祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解25

 「しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。」(IIテサロニケ3:13-14)

(1)有効召命とは何か
 前回から、キリストのあがないがどのようにして私たちに分け与えられるかという主題について学び始めました。これは父、子、聖霊の三位一体の神のうち、聖霊なる神の御業にかかわる教えであり、教理の言葉で言えば「救いについての教え」すなわち「救済論」と呼ばれるものです。そこで今回は、聖霊の神があがない主キリストと私たちとを結びつけてくださる「有効召命」という教えについて学んでおくことにします。第31問を読みましょう。「問:有効召命とは、何ですか。有効召命とは、神の御霊の御業です。これによって御霊は、私たちに自分の罪と悲惨とを自覚させ、私たちの心をキリストを知る知識に明るくし、私たちの意志を新しくするという仕方で、福音において一方的に提供されるイエス・キリストを私たちが受けいれるように説得し、受けいれさせてくださるのです」。「有効召命」とはあまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、その意味するところは私たちが信仰に導かれる経緯を思い起こせば、深く納得できるものです。すなわち有効召命とは、小教理問答が教えるように、私たちが自分の罪と悲惨とを自覚し、キリストを知る思いに導かれ、この主イエス・キリストを信じ、従っていこうとする決断に至るすべての道筋が聖霊の神の招きと導き、そして具体的な促しによることであり、しかもそれらが決して無駄に終わることがないという確かな導きであることを指しているのです。
 ヨハネ6章44節、45節で主イエス・キリストはこう言われました。「わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。預言者の書に『そして、彼らはみな神によって教えられる。』と書かれていますが、父から聞いて学んだ者はみな、わたしのところに来ます」。このように私たちが主イエス・キリストのもとに導かれることができるのは、父なる神が私たちを召し、その召しを聖霊の神が私たちひとりひとりのもとに、確実に、そしてそれぞれに相応しい仕方でもたらしてくださるからにほかならないのです。これに先立つ6章37節で主は言われます。「父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません」。この主イエスのお約束の確かさを保証してくださるのが、聖霊の神による有効召命の御業であって、聖霊は私たちの内に働いて、この召しに答える信仰を与えてくださるのです。ピリピ2章13節に次のように言われているとおりです。「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです」。
 この神のみこころは、恵みにあふれたよきみこころです。先の第31問の答えで「福音において一方的に提供されるイエス・キリスト」とありますが、これは他の訳では「無償で提供される」となっています。確かに主イエス・キリストの救いへの招きは私たちに無償で提供されるのであり、しかもそれが無償で提供されるために、その背後に主イエス・キリストのいのちという多大な代償が払われていたことを忘れてはならないでしょう。

(2)有効召命に伴う祝福
 続く第32問では、救いに召された者たちに与えられる祝福がいかなるものであるかについて教えられます。「問:有効召命されている者は、この世で、どんな祝福を分け与えられますか。答:有効召命されている者は、この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます」。
 ここで小教理問答が「義認、子とされること 聖化 この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福」と教えるように、聖霊によってもたらされるキリストのあがないの御業は、私たちの「救いの全体」と「生の全体」に及ぶ大いなるものであることが分かります。「救いの全体」ということでいえば、これがキリスト教教理でいう「救済論」の中身ですが、「義認」、「子とされること」、「聖化」ということですが、これらはこれ以降、第33問で「義認」、第34問で「子とされること」、第35問で「聖化」についての教えが語られていくことになります。また「生の全体」ということでいえば、救いにあずかった者がこの世で受ける祝福については第36問で、死の時に受ける祝福については第37問で、そして復活の時に受ける祝福については第38問で教えられていくようになります。こうして見ると、聖霊の有効召命により、キリストのあがないにあずかり、キリストと結び合わされた私たちに与えられる祝福がどれほど大きくまた広く、包括的なものであるかが分かってくるのではないでしょうか。主イエス・キリストの救いにあずかるとは、私たちの生と死の全体を貫く、人生丸ごとの祝福なのであって、これほどの確かな恵みはないのです。
 最後に、小教理問答は第32問で「有効召命されている者は、この世で、どんな祝福を分け与えられますか」と問いますが、他の訳では「どのような益にあずかるか」となっています。この「祝福、益」と訳される言葉は「利益、恩恵」を意味する言葉であり、父なる神が主イエス・キリストのあがないにより、聖霊の有効召命を通して私たちに与えてくださるものは、私たちにとっての「益」であるというのです。こう聞いて思い起こすのは、以前に学んだハイデルベルク信仰問答の「益を問う」という特色です。小教理問答が作られた17世紀のイングランドは、国王と議会が対立し、政治的、宗教的な対立が激しい時代でした。そのような中で神学者会議が開かれていたのですが、その外では国王軍と議会軍が戦いを繰り広げる状況があり、信仰の事柄がまさに生の問題、いのちの問題と直結するという時代状況にあったのです。そういう中で主イエス・キリストの救いにあずかることが、この世での祝福、益であり、またこの世だけでなく死と復活においても祝福、益であることを語ることの背景に、この教えにそって聖書の福音を確かな慰め、励ましと受け取った教会、信仰者たちがいたことを思い起こしておきたいと思います。ハイデルベルク信仰問答が「生きるにも死ぬにもただ一つの慰め」を問い、それが「私たちが主イエス・キリストのものとされていること」と答えたのと同じ、信仰の確信がここにも確かに横たわっているのです。

 

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.