祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解11

「互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」(コロサイ3:10)

(1)人間の創造
 最初に第10問を読みましょう。「問10:神は人を、どのように創造されましたか。答:神は人を、男性と女性に、知識と義と聖において御自身のかたちにしたがって創造し、被造物の支配を託されました」。創世記1章によると、創造の第六日に被造物の最後に造られたのが人間です。人間は神の創造の冠とされ、あらゆる被造物の中でも特別な位置を与えられています。詩篇8篇3節から5節に次のように記される通りです。「あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。あなたは、人を、神よりもいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶせられました」。このように聖書において人間は他の被造物から卓越した存在として位置付けられており、その存在には特別の関心と配慮が寄せられていることがわかるのです。

(2)神のかたち
 ではそのような人間存在の特別さはどこに由来するのでしょうか。そこで出てくるのが聖書の人間観の最も基礎となるべき「神のかたち」の教えです。創世記1章26節、27節に次のように記されています。「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう』と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」。ここで「かたち」と言われるのは神に私たちのような手足や顔、口があるといったような外形的なかたちがあるということを意味しているわけではありません。むしろ小教理問答が「知識と義と聖において」と述べるように、それは神御自身の固有な御性質に似せて人間が創造されたことを意味しています。「知識と義と聖」とは言い換えるならば人間に与えられている知性と道徳性、そして宗教性と呼ぶことができるでしょう。人間に与えられている知性は他の被造物を圧倒して類い希なるものです。そしてその知性を正しい方向で用いるために善悪を判断する基準となるべき道徳性も与えられています。しかし人間に与えられた神のかたちのうちで最も重要であり、かつ最も固有なものが宗教性です。人間だけが神を求め、神に祈る存在です。神はそのように人間を本来的に神を求める存在としてお造りになったのであり、人間は全て神を求める飢え渇きを有しています。けれどもこの本来造り主のもとにあって初めて得ることのできる宗教的な満足を、他の神々に求めること。本来の神に向かうべき信仰がねじれてしまって他の者に向かうこと。それが聖書の語る偶像礼拝の本質でもあるのです。
 さらに小教理問答は神のかたちを「知識と義と聖において」と言い表すに当たり、コロサイ3章10節、エペソ4章24節を引照聖句に掲げます。コロサイは冒頭に記しましたが、エペソ4章24節はつぎのようになっています。「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした」。この二つの御言葉は神のかたちである「知識と義と聖」が私たちにおいて成就するのはキリストの贖いによって新しい衣を着せられた「新しい人」においてであると語ります。神のかたちに似せて創造された人間はその後、罪の中に堕落したために神のかたちを損ない(毀損)、すべてが創造の本来の祝福から全く背いてねじれた存在となってしまいました。しかし神は御子イエス・キリストの十字架の贖いを通して私たちの罪を赦し、新しい人、神の子どもとして、御自身の知識と義と聖とを身にまとう者としてくださったというのです。こう考えるならば、人間の救いが神のかたちに創造された人間本来の姿への回復であり、なおかつ、神のかたちの完成、成就でもあるという恵みの事実を知ることができるでしょう。

(3)人間の使命
 こうして神のかたちに創造された人間には、神から与えられた固有な使命が委ねられています。小教理問答はこれを「被造物の支配を託されました」と表現しましたが、創世記1章28節には「神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。『生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配させよ』」とあり、先ほどの詩篇8篇の6節にもこう記されます。「あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました」。このような被造物を支配し、耕し、守り、治める役割を指して「文化命令」と呼ぶことがあります。人間には神の造られた世界を正しく治める責任が委ねられているのです。この場合、「支配する」という意味をどのように理解するかが重要です。この世界の創造者、所有者、支配者はいうまでもなく創造ぬしなる神御自身であられます。私たち人間はこの神から被造物の統治を委ねられた「しもべ」(スチュワード)であって、主人から与った財産を正しく管理し、治める責任を委ねられ、最後にはこの世界を主なる神の御手にお返ししていくのです。
 ですから私たち自身がこの世界に対して自らを神のように錯覚し、暴君のように振る舞うことは本来許されていないことです。今日、環境破壊の問題が深刻化する中で、その悪の根源を西欧のキリスト教的な社会に結びつける論調がありますが、それは人間の罪が生んだ結果であって、聖書の本来の教えは人間が暴君のようにこの世界を自分たちのほしいままに振る舞うことを許してはいないのです。私たちは神の前に謙遜になって、神が委ねてくださったてこの世界を正しく治める役割を忠実に果たしていくことが求められているのです。

 

 



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