祈祷会
ウエストミンスター小教理問答講解10

「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」(ヘブル11:3)

(1)神による創造
 第9問を読みます。「問9:創造の御業とは何ですか。答:創造の御業とは、神が、すべてのものを無から、力ある御言葉により、六つの日にわたって、万事はなはだよく造られたことです」。前回の第8問では、この神の聖定が私たちの世界において実行されるのは「創造と摂理」を通してであるということを学びました。神がこの世界を創造され、それを今も保ち、統べ治めておられる。このことの中に三位一体の神の熟慮による永遠の決意に基づいた確かな御心が実現しているというのです。そこで今回は三位一体の神の「創造の御業」について学んでおきたいと思います。
 私たちは神の創造がどのようになされたのかを旧約聖書の創世記1、2章の記述を通して知ることができるのですが、小教理問答はこの創世記の記述を大変簡潔な言葉にまとめて言い表しています。それをさらに項目化してみると次のようになるでしょう。すなわち第一に「無からの創造」、第二に「言葉による創造」、第三に「六日間の創造」、そして第四に「よき創造」ということです。しかしそもそもの大前提となるのは、この世界は偶然の積み重ねによって独りでに出来上がったのではなく、神によって創造されたという事実であり、この事実を私たちが知り、信じ、受け入れるのは、まさに冒頭のヘブル書11章3節が語っているように「信仰によって」のことなのです。

(2)創造の御業
 以上のことを踏まえて、神の創造の御業を先の項目に沿って考えてみたいと思います。まず第一は「無からの創造」ということです。神の創造は何か原料や素材を用いてなされたことではありません。神は何物にもよらず、全く無からその世界をお造りになりました。「見えるものが目に見えるものからできたのではない」と言われる通りです。このことは神の創造の御業によらずにできたものは何一つないことを示しており、神が万物の創造者であられ、また始原者でもあられることをあらわしていいます。では原料や素材によらない創造の御業はどのようにして行われたのか。それを明らかにするのが第二の「言葉による創造」ということです。「この世界が神のことばで造られた」と言われる通りです。神のことばは存在をあらしめ、生かすことばです。創世記1章3節で「神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた」と記されるように、神だけが言葉をもって無から有を生じさせることのできるお方です。さらに私たちはこの神のことばがやがて具体的にかたちをとってこの地上にお出でになった姿をヨハネ福音書1章を通して知っています。その方こそが「いのちのことば」なるお方、イエス・キリスト御自身であられます。
 第三に、私たちが創世記を通して教えられる創造の御業は「六日間の創造」ということです。神は第一日目に光を、第二日目に大空を、第三日目に海と陸、植物を、第四日目に天の星々を、第五日目に海と空にある生き物を、そして第六日目に陸の生き物、そして最後に人を男と女とに創造されました。このように神は一度にすべてではなく、段階を追って徐々にこの世界を造り上げ、整え上げていかれたのです。このことにはいくつもの含蓄的な意味が込められていると思いますが、一つには最後に造られた人間への神の特別なご配慮ということがあるでしょうし、今ひとつには後に学ぶ神の「摂理の御業」がすでに創造の一日目から発揮され始めていたことをあらわしているとも言えるでしょう。そして第四に挙げられるのが「よき創造」ということです。創世記1章は神の六日間にわたる創造の御業を記しながら「神は見て、それをよしとされた」との言葉を繰り返し(12,18,21,25節)、六日間の創造の終わりを記す31節では「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった」と記しました。神の造られた世界はよきものである。この大いなる事実を私たちははっきりと覚えておきたいと思います。

(3)神の栄光のため
 最後に神の創造の目的ということを考えたいと思います。そこで手がかりとしてまず小教理の第10問に対応する大教理問答の第15問を見ておきます。「問:創造のわざとは何であるか。答:創造のわざとは、神がはじめに、その力ある御言葉によって、無から世界とその中にあるすべてのものを、御自身のために、六日間に、すべてはなはだよく造られたことである」。これを小教理と読み比べてみると、小教理にはない一つの言葉、すなわち「御自身のために」という一句が加えられていることに気づきます。さらに証拠聖句として箴言16章4節の「主はすべてのものをご自分の目的のために造り・・・」という御言葉が引かれています。つまり世界の創造は神が御自身のためになされた御業であって、まさに神の主権的な自由による恵みの産物であるといえるのです。
 しかも「御自身のために」ということをさらに深く考えるならば、イザヤ書43章7節の御言葉に行き着くでしょう。「わたしの名で呼ばれるすべてのものは、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った」。このように神は御自身の栄光のためにこの天地万物を創造されたのであり、被造物は神の栄光を表すために存在するのです。カルヴァンはこの世界を「神の栄光の劇場」と呼びましたが、まさに神によってよきものとして造り出されたこの世界は、造り主なる神の栄光を表すことをもって最もよくその美しさと尊厳とを表すことができるのです。万物は神の栄光に向かって方向付けられるときに、真にその存在の価値をあらわすのであって、まさしく「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません」(Iテモテ4:4)と語られる通りなのです。

 

 



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