テモテへの手紙一講解その17    2019/03/17
『尊敬と責任』

テモテ5:17-21

 今晩は、教会に立てられた大切な務めである「長老」に対して、主にある者たちがとるべき態度についての御言葉の勧めからともに教えられてまいりましょう。

(1)長老職への尊敬
 やもめたちに対する保護と配慮を教えたパウロは、続いて長老の務めに対する態度について教えていきます。すでに3章で教会における監督の務め、執事の務めについて教えられていましたが、ここでは信徒たちが長老の務めにある者に対してどのように接するべきかが教えられていきます。17節、18節。「よく指導している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです。聖書に『脱穀をしている牛に口籠をはめてはならない』、また『働く者が報酬を受けるのは当然である』と言われているからです」。
 ここでパウロは「よく指導している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい」と勧めていますが、これはテモテに向けた勧めという体裁をとりつつ、むしろ周囲の人々にテモテに対する遇し方を示唆した言葉と言えるでしょう。「みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです」とあるように、ここでの長老というのは教会の牧師のことを主に指しており、年長の信徒たちに囲まれ、困難な問題に対処しながらもなかなか年の若さのゆえにその権威を重んじてもらうのに苦慮していたテモテへのアシストのような意図が込められていたように思えます。しかもここでの「二倍の尊敬」とは、続く18節とのつながりで考えると、働きに対する報酬のことを指していたようです。パウロ自身は天幕職人として働きながら伝道と牧会の務めに励んだ人ですが、同時に教会が働き人を支えることの大切さをも教えていたのです。
 もとより、3章で語られていた監督の資質の中には「金銭に無欲」とある通り、教会の務めは報酬目当てのものではあってはならないでしょう。それでいて「聖職者たるもの清貧に甘んじるべき」として伝道者たちの生活への配慮がなされないのも問題です。このことにおいて、毎年の総会前の予算編成において役員会が牧師、伝道師に十分な配慮をしてくださり、また総会において教会の皆さんがそのような予算案を承認してくださり、また実際に物心両面において私たちの生活を支えていてくださることを心から感謝しています。

(2)聖書の権威
 さて、ここで少し本筋から離れますが、大事なポイントに目を留めておきたいと思います。18節でパウロは、長老への尊敬の根拠を「聖書に『脱穀をしている牛に口籠をはめてはならない』、また『働く者が報酬を受けるのは当然である』と言われているからです」と記して、二つの言葉を引用します。「脱穀をしている牛に口籠をはめてはならない」は申命記25章4節のモーセの言葉、『働く者が報酬を受けるのは当然である』はマタイ10章10節やルカ10章7節で主イエスが語られた言葉です。
 ここで興味深いのは、パウロが申命記の言葉と主イエスの言葉を並べて「聖書」と呼んでいる事実です。ここから一世紀の初代教会において、すでに旧約聖書とともに主イエスの語られた言葉の伝承、それはすでに文書化されたものもあれば、まだ文書化に至っていないものもあり、また福音書としてまとめられたものもあれば、その素材のような口伝集であったかもしれませんが、ともかくそれらが新約の文書も「聖書」と呼ばれるほどの権威を認められていたことを意味しているのです。実際には、テモテへの手紙が書かれた時代にマタイやルカの福音書が成立していたかは微妙です。しかし福音書がいまだ成立していなかったとしても、主イエスが語られた言葉は教会においてきちんと記録され、受け渡されて、そして教会によって旧約と同等の権威を持つものとして受け入れられていたと言う事実は、私たちの「聖書は66巻」という基本的な聖書観、正典論を考える上で重要な証言と言えるのです。 

(3)長老職の責任
 さて本題にかえって、長老職への尊敬に続き、今度は長老に対する訴えが出された場合の処理という、その責任の重さを実感させられるようなテーマが取り上げられます。19節から21節。「長老に対する訴えは、二人か三人の証人がいなければ、受理してはいけません。罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。そうすれば、ほかの人たちも恐れを抱くでしょう。私は、神とキリスト・イエスと選ばれた御使いとの前で、あなたに厳かに命じます。これらのことを先入観なしに守り、何事もえこひいきせずに行いなさい」。
 3章で語られた長老の資質には、「非難されるところがない」とあったことからも、訴えがなされること自体が、長老職の本質に関わる重大事でしょう。訴えが出された場合の対応については有名なマタイ18章に基づいて勧められています。しかしその様なプロセスを経た上で、なお悔い改めがなされない場合には、全会衆の前で公に責められるのです。それは、その職が重く、また教会に与える影響も大きいがゆえに、長老の罪が厳正に処理されなければならないことを教えるものです。
 そこで若き牧者テモテに求められるのは「これらのことを先入観なしに守り、何事もえこひいきせずに行な」うことでした。2008年の教団総会で初めて理事に選出され、4月の理事会に出席したとき、会議の冒頭の礼拝で読まれたのが箴言18章17節でした。「最初に訴える者は、相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える」。理事会では様々な難しい案件を扱う。教会からの牧師についての訴えも来る。その時の心構えを教えられたのです。最初に聞いた話しについ引っ張られやすい。公平に、先入観や偏見を持たず、微妙な案件はなおさら安易に同意も否定もせず、単独でなく複数で対応することなど、大切な知恵を教えられたときでした。
 ことは長老職の名誉と本質に関わるがゆえに、そして何よりも自分自身に結びつくがゆえに、慎重に、公正に、しかし厳格に行うことが求められます。若さゆえに、長老を相手にするがゆえに、ということで決して曖昧にされてはならない。ここに私たちは、長老に表すべき尊敬と、長老が負うべき責任を覚えさせられます。誰がこの任に堪えられるでしょうか。教会の祈りは必須なのです。新たに立てられた長老・執事のために、そして牧師たちのために祈る私たちでありたいと願います。

 

 



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