テモテへの手紙一講解その23    2019/06/02
『楽しませてくださる神』

Iテモテ6:17-19

 今晩は、テモテへの手紙一の締め括りの御言葉から、富を頼みとし、富に支配される生き方から、むしろ私たちにすべての物を豊かに与えてくださる神に望みをおく生き方へと転換を促す御言葉にご一緒に聴いてまいりましょう。

(1)自由と喜びに生きる
 今晩開かれている御言葉の、特に17節、「私たちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神」。このフレーズはこれまで幾度となく紹介してきた、私にとっても、そしてこの教会の皆さんにとっても、大事な御言葉です。私たちの信じ、従う神さまは、私たちを「楽しませてくださる神」である。ある意味で新鮮な驚きをもたらす神理解ですが、しかしとても大事な神理解でもあるのです。
 この教会のキャッチフレーズになっていると言ってもよいと思います。「自由と喜び」ということ。これは私がこの教会に赴任した2000年の秋以来繰り返し語り続けてきたことです。このことを私自身が深く教えられたのは、神戸改革派神学校の恩師であった牧田吉和先生を通してでした。先生の書かれた『喜びに満ちたカルヴィニズム−改革派信仰における〈喜びの神学〉の構築』という論文を読み、また先生のゼミでオランダの神学者ファン・ルーラーという人の論文を読み進める中で、神ご自身が喜びの神であり、この神さまが私たちを喜び、この被造世界全体を喜んでおられるということを深く教えられました。これによって自分の信仰が大きく変わったと言えます。そうしてあらためて聖書を読み進めていったときに、それまで気づかなかった神さまのお姿が少しずつ見えてくるようになりました。その中で出会った御言葉の一つが今日の6章17節の御言葉でした。
 また水曜の祈祷会で数年ぶりにウェストミンスター小教理問答を学び始めていますが、先日も、有名な第1問、「人間の主要な目的は、神の栄光をたたえ、永遠に神を喜ぶこと」という教えを通して、まさに神を喜ぶことの源泉は、神ご自身が喜びの神であり、私たちが神を喜ぶのは、神が私たちを喜んでくださっているその喜びこだまなのだと学びました。このように私たちを喜び、私たちを楽しませてくださる神にあっての私たちの生き方が、今日の御言葉で語られているのです。

(2)神に望みを置いて
 17節から19節。「今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神の望みを置き、善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、来るべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい」。
 この箇所は、直接的にはすでに豊かな富を築いている人々に対して語られた者ですが、豊かな時代に生きる私たちが、置くべき価値観を学び取るべき重要な箇所でもあります。パウロの勧めは二つです。一つは「高慢にならないように」、今一つは「頼りにならない富に望みを置かないように」です。この二つの禁止命令を通して、人々の陥りやすい価値観が示されます。では、私たちは何に望みを置いて生きるべきなのか、それは「私たちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように」ということでした。「富に」ではなく、「神に」です。それは富を否定することではありません。与えられた富に望みを置くのでなく、与えてくださる神に望みを置くようにとの、祝福の根元にさかのぼる勧めなのです。それは言い換えれば「生きている」から「生かされている」への転換です。所有することへの欲望から、所有されていることへの安心への転換です。自己中心から神中心への転換です。私たちは、この恵み深い神様を信じる時に、人生の大転換を遂げることが出来るのです。
 こうして神に望みを置く人生は、私たちの価値観に大変革をもたらします。地上の富に勝る富を得ることによって、富への態度が変わるのです。パウロはそれを四つにまとめて示します。「善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え」る生き方への転換です。それが単に地上の生涯に終わるものでなく、「来るべき世において立派な土台となるものを自分たちのために蓄え、まことのいのちを得るように」と命じられているのです。私たちは自分自身のために生きる人生から、隣人のための人生に招かれています。ところが隣人のために生きることから、それがもう一度私のためというところに帰ってくるのです。しかしそれは単なる反復ではない。むしろ地上の望みから、天国の望みへと大きく引き上げられているのです。天に望みを置く人生、永遠に基礎を置く人生です。天国とか永遠とか、クリスチャンはおめでたいとお思いでしょうか。けれどもまことの命の基礎を築き上げよ、と正面切って教える教えが他にあるでしょうか。それでも富が人生の基礎と言い続けるのでしょうか。そこに人生の選択が迫られています。
  
(3)楽しませてくださる神
 神の望みを置き、来たるべき世を意識して生きることは、現実から逃避して楽観的な夢物語に生きることではありませんし、この世を儚んで刹那的な生き方に没頭することでもありません。終末的な生に生きることは、地に足の着いた歩みであるはずです。そして神と共に生きる人生は、悲壮感溢れるものでなく、楽しんで生きることのできる道なのです。
 先日、牧田先生から一冊の本が送られてきました。先生がライフワークとして取り組んでおられる改革派教義学の終末論の巻でした。神学校でこの講義を聞けたことは、教義学の一分野を学んだと言うこと以上に、自分自身の信仰の実存に深く影響を与えるものでした。子どものころから死が怖く、十代の時の肉親との死別とその後の歩みの中で、絶えず「死」を意識してきた者として、言ってみれば「ああ、これでちゃんと死ねる」と思ったわけです。「ちゃんと死ねる」と思えたら、「これで生きていける」と確信も与えられた、そんな幸いな経験でした。私たちも普段の話し言葉で、自然な振る舞いで、みことばに生きるものでありたいと願います。楽しませてくださる神に導かれての今日からの歩みとなりますように。

 

 



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