祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解12

 「主はご自分のすべての道において正しく、またすべてのみわざにおいて恵み深い。」
                                 (詩篇145:17)

(1)摂理−神による保持と統治
 第11問を読みましょう。「問11:神の摂理の御業とは、何ですか。答:神の摂理の御業とは、神が、最もきよく、賢く、力強く、すべての被造物とそのあらゆる動きを保ち、治めておられることです」。先の第7問、第8問で見たように、主なる神が私たちのために十分に熟慮され、それによって立てられた永遠のよき御心を「聖定」と呼び、その聖定は創造と摂理の御業を通して実行されると小教理問答は教えてきました。今回取り上げる神の摂理の御業について、私たちがまず第一に覚えるべき点は、創造主なる神は、御自身が造られた世界を今も保ち、治めておられるということです。すなわち、摂理の御業とは創造主なる神による被造物に対する「保持」と「統治」の御業ということになるのです。
 17世紀から18世紀にかけて主にイギリスで論じられた思想に「理神論」(Deism)と呼ばれるものがあります。これは神の人格的存在としての神を否定する考え方ですが、今の私たちの関心から見ると、神の創造は認めつつも摂理の御業を否定する考え方としてもとらえられるものです。すなわち神は確かに天地を創造したかも知れないが、その後の世界はそこにある自然法則に従って自律的に活動しているのであって、もはやそこに神は介在しないというのです。こうして結局の所、人格的存在である創造の神御自身を否定することに行き着くのが理神論の思想でした。しかし創造主なる神は、今、ここに存在する世界とそこに生きる私たちと全く関係なく切り離されてしまっているわけではありません。主なる神は今も生きて働いて、私たちの日々の生活にも関心を寄せ、私たちの祈りを聞き、御自身の最善の御心を今、なし続けていてくださるのです。
 これは主イエスご自身が山上の説教でお語りくださった大切な真理です。マタイ6章28節から30節にはこう記されています。「なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたによくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち」。また主イエスは同じマタイ10章29節から31節で、弟子たちに次のようにも語ってくださっていました。「二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかしそんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。またあなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。だから恐れることはありません。あなたがたはたくさんの雀よりもすぐれた者です」。

(2)きよく、賢く、力強く
 小教理問答は神の摂理について述べるにあたり、その保持と統治の御業が「最もきよく、賢く、力強い」ものであると言い表しました。摂理の教えはしばしば運命論や宿命論のような一方的で暴力的な力の支配として誤解して受け取られることがありました。しかしこの教えを理解する上で重要なのは、私たち造られた世界を導いておられるのは「機械仕掛けの神」ではなく、生ける真の神、人格的な存在として、私たちを愛し、私たちと交わりを持ち、私たちを導いておられる神であられるということです。この生ける神が、私たち造られた世界に対して関わりを持ち、この世界を保ち、治めていてくださるのであり、しかもその際に、神が持っておられる御心とその実現のための具体的な御業は「最もきよく、賢く、力強い」と小教理問答は語るのです。
 この教えを支えている御言葉の一つである詩篇104篇24節にはこうあります。「主よ。あなたのみわざはなんと多いことでしょう。あなたは、それらをみな、知恵をもって造っておられます。地はあなたの造られたもので満ちています」。この世界とそこにあるすべてのものは神の知恵と御力のあらわれと言えるのです。しかも、神がこの世界に実現される御心に込められた「きよさ、賢さ、力強さ」は神御自身の御性質として御自身に帰されるばかりでなく、その摂理の中に生かされていく私たちに対する「きよさ、賢さ、力強さ」であることを覚えたいと思います。神が御自身の摂理に基づいて「きよく、賢く、力強く」導いていかれるあらゆる事柄は、神御自身にとってそうであるばかりでなく、その摂理によって導かれ生かされていく私たちにとっても「最もきよく、賢く、力強い」ものなのであって、私たちの歩みを最も確かなものとして導いてくださり、それをもって創造と摂理の神の栄光を表し、神を喜んで生きるための私たちのために御心であるのです。
 私たちは「御心を教えてください」と祈ります。しかし実際に生きていく上では必ずしもすべてが神の御心と受け入れることのできるものばかりではありません。「神よ、なぜ、どうして」という問いが浮かぶこともしばしばです。けれども、それでもなお私たちが神の摂理に信頼して生きることができるのは、私たちの信じる神が、天地万物の創造者にして、それを今も御自身にとっても私たちにとっても「最もきよく、賢く、力強い」御心によって導いておられる生ける神であられ、私たちのために一番良いことをしてくださるという愛の神への信仰があるからにほかなりません。私たちは神が良きことをしてくださるから神を信じるのではなく、神を信じるからこそ、神がなさることは最善であると信じることができるのであって、この順序を逆転させてしまってはならないのです。神のなさる「こと」のゆえの信頼でなく、ことをなさる「神」を信頼すること。これが創造と摂理の神を生けるまことの神として信じ、崇め、信頼して生きる私たちの信仰の歩みなのです。

 

 



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