テモテへの手紙一講解その21   2019/05/12
『富以上のもの』

Iテモテ6:9-10

 今晩は、引き続き当時のエペソ教会を揺るがしていた偽教師たちへの警告の言葉から、富の誘惑の問題と、それを越えて余りあるほどの、価値ある福音の豊かさについて教えられてまいりましょう。

(1)誘惑と罠と欲望と
 9節「金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります」。前の4節、5節で、偽教師たちの正体を「高慢になっていて、何一つ理解しておらず、議論やことばの争いをする病気にかかっている」、「知性が腐って真理を失い、敬虔を利得の手段を考える者たち」であったと指摘したパウロは、そこからテーマを広げて、信仰者と富との関係について論じています。
 このパウロの語り口は、決して「金持ち一般はこういうものだ」という客観的な、評論家然とした言い方とは思えません。また自分を切り離して一歩退いたところから、あるいは一段高いところから語っているとも思えません。ピリピ書4章12節で彼はこう言っています。「私は、貧しくあることも知っており、富むことも知っています。満ち足りることにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています」。つまりパウロにとっては貧しさと窮乏の中で感じる苦しさ、惨めさとともに、豊かさの中で感じる富の誘惑、それが引き寄せる罠の恐ろしさもまた身をもって知っていたことでしょう。だからこそ偽教師たちはもちろんのこと、彼らに惑わされて富の誘惑と罠にはまり、愚かで有害な多くの欲望に陥っていく人々に対して、痛みと憤りを覚えながらこの言葉を書いているのだと思うのです。
 ここで、「誘惑と罠と、・・・欲望に陥る」と言われる順序に注目したいと思います。「誘惑」とは、いわば私たちの外からやって来るもの、そして「罠」とはそれによって私たちを絡め取るもの、そして「欲望」はそれを自らの内に迎え入れてしまう、私自身の中にあるものです。この誘惑と罠、それを呼び込む欲望。これらから全く無関係でいられる人は一人もありません。確かに偽教師たちの存在はまさに人々にとって誘惑であり、その背後にはサタンの巧妙な罠がありました。しかしだからといって人々は単なる犠牲者かというと、彼らの中にも愚かで有害な多くの欲があったということになる。そしてそれは私たちにとっても決して他人事ではない。この認識から始めなければ、私たちはこの御言葉の語るメッセージを受け取る事はできないでしょう。

(2)金銭を愛すること
 こうしてパウロは、金銭の持つ誘惑と罠の力を知るものとして次のように戒めます。10節。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人は金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し通しました」。この「金銭を愛することが、あらゆる悪の根」という言い回しは、その当時の地中海世界一帯で広く用いられていた格言だったと言われます。しかしそのような世間一般の戒め、格言以上に、この問題の本質はそれに続く言葉に言い表されています。「ある人は金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し通しました」。ここでは実際に教会の交わりから離れて行った、あの1章20節のヒメナイとアレクサンドロ、あるいは二テモテ1章15節のフィゲロとヘルモゲネ、2章17節のピレト、4章10節の「今の世を愛し」たデマスといった人々のことが念頭に置かれていたでしょう。そしてそのように信仰から迷い出て行ってしまった人々のことを思う時のパウロの心は、二コリント11章29節が語るとおりであったと思うのです。「だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまずいていて、私は心が激しく痛まないでしょうか」。

(3)富以上のもの
 旧約以来、聖書は一貫して富や物質的繁栄を否定することをしません。働いて得た報酬で生活を営み、楽しむこと、富を所有し、蓄積することが人間生活におけるある種の祝福であることも事実です。その意味では、繰り返すように聖書の価値観は決して地上のものを否定する禁欲主義ではありません。しかしその一方で、人間がいかに金銭の誘惑に陥りやすいものであるか。富の力がいかに人間を支配するものになるか。そして時には富、マモンの力が神の位置に相並ぶほどの偶像になるかということについて、聖書が繰り返し警鐘を鳴らしていることも事実です。主イエスご自身がマタイ福音書6章24節で「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません」と言われるとおりです。
 ここで私たちは「日用の糧を与えたまえ」、「日ごとの糧を今日、与えたまえ」と祈るようにと教えてくださった主のお心を思い起こしておきたいと思います。私たちは金銭を無用として生きる訳ではない。神を信じて生きる営みは、霞を食べて生きるものではありません。しかし私たちの日々の生活を成り立たせるのは、私たちが主に仕えて生きるために必要な糧、経済も食べ物も、着る物も住まいも、必要なものはすべて主なる神さまご自身のお心遣いと配慮の中でちゃんと備えられていくという確信です。そして何よりも、私たちが富の罠と誘惑から守られる最大の秘訣は、富以上のものを与えられているという確信です。「私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています」。捨てたものと得たものの価値判断を見誤ることがないように、いつでもキリストの富にこそ目を向ける信仰の歩みを全うさせていただきましょう。

 



日本同盟基督教団 徳丸町キリスト教会
〒175−0083
東京都板橋区徳丸6−24−10
TEL 03−3935−3405
FAX 03−3935−3445

メールでのお問い合わせ
管理人


Copyritht ©The Evangelical Alliance Mission Tokumarucho Christ Church All Rights Reserved.