祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解19

 「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」(ヘブル7:24-25)

(1)あがない主キリストの職務
 主なる神は、堕落によって罪と悲惨の状態の中にあった私たちをそのまま滅びるままにされることをよしとなさらず、「ひとりのあがない主」によって、私たちを罪と悲惨の状態から救い出してくださるという恵みの契約を結んでくださいました。そして第21問では、この「ひとりのあがない主」こそが、永遠に神でありつつ人となられた主イエス・キリストであられることが教えられたわけです。そこで今日はこのあがない主の果たされる務めについて考えます。第23問を読みます。「問:キリストは、私たちのあがない主として、どういう職務を果たされますか。答:キリストは、私たちのあがない主として、預言者、祭司、王の職務を、へり下りと高挙とのどちらの状態においても果たされます」。
 ここでまず覚えておきたい大事な点は、あがない主キリストが果たされる御業を「職務」として理解するということです。あがない主キリストの御業を職務として理解するということは、主イエス・キリストが地上に来られ、そこで全うされた生涯と、あがないの御業の中心である十字架と復活とが、父なる神によって与えられた職務の行使であり、遂行であることを意味しています。つまりあがないは主イエス・キリストのアイデアとして御自身の意志によって行われたというよりも、あくまでも父なる神の救いの御心の、御子イエス・キリストによる実行であるということなのです。それは「キリスト」という呼び名に注目するときにより明らかになります。「キリスト」とは、旧約聖書の「メシヤ」を意味する呼び名です。「メシヤ」とは「油注がれた者」ということですが、旧約聖書にはある人が主なる神から特別の務めに任じられる時に、頭に油を注ぐという儀式が行われました。祭司の任職や王の任職、そして預言者の任職においても油注ぎは行われています。これらのことを受け継いで、主なる神がお立てになる最も偉大な「油注がれた者」こそが、旧約において預言され、新約において成就した神の御子イエス・キリストであられるのです。主イエス・キリストご自身も「油注がれた者」としての自覚の中に生きておられたことは、ルカ福音書4章において語られた公生涯での最初の説教がイザヤ書61章から語られ、これについて「きょう、この聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました」と言っておられることからも明らかです。

(2)あがない主キリストの三重の職務
ではこのように父なる神からの油注ぎを受けて、あがない主としての務めを果たされる主イエス・キリストが担われる具体的なお働きとはどのようなものなのでしょうか。小教理問答はこれを三つの職務として教えています。すなわち「預言者、祭司、王の職務」ということです。これはまさに先ほど見た旧約聖書における油注がれた務めに対応するものであり、しかもそれが単に地上の役割ということに留まらない、私たちの救いに関わる務めであるということが特に重要な点なのです。主イエス・キリストの御業を旧約聖書の務めの理解に基づいて整理したのは宗教改革者カルヴァンですが、小教理はこのカルヴァンの理解を受け継いでこのように教えているのです。
 これらの一つ一つの職務の意味するところについて、預言者職については第24問、祭司職については第25問、王職については第26問で扱われることになりますが、ここでは主イエスがこのような務めを果たされることの意味深さについて学んでおきたいと思います。通常「預言者、祭司、王」の職務をまとめて「キリストの三職」という言い方をします。しかしより厳密に表現するとこれらは「キリストの三重職」というのがふさわしいのです。つまりキリストはある時は預言者の役割を果たし、ある時は祭司、ある時は王としての職務を果たすということや、これらの職務は時間の順序で最初に預言者、次に祭司、最後に王というように果たされたということでもなく、絶えずこれら三つの職務は切り離されず、一つに結びついた職務として果たされるということを覚えておきたいと思います。

(3)へりくだりと高挙において
 以上の点を表現する興味深い教えが「へり下りと高挙とのどちらの状態においても果たされます」という部分です。「へり下りと高挙」についての詳細は続く第27問、28問で教えられますが、神の御子が人となってこの地上に来てくださり、十字架の死にまで服してくださったことに表される主イエスの謙遜の状態と、復活され、今は天の父なる神の右の座にあることに表される主イエスの栄光の状態とを意味してます。別の言い方をすれば主イエス・キリストの復活の前の姿と後の姿と言ってもよいかも知れません。
 いずれにしてもここで大切なのは、あがない主イエス・キリストは地上にあった時も、天に挙げられた後も、絶えず等しく「預言者、祭司、王」としての職務を果たされ、そして今も果たし続けておられるということです。冒頭に開いたヘブル書7章24節、25節で「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです」と教えられている通りです。まことにあがない主イエス・キリストはかつても今も、とこしえに変わらずに私たちのあがないを成し遂げてくださる唯お一人の救い主、あがない主であられるのです。

 



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