祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解27

「私たちが神の子どもと呼ばれるために、−事実、いま私たちは神の子どもです。−御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。」(Iヨハネ3:1-2)

(1)子とされることの幸い
 前回から、主イエス・キリストが成し遂げてくださった贖いの御業のゆえに、今、主を信じる者に聖霊によって与えられる救いの恵みについて学び始めました。その第一のものであった「義認」に続いて、今回は「子とされること」の恵みについて学ぶことにいたします。第34問を読みましょう。「問:子とされることとは、何ですか。答:子とされることも、神の一方的恵みによる決定です。それによって私たちは、神の子らの数に入れられ、神の子らのあらゆる特権に権利を持つものになるのです」。義認の教えが、神の法廷での無罪判決の決定という、どちらかというと少々堅い捉え方であるのに対して、今回取り上げる「子とされること」は父なる神と私たちとの分かちがたい愛の交わりを表す恵み豊かな教えとなっています。
 実はこの「子とされること」の教えは、ウェストミンスター小教理問答を含めて、信仰告白、大教理の三部作ならなるウェストミンスター信仰基準の一番の特色と数えられるものです。学んでみればそれが聖書の中でどれほど大切な教えであるかが分かってくるのですが、教会の長い歴史の中で培われてきた救いの教え(救済論)の伝統を振り返ってみると、義認の教えとこの後に続く聖化の教えは絶えず強調され続けてきましたが、子とすることの教えはそれほど重視されてきたわけではありませんでした。私の手元にあるいくつかの教理の書物を見ても、「子とすること」という項目を立てて、この教えを取り扱うものはほとんどありません。そのような中で小教理を含むウェストミンスター信仰基準がこの教えを重視していることは、とても大切なことと思われます。しばしばウェストミンスター信仰基準はその記述の仕方の印象から冷たく取っつきづらい教理の本という印象を持たれがちなのですが、少なくとも主イエス・キリストにある救いの恵みを私たちに知らせようとする点においては、それを単に頭で知識として理解させるということのみならず、それにともなう喜びや感謝を心から実感できるような、実に行き届いた書き方がされていると言えるのです。

(2)子とされるために
 ここで「子とされること」と訳されている言葉は、もともとは「養子縁組をする」という意味の言葉です。そこでは本来は神の子でなかった者が、今や神の子どもとされているということが意味されています。では私たちはどのようにして神の子とされることができるのでしょうか。そのためには何が必要なのでしょうか。冒頭で開いたヨハネの手紙一3章に「私たちが神の子どもと呼ばれるために、・・・御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう」と記されていました。ここで注意したいのは、神の子どもとされるために私たちが何かをした、というのでなく、「御父がすばらしい愛を与えてくださった」と記されていることです。これは先に学んだ第33問でも、そして今日の第34問、続く第35問でも出てくる「神の一方的(無償の)恵みによる決定」という表現のもとになる御言葉ですが、義と認められることも、神の子とされるのも、いずれも神の愛の御業なのです。
 そもそも「子とされること」とは受け身のことであって、私たちが父なる神の気に入られるように努力し、振る舞ってそのような立場や身分を獲得するというようなことではありません。私たちが神の子とされるために必要なことはただ一つのことです。ヨハネはすでに福音書の中でこう記していました。ヨハネ福音書1章12節。「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」。また使徒パウロもガラテヤ3章26節でこう言っています。「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです」。このように、本来は神から遠く離れて罪の奴隷であった私たちを、父なる神が無償の愛の中に救いへと選んでくださり、御子イエス・キリストが十字架によってその救いを成し遂げ、聖霊の神がその救いを私たち一人ひとりに当てはめて、主イエスへの信仰を与えてくださることによって、今や私たちを神の子として迎え入れてくださり、「それによって神の子らの数に入れられ、神の子らのあらゆる特権に権利を持つもの」としてくださっているのです。

(3)子とされることの恵み
 聖書が私たちを神の子にすると教えるとき、そこで意味されていることは「神の子らのあらゆる特権に権利を持つものになる」ということをも含んでいます。ローマ書8章17節に「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人でもあります」とあるとおりです。では私たちが父なる神から相続することの許される特権とはどのようなものなのでしょうか。この点について小教理問答よりもさらに詳しく、内容豊かに記すウェストミンスター信仰告白第12章を最後に読んでおきたいと思います。この一つ一つの言葉をよく味わうことで、私たちが今、確かに神の子とされていることの恵みをますます覚えて、その特権を感謝し、喜ぶものでありたいと思います。
 「義とされるすべての者を、神はそのひとり子イエス・キリストにあって、また彼のゆえに、子とする恵みにもあずかるものとされる。それによって、彼らは神の子らの数に入れられ、その自由と特権を受け、神の御名をその上に記され、子たる身分を授ける霊を受け、大胆に恵みの御座に近づき、アバ父と呼ぶことができるようにされ、あわれみをこうむり、守られ、備えられ、親から受けるように神から懲らしめられ、しかし決して捨てられず、それどころか、あがないの日のために証印され、永遠の救いの相続人として、いろいろな約束を受け継ぐ」。

 



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