祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解18

 「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:14)

(1)唯一のあがない主
主なる神は堕落によって罪と悲惨の状態の中にあった私たちをそのまま滅びるままにされることをよしとなさらず、「ひとりのあがない主」によって、私たちを罪と悲惨の状態から救い出してくださるという恵みの契約を結んでくださいました。この「ひとりのあがない主」がいかなるお方であるのかを説明するのが今日の第21問です。まずこの問答を読んでおきましょう。「問:神の選民のあがない主とは、どなたですか。答:神の選民の唯一のあがない主は、主イエス・キリストです。このかたは、神の永遠の御子でありつつ人となられました。それで、当時も今もいつまでも、二つの区別された性質、一つの人格をもつ、神また人であり続けられます」。
ここで小教理問答は私たちを罪と悲惨の状態から救い出してくださるお方は唯お一人、主イエス・キリストのみであられることをはっきりと断言します。私たちは自分の力によって己れを義とすることはできず、また主イエス・キリスト以外に救いを求めることもできません。ただ主イエス・キリストだけが私たちの罪からのあがない主であられます。この消息をハイデルベルク信仰問答の第13問から第15問の助けを借りて確認しておきましょう。「第13問:しかし、わたしたちは自分自身で償いをすることができますか。答:決してできません。それどころか、わたしたちは日ごとにその負債を増し加えています。第14問:それでは、単なる被造物である何かがわたしたちのために償えるのですか。答:いいえ、できません。なぜなら、第一に、神は人間が犯した罪の罰を他の被造物に加えようとはなさらないからです。第二に、単なる被造物では、罪に対する神の怒りの重荷に耐え、かつ他のものをそこから救うことなどできないからです。第15問:それでは、わたしたちは、どのような仲保者また救い主を求めるべきなのですか。答:まことの、ただしい人間であると同時に、あらゆる被造物にまさって力ある方、すなわち、まことの神でもあられるお方です」。このようにハイデルベルク信仰問答は、私たちの罪を償い、私たちを滅びの中から救うことができるのは私自身でもなく他の被造物でもなく、「まことのただしい人間であると同時にまことの神でもあられるお方」であると言いました。このことをより詳しく言い表したのが小教理問答の次のくだりです。「このかたは、神の永遠の御子でありつつ人となられました。それで、当時も今もいつまでも、二つの区別された性質、一つの人格をもつ、神また人であり続けられます」。

(2)二つの性質、一つの人格
小教理問答はここで「ひとりのあがない主」なるイエス・キリストが、まことの人であられ、同時にまことの神であられるとハイデルベルク信仰問答が言い表した教えを、さらに踏み込んで「当時も今もいつまでも、二つの区別された性質、一つの人格をもつ、神また人であり続けられます」と言い表します。これはキリスト教信仰において三位一体論と並んで重要な教理であるキリストの「二性一人格論」を教える箇所です。主イエス・キリストは永遠に御子の唯一の人格の中に神としての御性質と人としての御性質を持っておられるというこの教えは、古来、教会がさまざまな異端的な教えとの戦いの中で確立してきた大切な教えでありました。
 そもそも古代教会における問いの出発点は「十字架にかかったあのナザレのイエスとは何者なのか」ということでした。キリスト教信仰とはまさにこの十字架のイエス・キリストを神の御子、私たちを罪から救ってくださる救い主メシヤと告白する信仰です。けれどもこの告白が教会の中でしっかりとした言葉で言い表され、教会の公同の信仰として確立していくまでには多くの論争が繰り返された歴史があるのです。ある人々は主イエスが神であられることを否定し、人間イエスに神の力が宿って大いなる働きをさせ、しかし最後にはその力は取り去られたと考えたり、またある人々は主イエスの人であられることを否定して、地上の主イエスは神の姿の仮の現れに過ぎないと教えたり、あるいは神が一時的に人間の姿を装って振る舞ったに過ぎないというような考えを主張したりしてきました。そこでこれらのいずれの立場をも斥けて、キリストの二性一人格論を決定づけたのが紀元451年のカルケドン公会議において制定されたカルケドン信条です。そこでは次のように告白されています。「主は真に神であり、真に理性的霊魂と肉体とからなる人である。神性によれば御父と同質、人性によれば主はわれらと同質、罪をほかにしてすべてにおいてわれらと等しくありたまい、神性によればすべての時代の前に御父より生れ、人性によればこの終りの時代に、われらのためにまたわれらの救いのために、神の母である処女マリヤより生れたもうた。この唯一のキリスト、御子、主、ひとり子は、二つの本性において混合されず、変ることなく、分割されず、分離されずにあるものとして認められなければならない」。このようにカルケドン信条はキリストの神性と人性の関係を「混合せず、変化せず、分割せず、分離せず」という四つの否定の言葉で言い表したのでした。

(3)人となられた神
 このようにカルケドン信条を読んでから、小教理問答の続く第22問を読んでみると、いかにこの問答が古代教会の信仰理解にのっとっているかが一目瞭然にわかります。「問:キリストは、神の御子でありつつ、どのようにして人になられたのですか。答:神の御子キリストが人になられたのは、聖霊の御力によって処女マリヤの胎に宿り、彼女から生まれながらも、罪はないという仕方で、真実の体と理性的霊魂をおとりになることによってでした」。永遠の神の御子が、その神性を持たれたままに真の人としてこの地上に来てくださった。まことにクリスマスにおいて起こった大いなる奥義がここに端的に言い表されているのです。クリスマスを控える今日、私たちは御子の受肉の事実を、単に神秘的な出来事として情緒的に受け取るのではなく、このことが私たちの罪と悲惨からの救いのために必要な神の深い御心であったことを覚え、処女マリヤに宿り、貧しい馬小屋に生まれてきてくださった御子イエス・キリストの誕生がどれほどの恵みにあふれた救いの出来事であったのかを、信仰的に、また教理的にもしっかりと理解しておきたいと思います。

 



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