祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解23

 「キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神はキリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。」(ピリピ2:8-9)

@キリストのへり下りと高挙の状態
 あがない主キリストの果たされる預言者、祭司、王の三重の職務の学びの締め括りとして、今回は第27問と第28問を通して、キリストのへり下りの状態と高挙の状態ということについて学んでおきたいと思います。まず第27問を読みましょう。「問:キリストのへり下りは、どの点にありましたか。答:キリストのへり下りは、次の点にありました。キリストが生まれられたこと、それも低い状態であられたこと、律法のもとに置かれたこと、この世の悲惨と神の怒りと十字架ののろいの死とを忍ばれたこと、葬られたこと、しばらく死の力のもとに留まられたことです」。続いて第28問を読みます。「問:キリストの高挙は、どの点にありますか。答:キリストの高挙は、次の点にあります。キリストが三日目に死人の中からよみがえられたこと、天に昇られたこと、父なる神の右に座しておられること、終わりの日に世をさばくためにこられることです」。
ここで取り上げられるキリストのへり下りと高挙の状態とは、先の第23問で「キリストは、私たちのあがない主として、預言者、祭司、王の職務を、へり下りと高挙とのどちらの状態においても果たされます」と言われたことを受けています。そしてこれまで学んできたキリストの預言者、祭司、王としての職務は「へり下りと高挙のどちらの状態においても果たされる」と言う時の「へり下りと高挙の状態」とはいったい何を指すのかをこれらの問答が言い表しているのです。まず「へり下りの状態」については、「キリストが生まれられたこと、それも低い状態であられたこと、律法のもとに置かれたこと、この世の悲惨と神の怒りと十字架ののろいの死とを忍ばれたこと、葬られたこと、しばらく死の力のもとに留まられたこと」と説明されます。つまりここで言われていることは、神の御子イエス・キリストが人として、しかも最も貧しく小さい者の姿となって地上に来てくださったこと、私たちが本来受けるべき罪の裁きとしての十字架の死にあずかってくださったこと、葬られ、よみにまでくだられたことを指しています。このように、人となられ、十字架の死にまでも従われた主イエス・キリストのお姿を小教理問答は「へり下りの状態」と言い表しているのでした。次に「高挙の状態」については、「キリストが三日目に死人の中からよみがえられたこと、天に昇られたこと、父なる神の右に座しておられること、終わりの日に世をさばくためにこられること」と説明されます。ここで言われていることは、十字架の死にまで従われた主イエス・キリストが、三日目に復活され、今はすべてのものをその足の下に従わせる力と権威と栄光とを持って天の父なる神の右に座し、そしてやがてその力をもって裁きをなすために再びこの地上にお出でになることを指しています。このように、復活され、天へと挙げられた主イエス・キリストのお姿を小教理は「高挙の状態」と言い表しているのでした。

A律法との関わりにおける謙卑と高挙
 このように、キリストのへり下りの状態(謙卑)の極みは十字架の死において表され、高められた状態(高挙)の極みは天の父なる神の右に座しておられることにおいて表されていますが、しかしここで小教理が教えていることは、単にそのような天上と地上の状態という場所的な意味にとどまるものではありません。人として来られた地上の主イエス・キリストもそこにおいて預言者・祭司・王の職務を果たされ、神の子の権威を力ある業を通して証しされていましたし、挙げられた主イエス・キリストも天において預言者・祭司・王としての職務を今も果たされて、私たちのためにとりなしていてくださる謙遜なお姿を示していてくださるのです。こうして考えてみると、キリストのへり下りと高挙の状態というのは繰り返すように主イエスの御生涯における場所的な意味ということでの区分だけではないことが分かってきます。むしろここで重要なことは、主イエスの謙卑と高挙の二つの状態を何に照らしてとらえるかであって、その焦点となるのが第27問の「律法のもとに置かれた」という言葉なのです。ガラテヤ書4章4節、5節に「しかし定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を、女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました。こうれは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです」とあるように、聖書は御子イエス・キリストの受肉を律法との関わりでとらえており、小教理問答もまたこの聖書の教えに従って、主イエス・キリストのお姿を律法との関わりにおいて理解しているのです。
 すなわち本来なら律法を人間に命じる側におられるはずの神の御子が、わざわざ律法の要求のもとにある状態となってくださり、そればかりか、律法を守ることのできない人間の身代わりとなって、裁きとしての十字架の死にまでも徹底的に服従してくださったことを指して「へり下りの状態」と呼び、こうして律法の要求を全うして死に打ち勝ち、全き勝利を得て、もはや律法の要求から私たちを解放してくださったことを指して「高挙の状態」と言っているということなのです。このようにキリストの「へり下りと高挙の状態」とは律法を軸にした関わりを表しており、そのいずれの状態においてもキリストは三重の職務を果たしておられる。それが小教理問答の教えるキリストの贖い主としての職務ということになるのです。ある先生がこのことをたとえて、学校の入学試験に合格するまでの状態と、もう試験に合格しているので入学試験から自由になった状態と言っています。そうすると、主イエスは私たちのために神の国の入学受験の苦しみに身代わりとなって耐えてくださっただけでなく、合格をも身代わりとして私たちのために得てくださったということになるでしょう。私たちは、主イエス・キリストが私たちの身代わりとなってくださったというとき、それを十字架のことだけに限定してとらえがちですが、こうしてみると私たちは主イエスの高挙の恵みにも結ばれているのであって、主イエスが律法の要求を満たしてそこから解放された、その真の自由に私たちも今やあずかる者とされているということなのです。

 



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