祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解16

 「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の欲の中に生き、肉と欲の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。」(エペソ2:1-3)

(1)罪と悲惨の状態
 前回に続いて人間の罪について学びます。まず第17問を読みましょう。「問17:堕落は、人類をどんな状態に落としましたか。答:堕落は人類を、罪と悲惨の状態に落としました」。最初の人アダムが神との契約に違反して堕落した結果、すべての人間は創造の状態から堕落してしまいました。この創造の状態から堕落してしまった人間の次なる状態を指して、小教理は「罪と悲惨の状態」と表現します。では罪と悲惨とはそれぞれどのような状態を意味するのでしょうか。罪については次の第18問で「アダムの最初の罪の罪責を負うていること、原義を失っていること、人の性質全体の腐敗つまりいわゆる原罪があること、そこからあらゆる現行罪が生じていること」と説明し、悲惨については第19問で「堕落によって神との交わりを失いました。今は神の怒りとのろいの下にあり、そのため、この世でのあらゆる悲惨と死そのものと永遠の地獄の刑罰との責めを負わされています」と説明していきます。
 以上の点をもっとも赤裸々に語っているのが冒頭のエペソ書2章の御言葉です。神の御前に堕落した人間は罪の中に死んでいる者であり、悪しき力の支配のもとに隷属し、神の御怒りを受けるべき存在であると御言葉は語ります。しかもなお悲惨なことには、そのような罪の中に死んでいる当の本人が「歩んでいました」、「生き、行い」とあるように、その自覚を持っていないということなのです。罪の行き着く先は神の怒りと永遠のさばきであるという厳粛な事実を知らないこと、ここに罪に堕落した人間の悲惨さがあらわれていると言えるのではないでしょうか。

(2)原罪と現行罪
 堕落した人間の「罪と悲惨の状態」について、まず第18問ではその罪性が取り上げられます。「問18:人が堕落した状態の罪性は、どの点にありますか。答:人が堕落した状態の罪性は、次の点にあります。すなわち、アダムの最初の罪の罪責を負うていること、原義を失っていること、人の性質全体の腐敗つまりいわゆる原罪があること、そこからあらゆる現行罪が生じていることです」。人間の罪について、まず小教理はこれをアダムの罪責を引き継いで、本来、神の御前に与えられていた祝福の状態(原義)を失い、その結果として人間の性質全体に罪の腐敗が及んでいることであると説明します。これがいわゆる「原罪」と言われるものです。人はみな生まれながらにして罪人であり(詩篇51:5、エペソ2:3)、神の御前に正しい者は一人もありません(ローマ3:10-12)。私たちはしばしば罪をその重さや深さで図りますが、聖書は一貫してこれを神との関係でとらえます。神との本来あるべき正しい関係が破綻していることが罪なのであり、その罪の結果、私たちの性質全体に罪の影響は及んでいるのであり、そこから私たちが日々繰り返すあらゆる種類の罪が生まれてくるのであって、小教理はこれを今も繰り返されている「現実の違反(現行罪)」であると言います。私たちが自覚する罪は神との関係の破綻に起因しているということです。以上の教理を「全的堕落」と言い、私たちは生まれもって全く罪の影響の下にあると教えられます。以前に学んだハイデルベルク信仰問答はこの罪の性質を「神と自分の隣人を憎む方へと生まれつき心が傾いている」と表現しましたが、この定義はまさに罪に堕落した私たちの本質をとらえた表現と言えるのです。

(3)神の怒りのもとに
 さらに第19問ではこの罪が陥れる私たち人間の悲惨な状態について次のように教えます。「問19:人が堕落した状態の悲惨とは、何ですか。答:全人類は、堕落によって神との交わりを失いました。今は神の怒りとのろいの下にあり、そのため、この世でのあらゆる悲惨と死そのものと永遠の地獄の刑罰との責めを負わされています」。罪がもたらす人間のもっとも悲惨な姿とは「神との交わりを失った」ということでした。創世記3章8節から10節にこう記される通りです。「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。『あなたは、どこにいるのか。』彼は答えた。『私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました』」。このように神の約束に背いて堕落した最初の人アダムとエバが、神の恐れ、その御顔を避けてエデンの園の木の陰に身を隠して以来、人は神の御前に失われた者となり、その交わりは断絶してしまったのです。そしてその結果、人は神の怒りとのろいの下にあり、祝福と恵みは悲惨と死と、さらには永遠の地獄の刑罰へと変えられてしまったというのです。パウロはこの罪がもたらす人間の悲惨を繰り返し教えています。確かに私たちは「生まれながら御怒りを受けるべき子ら」(エペソ2:3)であり、その行き着く先にある結論は「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)と断言されるとおりなのです。
 しかし幸いなことに、続く第20問以下では、神は私たち人間がこの罪と悲惨の状態野のままに捨て置かれることがないように、恵みと憐れみに富んだ特別のお取りはからいをしてくださったことを教えていきます。先の御言葉も続くエペソ2章4節では「しかし、あわれみ豊かな神は・・・」とあり、ローマ書も6章23節後半で「しかし、神の下さる賜物は・・・」と続くのです。これほど大きな「しかし」はありません。この翻りの恵みをしっかりと受け取っていきたいと思います。

 



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