祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解21

 「そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。」(ヘブル2:17)

(1)あがない主キリストの祭司職
 第23問で、あがない主キリストの果たされる職務が、預言者、祭司、王の三重の職務であることを学び、さらに前回の第24問ではキリストが御言葉と御霊において神の御心を明らかにしてくださる預言者であられることを学びました。そこで今回はキリストの祭司としての職務について学ぶことにします。まず第25問を読みましょう。「問:キリストは、どのようにして祭司職を果たされますか。答:キリストが祭司職を果たされるのは、神の正義を満足させて私たちを神に和解させるために、御自身をいけにえとしてただ一度ささげられたこと、また私たちのためにとりなし続けてくださることにおいてです」。
 旧約聖書における一般的な祭司の務めとは、民の代表として律法に定められた礼拝祭儀をつかさどり、そこにおいて民の罪のためのとりなしの儀式や犠牲の奉献をおこなうことによって主なる神の怒りをなだめ、御前に民の罪の赦しを求め、神と人との間の和解のためにとりなしをすることと言うことができるでしょう。旧約聖書においてはまさに祭司たちがくり返しくり返しこれらの儀式を執り行うことで民は罪の赦しを受けて生活を続けることができたのです。しかし今や神の御子イエス・キリストが全き祭司として、神の義の要求を満たし、神との和解のためのとりなしの御業を果たしてくださったこと、また今も果たし続けていてくださることを、小教理問答は明らかにしています。

(2)完全ないけにえとして
 しかし贖い主イエス・キリストは単に旧約の祭司職に並ぶお方ではありません。むしろイエス・キリストが全き祭司であられることの類い希なるお姿は、「御自身をいけにえとしてただ一度ささげられたこと」に表されています。この点を小教理問答の証拠聖句でもあるヘブル書の御言葉で確かめておきたいと思います。まずヘブル書9章11節から14節には次のように記されます。「しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。もし、やぎと雄牛の血、また雄牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう」。この御言葉は旧約のレビ記4章3節以下に定められた罪の贖いのための犠牲についての規定と、民数記19章2節から10節に記された汚れからの浄めについての規定が下敷きになっていますが、旧約においては祭司はいけにえの動物を犠牲として捧げることによって罪の贖いと浄めを願い求めるのに対して、全き祭司なる主イエス・キリストは、実に御自身が罪なき完全ないけにえの犠牲となって十字架の上に御自身を捧げてくださったことにより、永遠の贖いを成し遂げてくださったのです。
 さらにヘブル書10章10節から14節にはこうあります。「このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。また、すべての祭司は毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえをくり返しささげますが、それらは決して罪を除き去ることができません。しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、それからは、その敵がご自分の足台となるのを待っておられるのです。キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです」。つまり、旧約においては罪のための贖いととりなしは犠牲の奉献がくりかえし行われることによって遂行されたのですが、今や主イエス・キリストが完全な一回きりの犠牲となってくださったことにより、今や私たちの罪に対する完全な解決が成し遂げられているのです。まさに御子イエス・キリストは祭司として私たちの罪のためにとりなしてくださるのみならず、罪の赦しを得させるための贖いの犠牲として御自身を完全ないけにえとしてささげてくださった、まさに神の小羊であられるのです。

(3)とりなし続けてくださる主
 全き祭司なる贖い主イエス・キリストは犠牲としてささげられただけではありません。主イエスは十字架の後、三日目に死人の中から甦り、天に昇り、今や全能の父なる神の右の座に着かれておられます。そしてこの御座において、今も私たちのためにとりなしを続けていてくださるというのです。ヘブル書7章24節、25節。「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」。このようにキリストは今も変わることのない祭司の務めを果たしつつ、私たちのためにとりなしていてくださるお方です。それゆえに私たちは救いにあずかり罪の赦しを与えられてなお、日々罪との戦いの中で痛み、時に敗北を繰り返す弱い存在でありますが、それでもなお私たちのためにとりなし続けていてくださる主イエス・キリストのゆえに、恐れつつも大胆に主の御前に進み出ることが許されている。この恵みの事実を、ヘブル書4章14節以下の御言葉によって深く確信させていただきたいと思います。
 「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司であられる神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を固く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」。

 



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