祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解17

 「ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は『子孫たちに』と言って、多数を指すことはせず、ひとりをさして、『あなたの子孫に』と言っておられます。その方はキリストです。」(ガラテヤ3:16)

(1)罪と悲惨の状態から救いの状態へ
 これまで最初の人間の堕落によって全人類に及んでいる罪と悲惨の状態について学んできましたが、いよいよ今日のところからは、そのような状態から神が恵みによって私たちを救ってくださる贖いの御業について学ぶことになります。まず第20問を読みましょう。「問:神は全人類を、罪と悲惨の状態のうちに滅びるままにされましたか。答:神は、全くの御好意によって、永遠の昔から、ある人々を永遠の命に選らんでおられたので、彼らと恵みの契約を結ばれました。それは、ひとりのあがない主によって、彼らを罪と悲惨の状態から救助して、救いの状態に入れるためです」。ここに「恵みの契約」という言葉が出てきます。これはすでに学んだ第12問の「いのちの契約」(業の契約)に対応する言葉ですが、それが意味するところはいったいどのようなことなのでしょうか。
 創世記3章では、人間の堕落の様子が語られた後、主なる神の蛇に対する裁きの言葉が記されます。そこで注目されるのが3章15節の御言葉です。「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫とおんなの子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく」。これは後に女から生まれるお方によってサタンに対する勝利が語られる、いわゆる「原福音」と呼ばれるところです。神によって造られた最初の人間は、神との間に「いのちの契約」(業の契約)の関係に置かれていました。しかし人間はその契約に背いて罪の中に堕落したのでした。ところが主なる神は、神との契約に違反して罪と悲惨の中に陥った人間が、そのまま罪と悲惨の状態のうちに滅びるままにされることをよしとされず、そこから救い出してくださるために、人間が堕落したその直後に、女の子孫から出る「ひとりのあがない主」による罪からの救いの御心を定めていてくださったというのです。そしてこの約束がその後、ノア、アブラハム、モーセ、ダビデたちとの間にどんどん更新されていき、ついに御子イエス・キリストの到来とその贖いの御業によって成就したという、この新しい約束を指して小教理問答は「恵みの契約」と呼んでいるのでした。ちなみに大教理問答の第30問では今日の箇所を次のように記しています。「問:神は全人類を、罪と悲惨の状態のうちに滅びるままにしておかれるか。答:神はすべての人を、普通にわざの契約と呼ばれる最初の契約の違反によって陥った罪と悲惨の状態のうちに滅びるままにしておかれず、その全くの愛とあわれみのゆえに、選民をそこから救い出し、普通に恵みの契約と呼ばれる第二の契約によって、救いの状態に入れられる」。このように主なる神との間に結ばれた第一の契約である「いのちの契約」(業の契約)に続く「第二の契約」、これを「恵みの契約」と呼ぶのです。

(2)神の選び
 恵みの契約の中心は、神が「全くの御好意によって、永遠の昔から、ある人々を永遠の命に選んでおられた」という、いわゆる神の選びにあります。選びの教理はとても大切な教えであり、同時になかなか十分に理解することの難しいところですが、小教理問答はこれを三つのポイントにまとめて説明しています。その第一は「全くの御好意によって」ということ、第二は「永遠の昔から」ということ、そして第三は「ひとりのあがない主によって」ということです。これらのポイントを考える際に重要なのがエペソ書1章4節、5節の御言葉です。「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです」。ここでまず「全くの御好意によって」とは、神の選びが全く神の主権に基づく自由なわざでったことを示しています。しかもそれは神の好意、喜びの御意志によるのであって、私たちに対する救いの意志は、神の私たちに対する愛に根ざしていることがわかるのです。次に「永遠の昔から」とは、この神の選びが私たちの側の何らの選ばれるべき理由によらない無条件的な選びであることを意味しています。まさに「世界の基の置かれる前から」の選びであって、神の好意にあずかるに相応しい者であるからとか、神の役に立てる者であるからとか、神に選ばれるべき何かしらの基準の満たしている者であるからとか、そういった私たちの側の何かしらのものに一切よらない、そして選ばれる価する者となるであろうことを神が予知していたということにもよらない、全くの無条件的な選びであることを意味しているのです。

(3)ひとりのあがない主
 そして第三が「ひとりのあがない主」による選びと言うことです。これはエペソ書1章4節が「世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び」と語った、まさに「キリストにある選び」ということです。この点をより明確にするのは大教理問答の第31問です。「問:恵みの契約は、だれと結ばれたか。答:恵みの契約は、第二のアダムとしてのキリスト、また彼にあって、彼の子孫としてのすべての選民と結ばれた」。第一のアダムによって罪に堕落した人間を贖い出すために、第二のアダムとしてのキリストが立てられたのです。しかもここで注意したいのは「恵みの契約は、第二のアダムとしてのキリストと結ばれた」と言われる点です。これはウエストミンスター信仰基準の特徴的で重要な教えです。この地上の歴史が始まる前、永遠の御心の領域において、すでに主なる神はキリストとの間に私たちを贖うための恵みの契約を結んでいてくださった。それが歴史の中に現れたのが創世記3章以降の旧約聖書の歴史だというのです。ですから地上における恵みの契約の進展とひとまず区別するために、この永遠において結ばれた父なる神と御子イエス・キリストとの間の恵みの契約を、神学の用語では「贖いの契約」と呼ぶことになっています。
 ともかく、ここで大切なことは、主なる神はまず御子イエス・キリストを「ひとりのあがない主」として選ばれ、このキリストにあって私たちを救いの中に選んでくださったと言うことです。このことをある先生は「芋づる式」と言っています。神は永遠において私たち一人一人をバラバラに選ばれたのでなく、皆がキリストにあって、キリストに結ばれた者として、ちょうどお芋が蔓を切らなければ一本引っ張るとずるずると皆つながって抜けるように、私たちも皆、恵みの契約のかしらなるキリストに結ばれて、キリストにあって救いに入れられている。このことをまずしっかりと覚えておきたいと思います。

 

 



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