テモテへの手紙一講解その12     2019/01/27
『造られたものはすべて良いもの』

Iテモテ4:1-5

 今晩からテモテへの手紙第一の4章に入ります。今晩も御言葉を通して、私たちの日常の中で信仰の営みをしっかりと位置づけることの大切さを学んでまいりましょう。

(1)偽りの教えへの警告
 4章に入って、パウロは再び1章の冒頭で指摘した「違った教え」に対する対応を記していきます。少しおさらいをしておくと、当時エペソ教会は「違った教えを説いたり、果てしない作り話と系図に心寄せたり」する偽りの教師たちによって教会が混乱させられ、そのために「きよい心と健全な良心と偽りのない信仰から生まれる愛」を見失い、「むなしい議論に迷い込み」、その結果「健全な良心を捨てて、信仰の破船にあい」、教会から離れる者たちが生まれていたのです。
 初代教会において、このような偽教師、偽預言者たちの出現はかつて主イエスがマタイ福音書24章11節で「偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします」、24節で「偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います」と言われたように、「終わりの時代」の顕著なしるしの一つでした。パウロもエペソ教会の現状を、このような終わりの時代の姿と結び付けてこう言うのです。1節、2節。「しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、良心が麻痺した、偽りを語る者たちの偽善によるものです」。
 ここで「良心が麻痺した」という表現を、別の日本語訳聖書は「良心に焼き印を押されている」とします。焼き印が押されているとは、奴隷の身体に所有者によって押される焼き印のことですが、「惑わす霊と悪霊の教えに心を奪われ」ている状態が、一時的な「麻痺状態」に留まらず、むしろその支配下に取り込まれ、所有されてしまっているという、極めて危うい姿であることを表現しているのでしょう。それは「真理の柱と土台である、生ける神の教会」にとっては、その土台を揺るがしかねない事態であり、だからこそパウロはその対応に苦慮するテモテに宛てて、毅然とした対応を促しているのでしょう。

(2)偽りの教えの中身
 続いて彼ら偽教師たちの教えの中身が語られます。1章では旧約聖書についての興味本位な作り話や系図へのこだわりなど、知性を弄ぶような類いの人々が暗示されていましたが、ここでよりはっきりしているのは、当時の地中海世界の支配的な思想であったグノーシス、霊肉二元論的な禁欲主義の影響を受けていたということです。その特徴的な教えが3節前半でこう述べられています。「彼らは結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします」。彼らはグノーシス主義の影響のもとで物質を悪と考えていたようで、結婚を禁じて、それに伴う生殖を否定し、食物を絶つことを命じることで物質世界を否定することを勧めていたようです。このような禁欲を通してより高い次元での知恵を身につけることができるというのが、彼らの目指すところでした。
 肉体を苦しめ、様々な欲望を断つために難行苦行に励むことでより高い人間性に至ることができるというような考えはいつの時代にもあり得るものですし、それを純粋な信仰的行為を位置づける向きもありました。今日でも様々なカルト宗教に若者たちが取り込まれていく背景には、肉体のリアリティをともなう「生きる実感」を得たいという渇望があるように思います。肉体の快楽の追求が行き着く所まで行った時、それが翻って、むしろ痛みを伴う苦の経験のほうに、よりリアルな「生きる実感」を覚えるということがあるでしょう。恩寵の宗教よりも難行苦行の宗教に人々が集まり、福音の教えよりも律法主義の教えに人々が惹かれていく、その背景をよくよく見つめる必要があるように思います。
 
(3)造られたものはすべて良いもの
 このような二元論的で禁欲的な「偽りの教え」に対して、聖書は正しい信仰の姿をどのように教えているのでしょうか。3節後半から5節。「しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人々が感謝して受けるように、神が造られたものです。神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。神のことばと祈りとによって、聖なるものとされるからです」。
 ここでのキーワードは「創造」と「感謝」です。まず「食物は、信仰があり、真理を知っている人々が感謝して受けるように、神が造られたものです」とあるように、私たちに与えられている一切のものは神がお造りになったものと認めること、そして「神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません」とあるように、それら神が造られたものを「良きもの」として感謝して受け取るということです。ここでは直接には食物のことにしか触れられていませんが、結婚のことも同じ範疇で扱われていると理解すべきでしょう。
 そもそも、神さまは天地万物を創造なさったとき、造られた被造物世界を「よしとされた」と創世記は記します。神の造られた世界は良き世界である。これは聖書の世界観の大前提です。それゆえにこの良き世界と、そこにあるすべてのものを享受するとき、そこには感謝が生まれます。感謝とは神さまが良いとされたものを、私たちもまた良きものとして受け取ることと言い表すことができるでしょう。それほどに神さまの創造の御業と私たちのそれへの感謝の関係は密接であり、こうして神に感謝してすべてのものを享受して生きる人が「信仰があり、真理を知っている人」と呼ばれています。それは悪霊に焼き印を押されている人でなく、ガラテヤ6章17節でパウロが言うように「この身にイエスの焼き印を帯びている」人なのです。
 私たちが神に感謝を祈る時、神のくださる良きものすべては「神のことばと祈りとによって、聖なるものとされる」と御言葉は教えます。私たちの毎日の「食べる」という行為を通して、そこでささげられる感謝の祈りを通して、私たちはすべてのものを喜び、神の栄光をあらわして生きる者とされる。そのような日常を今日からまた歩み出してまいりましょう。

 

 



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