テモテへの手紙一講解その13     2019/02/03
『キリスト・イエスの立派な奉仕者』

Iテモテ4:6-10

 今晩はテモテへの手紙第一の4章から、キリスト・イエスに仕えるしもべの姿をともに学んでまいりましょう。

(1)教えられる人、教える人
 4章に入って、テモテの奉仕するエペソ教会に入り込んでいた「惑わす霊」の働き、「偽りを語る者たちの偽善」の教えに対して、信仰者たちがどのような姿勢で歩むべきかを勧めたパウロは、続いてそのような難しい状態の中にある教会を牧し、導かなければならないテモテに向けて、キリスト・イエスに仕える奉仕者の姿を教えていきます。6節。「これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたは、信仰のことばと、自分が従ってきた良い教えのことばで養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります」。
 伝道者としてスタートして数年経った頃に言われた二つの言葉が、それ以来ずっと心に留まっています。一つはあるベテランの先生が「この頃の若い牧師たちは教えようとしすぎる」というものでした。その先生はいつも少しひねった物の言い方をなさるので、その言葉の真意をなかなか測りかねたのですが、その後になって思うと、信徒の言葉に耳を傾けることや、一人一人の生活を思い巡らすことなく、簡単に上から物を言おうとしすぎる態度を誡められたのだと思います。それとともにもう一つのことは、神学校時代の恩師の先生から言われた「自分自身が学ぶための最良の方法は、誰かに教えることだ。教える奉仕の機会があったら、どんなに大変でも引き受けなさい」というものでした。これもその時は「そんなものかな」と言う程度にしか聞いていませんでしたが、実際に教会で様々な学びの機会を導いたり、神学校の講義を担当するようになったりして、その言葉が本当であったと実感しています。
 パウロはここでテモテに「これらのことを兄弟たちに教えるなら」に続いて「あなたは、キリスト・イエスの立派な奉仕者になる」と言います。教えることで自らが成長させられ、整えられていくのです。CS教師の経験などはまさにそのことを実感する機会でしょう。では何を教えるのか。そして何によって養われるのか。それは「信仰のことばと、「自分が従ってきた良い教えのことば」です。テモテは幼い頃から信仰深い祖母ロイスと母ユニケのもとで育てられてきましたが、そのように自らが養われてきたことばによって、教会を教えよと命じられているのです。ここでの二つの言葉にはそれぞれ冠詞がついて「その信仰のことば・その良い教えのことば」と、ある特定のことを指しており、それはこれまでにも登場してきた「健全な教え」、初代教会において確立していた使徒的な教えを指していると言えるでしょう。しかも「従ってきた」とは「綿密に調べた」と同じ言葉であることから、無自覚的に受け取られた言葉ではなく、テモテ自身が学び、調べ、自ら確信するところとして受け止めている信仰内容と言うことになるのです。これらのことから、キリストのりっぱな奉仕者とは、真理の御言葉に教えられ、かつ教える者であるということが出きるでしょう。

(2)敬虔のための鍛錬
 続いて7節、8節。「俗悪で愚にもつかない作り話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分自身を鍛錬しなさい。肉体の鍛錬も少しは有益ですが、今のいのちと来たるべきいのちを約束する敬虔は、すべての有益です」。キリストの奉仕者は敬虔のために自らを鍛錬する者であることが教えられます。
 信仰における「鍛錬」、「訓練」、「修練」。最近ではあまり聞かれなくなったことばです。神学校教育の現場でも「訓練」という言葉はあまり耳にしません。むしろこのようなことばはかつての日本の精神主義の名残として忌避され、かわって自由さ、主体性、、自分らしく、無理せず、ほどほどに、という価値感が重んじられます。そもそもパウロとテモテのような師弟関係も、今は築きづらい時代かもしれません。その上でなおパウロがテモテに向けて「自分自身を鍛錬しなさい」と言う時、その目的である「敬虔のために」が決定的に重要でしょう。偽教師たちが「果てしのない空想話」に耽って人々を惑わし、自分の知的満足に浸る姿をパウロは「俗悪で愚にもつかない作り話」と言いのけ、キリストの奉仕者は、自らを敬虔のために鍛錬する者でなければならないと教えます。のです。「敬虔」とは2章、3章で学んだように、福音の奥義を宣教することに他なりません。このために自らを鍛えるよう求められているのです。

(3)キリストの奉仕者の希望
 こうしてパウロは9節次のように結論を述べます。「このことばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです」。そして自分を含めてキリストの奉仕者たちの共同の務めに目を向けさせます。10節。「私たちが労苦し、苦闘しているのは、すべての人々、特に信じている人々の救い主である生ける神に、望みを置いているからです」。
 すでに既に救われたキリスト者が自らを鍛錬するのはなぜでしょうか。そこに私たちの「生ける神」への希望があるのです。その希望とは、信じる者を罪から救い、今のいのちと未来のいのちを約束してくださるところの生ける神御自身です。私たちがキリストのりっぱな奉仕者となるべく自己を鍛錬するのは、実にこの永遠のいのちの希望である生ける神を信じるゆえなのです。
 永遠のいのちの希望を持つゆえに、今の毎日を真剣に、自己を鍛錬しつつ生きる。そこにこそキリストの奉仕者の生き様は明らかにされていきます。誤った禁欲による自己のための鍛錬でなく、福音の宣教による他者のための鍛錬が、実は私たちをますます永遠のいのちに生かすのです。パウロは「これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になる」と教えました。隣人に教えること、宣べ伝えることを通して、ますますキリストのりっぱな奉仕者として整えられていくお互いでありたいと願います。

 

 



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