テモテへの手紙一講解その16   2019/03/03
『やもめを大事にしなさい』

Iテモテ5:3-16

 今晩はテモテへの手紙第一5章の、教会におけるやもめへの配慮と保護について語られる御言葉から、教会の中での互いへの配慮のあり方についてともに学んでまいりましょう。

(1)やもめを大事にしなさい
 5章に入って、年配の男性には父親に対するように、若い男性には兄弟に対するように、年配の女性には母親に対するように、若い女性には姉妹に対するように「真に純粋な心で勧めなさい」と、具体的な牧会の心得を語り始めたパウロは、今日の箇所ではさらに踏み込んで、教会の中にいるやもめたちに対する心配りについて教えていきます。
 旧約聖書以来、神の民の中ではやもめ、みなしご、在留異国人に特別の配慮をするようにとの教えが受け継がれていましたが、新約の時代に入っても、教会はこれを大切な課題として受け継いで来ました。実際に当時の社会の中には、病気や戦争によって夫に先立たれたやもめや、多くの場合、夫の側の一方的な理由によって離縁されたやもめたちが数多く存在しており、教会の中にはとりわけそのような人々が多くいたと考えられます。それはそのような社会的弱者にとって教会が最後の拠り所のような役割を果たしていたことの現れとも言えるでしょう。
 その上で、パウロはここでなかなか厳しい言葉を記していきます。基本的な姿勢とその際の留意点ともいうべき言葉が続きます。1節から8節。「やもめの中の本当のやもめを大事にしなさい。もし、やもめに子どもや孫がいるなら、まずその人たちに、自分の家の人に敬愛を示して、親の恩に報いることを学ばせなさい。それが神の御前に喜ばれることです。身寄りのない本当のやもめは、望みを神に置いて、夜昼、絶えず神に願いと祈りをささげていますが、自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても死んでいるのです。
彼女たちが非難されることのないように、これらのことも命じなさい。もしも親族、特に自分の家族の世話をしない人がいるなら、その人は信仰を否定しているのであって、不信者よりも劣っているのです」。ここでパウロはやもめを大事にするという基本姿勢を確認した上で、いくつかの留意点を記します。まず一つ目は教会の支えと助けを必要としているやもめを大事にすること、二つ目はやもめの一番の支え手は家族だということです。ここで「大事にする」というのは「敬う」とも訳される言葉ですが、それは単なる尊敬以上に、具体的な生活への援助をも含むものです。
 その際に、「やもめの中の本当のやもめ」という限定が付けられています。それは5節で「身寄りのない本当のやもめ」、「望みを神に置いて、夜昼、絶えず神に願いと祈りをささげて」いる者と言われています。続く6節で「自堕落な生活をしているやもめ」と言われているように、実際には教会の中で対応に苦慮するようなケースがあったようですが、ともかく本当に助けが必要な人に行き届くための工夫と知恵を当時の教会も求められていたということでしょう。善意だけでは果たし得ない知恵が求められるのが愛の業なのです。

(2)やもめの魂への配慮
 続いて9節から16節。「やもめとして名簿に載せるのは、六十歳未満ではなく、一人の夫の妻であった人で、良い行いによって認められている人、すなわち、子どもを育て、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助けるなど、すべての良いわざに励んだ人にしなさい。若いやもめの登録は断りなさい。彼女たちは、キリストに背いて情欲にかられると、結婚したがり、初めの誓いを捨ててしまったと非難を受けることになるからです。そのうえ、怠けて、家々を歩き回ることを覚えます。ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話さなくてもよいことまで話すのです。ですから、私が願うのは、若いやもめは結婚し、子を産み、家庭を治め、反対者にそしる機会を与えないことです。
すでに道を踏み外し、サタンの後について行ったやもめたちがいるからです。もし信者である女の人に、やもめの身内がいるなら、その人がやもめを助けて、教会に負担をかけないようにしなさい。そうすれば、教会は本当のやもめを助けることができます」。
 今の私たちの感覚でこれらの勧めを読むと、何かしらの違和感や反発を覚える方が多いと思います。実際、今日の神学の世界ではパウロをはじめとするこの時代の女性観、結婚観、家庭観の文化的な傾きや限界が指摘されるところでもあります。また昨今の生活保護を巡る議論などでも、家族がいるなら保護対象から外すような動きがあり、個人の権利としての基本的人権も守られないような現状があることからすると、「やもめは家族が養え」という勧めも、ある留保をもって理解する必要があるでしょう。また若くしてやもめとなった女性の中のある人々の振るまいが、実際に当時の教会や社会において時に波紋をもたらすようなものであったことは事実であるとしても、個別具体の情況を問わずに、このような一方的な言葉が語られてしまうと、そこで居場所を失う人々が生じてしまうことも懸念します。教会に協力的な人、貢献した人を重んじ、そうでない人と差を付けることにも違和感を覚えることもあるでしょう。
 今晩、私たちが心に留めたいのは、教会の交わりというものが、もっとも他に寄る辺の内人々、他に助けや支えのない人々のための最後の拠り所となるよう期待されているということです。ほかに支えの可能性があるならば、そこが支えてくれれば良い。けれども本当に助けのない。支えのない人のための最後のセーフティネットに教会がなるように召されているのではないか、ということです。そしてその際には、単に精神的な支えのみならず、具体的な経済的、物質的な支援が含まれていたことを覚えたいと思います。しかしそれら経済的・物質的な支援があれば事足りると言えるのかと言えば、決してそうではないということが、このパウロの実体験から来る生々しい勧めに表れています。要は一人一人への真の魂への配慮、真の牧会が必要だということです。ある時、一人の方からこんな言葉を言われたことがありました。「シングルマザーで仕事をし、子育てをしながら必死に生きる身にとって、教会はやさしくない」と。今でも心の内にある重い言葉です。実際に教会にはこのような立場にある姉妹方がいます。「やもめを大事にしなさい」とのチャレンジを受けとめていきたいと願うのです。

 



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