださり、長い生涯の間に信仰のアップダウンを経験し、スランプ状態に陥って低空飛行を続けるような時があったとしても、それでも私たちが救いの望みを失ってしまうことがないように、聖霊による励ましを与え続けてくださるのです。ですからもし私たちが自らの救いを疑ってしまうような時にこそ、私たちは私たちのために十字架に命を捨ててくださった主イエス・キリストを仰ぐべきであり、このキリストを賜るほどの愛を注いでくださった父なる神を崇めるべきであり、この救いの恵みを今も証しし続けていてくださる内に住みたもう聖霊の神に信頼すべきなのです。その時に私たちは自らのうちに心から「キリストを信じ、キリストの御前に全き良心をもって歩もう」と願う自らの姿を見出すことができ、それこそが私たちの救いの確かさを証しする何よりの証言であるということができるのです。

 



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