テモテへの手紙一講解その14    2019/02/10
『自分自身にも、教えることにも』

Iテモテ4:11-16

 今晩でテモテへの手紙第一4章を読み終えることとなります。パウロのテモテに対する牧会的な勧めの言葉を通して、キリスト・イエスの立派な奉仕者として召命に応えて生きる生き方の原則を、御言葉からともに学んでまいりましょう。

(1)牧会者の人格
 毎年9月に浜名湖バイブルキャンプを会場にして教団の補教師研修会が開かれます。教師になって三年目までの先生方が三泊四日にわたり、様々な講義や演習を通して学びの時を持たれるのですが、私はここ数年三つの講義を担当しています。一つ目は教団の信仰告白について、二つ目は教会戒規について、そして三つ目が教職論というもので、これは教師になって半年の補教師一年時の先生方のクラスで、牧師、伝道者としての基本的なあり方を確認する内容となっています。そこで毎回開く聖書の箇所が二つあります。一つは使徒の働き20章27節、28節で「神のご計画のすべて(全体)」と「自分自身と群れの全体」の二つの「全体」に心を配ること、そしてもう一つが今日のIテモテ4章16節「自分自身にも、教えることにも」よく気をつけることを確認しています。
 このように今日の御言葉は、福音のために召された者たちの中でも、とりわけ伝道者、牧会者たちにとって大切な御言葉なのです。11節。「あなたは、これらのことを命じ、また教えなさい」。6節から10節で、キリスト・イエスのりっぱな奉仕者として「教えること」と「自己鍛錬」の重要性を教えたパウロは、続いてテモテ自身の伝道者、牧会者としてのあり方について説いていきます。そこで最初に取り上げられるのは働き人の人格についてです。12節。「あなたは、年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。むしろ、ことば、態度、愛、信仰、純潔において信者の模範となりなさい」。ここでは年の若さのゆえに「軽く見られないように」ということと、年が若いゆえにかえって「信者の模範になりなさい」と勧められています。若いと言っても当時30代後半から40代にさしかかっていたと言われていますが、恐らく年長者や信仰の先輩の多い教会のなかで、なかなか牧師として認めてもらえない。パウロ先生と絶えず比較されてしまう。それゆえに軽んじられてしまうテモテの苦労が伺い知れます。
 しかしパウロは年の若さのゆえにそこで語られる真理が軽んじられることがないようにと教え、そのために「経験」でなく「敬虔」の必要を説くのです。それは「ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範に」なるということでした。自分を重んじて欲しいといって重んじられるわけではない。人間的な魅力や肩書きや経歴で信頼を得るのでもない。主に従う生き方をもってしか信頼を勝ち取ることができない。生き方によって信者の模範になるように、そうパウロは教えているのです。

(2)牧会者の務め
 次に教えられるのは牧会者の務めについてです。13節から15節。「私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。長老たちによる按手を受けたとき、預言によって与えられた、あなたのうちにある賜物を軽んじてはいけません。これらのことに心を砕き、ひたすら励みなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう」。
 「私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい」とは、パウロが到着したら取って代わられると言う意味ではなく、むしろ少なくともその時を目指してこの務めに専念するようにという意味でしょう。牧会者としてどのような批判や困難に直面しても、これだけは、何としても続けなければならない中心的な務めです。聖書の朗読と勧めと教えは、どれも公的礼拝に密着したものゆえに、牧会者の務めが何よりもまず礼拝に奉仕する者であることが分かります。初代教会でも今日同様に礼拝の中心は聖書の朗読と、その説き明かしでした。このような務めは人間的な資質や経験に基づくものではなく、聖霊の賜物であることが示されます。しかもその賜物すなわち牧会者としての権威と能力は、超自然的なものではなく、御言葉を伴う長老たちの按手によって与えられると言う客観的な手続きを踏んでいるのです。年の若さにゆえに軽んじられていたテモテはもしかすると少し自暴自棄になっていたのかも知れません。しかしパウロはそんな彼に、そのように自らを思うことはかえって聖霊の賜物を軽んじることになると諭しているのです。「これらのことに心を砕き、ひたすら励みなさい。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう」とあるように、務めを務めとして果たすことに専念することこそがテモテに委ねられた責任でした。

(3)自分自身にも、教えることにも
 こうして牧会者の人格と務めという一見区別されるような事柄を語ったパウロは、それらを一つに結び合わせて次のように命じます。16節。「自分自身にも、教えることにも、よく気をつけなさい。働きをあくまでも続けなさい。そうすれば、自分自身と、あなたの教えを聞く人たちとを、救うことになるのです」。
 人格と務め。そのどちらか一方ではない、その両方に「よく気をつけよ」と命じられます。「気をつける」というのは「心を向けること」、「固く保つこと」を意味する言葉です。ここに伝道者、牧会者の人格と教えの不可分な関係が示されます。正しい信仰者なくして正しい教理は立ち得ず、正しい教理なくして正しい信仰の成長はあり得ません。しかも教える者の責任が重大であることは言うまでもないことです。「そうすれば、自分自身と、あなたの教えを聞く人たちとを、救うことになるのです」とは、実に責任重大なことです。教えが人格を通して人々の中に伝えられていく。生きて働くキリスト教信仰の真髄がそこにあります。私たちの生き様が、生けるまことの信仰を指し示していく、そのような福音宣教に結び付く真の敬虔を身に付けさせていただきたいと願います。

 



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