テモテへの手紙一講解その1   2018/08/05
『恵みとあわれみと平安』

Iテモテ1:1-2

 今晩から、夕拝ではご一緒にテモテへの手紙を読み進めてまいります。使徒パウロがその伝道者生涯の終わり近くに、愛する弟子テモテに向けて書き送った手紙を通して、神の教会に仕える生き方を学んでまいりたいと思います。

(1)テモテへの手紙について
 テモテへの手紙一、二とテトスへの手紙は、新約聖書に収められたパウロの十三通の書簡の中で「牧会書簡」と呼ばれます。テモテ、テトスという、パウロの後輩伝道者たちに宛てられたもので、教会を牧会する上での心構えや実践的な助言が記されるところからこのように呼ばれています。
 本書の受取人であるテモテについて、使徒16章1節、2節でこう紹介されています。「それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった」。また二テモテ1章5節では「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものです」とあります。パウロは第一次伝道旅行でテモテと出会って信仰に導き、第二次旅行でルステラを再訪した際に彼を伝道旅行に帯同させます。パウロはテモテを「愛する弟子」、「我が子」と呼んで重んじ、しばしば自らの手紙の発信人として、自分の名と並べてテモテの名を記すほどに信頼していました。テモテはパウロの開拓したエペソ教会で牧師として奉仕していましたが、教会に「違った教え」を説く者が入り込み、混乱が生じて、テモテもその対応に苦慮してしまっているのを知ったパウロが、労苦しつつ奮闘する若き牧会者テモテを励まし、具体的な助言を与えるために記されたのがこの書簡と考えられています。
 
(2)救い主なる神、望みなるキリスト・イエス
 今晩はこの手紙の書き出しを読みます。パウロの書簡はいつも当時の手紙の形式に沿って、差出人、宛先、祝福の挨拶と続きます。まずは差出人の紹介です。1節。「私たちの救い主なる神と私たちの望みなるキリスト・イエスの命令とによる、キリスト・イエスの使徒パウロから・・・」。手紙の冒頭を直訳すると「パウロ、キリスト・イエスの使徒。私たちの救い主なる神と、私たちの望みなるキリスト・イエスの命令による」となり、パウロは自分の使徒としての権威の正当性とその由来、その任務を強調しています。
パウロはなぜ自分が「使徒」と強調するのでしょうか。新約聖書で使徒というのは特別の立場で、通常は主イエスから直接の任命を受けた十二弟子のことを指しています。ではなぜパウロも使徒と呼ばれるのか。「使徒」という言葉には「権威を委ねられた代行者」という意味があります。パウロは自分に託された異邦人宣教の務めも、それにともなう権威も、人間に拠らず、神に拠るという強烈な自覚を持っていました。ダマスコ途上での劇的な回心の時の、復活の主イエスとの出会いの経験があったことも想像できることです。
 パウロはこの使徒職を「救い主なる神と私たちの望みなるキリスト・イエスとの命令による」と言います。「救い主なる神」との表現は新約聖書で12回登場し、そのうちテモテで3回、テトスで6回と、牧会書簡の特徴的な言い回しであることが分かります。これは当時のローマ皇帝を「救い主なる神」と呼んでいたことを意識した言い方であったと考えられます。パウロは自分自身の従う権威が、時のローマ皇帝の権威に勝るものだと告白しているのでしょう。また「私たちの望みなるキリスト・イエス」も、このローマ皇帝の権威に基づいて当時始まっていたキリスト者たちに対する迫害の中で、まことの望みはただキリスト・イエスのみにある、という信仰の表明であったと言えるでしょう。

(3)恵みとあわれみと平安
 続いて2節。「信仰による真実のわが子テモテへ。父なる神と私たちの主なるキリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とがありますように」。パウロはここでテモテを「信仰による真実のわが子」と呼びます。テモテについてはこれから書簡を読み続ける中で詳しく触れていきますが、今日の段階で言えるのは、パウロにとってテモテは「わが子」と呼ぶほどの愛弟子であったという事実です。他の書簡の中でもテモテは「兄弟」、「キリストのしもべ」、「同労者」、「愛する忠実な子」などと呼ばれており、信頼と尊敬によって固く結ばれた主にある交わりがあったことが伝わってきます。
 このテモテに向けて、パウロは父なる神とキリストからの「恵みとあわれみと平安とがありますように」と祈るのです。パウロが用いる祝福の挨拶は「恵みと平安があるように」が多いのですが、そこに「あわれみ」が含まれるのはテモテ書簡のみです。ガラテヤ6章16節には、結びの挨拶で「神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように」とありますが、あわれみが平安と結びつくのはこの箇所だけです。
 パウロが「あわれみ」に込めた思いはどのようなものだったのでしょうか。ここで「あわれみ」と訳される言葉は、旧約聖書の「へセド」、恵み、誠実、神さまの契約に対する真実さを表す重要な言葉を受け継ぐものと言われます。愛する弟子テモテを遣わしたエペソ教会はこの当時、偽教師によって揺さぶられていました。そうでなくでも女神アルテミス神殿を中心に成り立っていた町の中で、若き伝道者が教会形成をしていくのは孤軍奮闘の毎日だったと思います。信頼していた信徒たちが離れていく、あれほど忠実に御言葉に聴いていた人たちが離れていく。そういう中で裏切られる思いや、御言葉の真実に背を向けていく人々を見て傷つき、いたみ、悲しむテモテの心を共有しながら、パウロは恵みと平安とともに、特に「父なる神からのと私たちの主なるキリスト・イエスからのあわれみ」を祈らずにはおれなかったのでしょう。このあわれみは具体的にパウロの言葉に現れています。それは繰り返し登場する「私たち」と言う言葉です。「私たち、私たち」と繰り返される言葉を読みながら、テモテはどんなに慰められ、励まされ、力づけられたことでしょうか。福音宣教は時に厳しく、孤独な戦いです。けれどもそこに神様からの恵みとあわれみと平安が、単なる気休めでなく具体的な聖徒の交わりを通して与えられるのです。宣教の戦いは一人ではない、「私たち」の戦いである。このことを覚えて、テモテと共に励まされつつ、私たちの委ねられた宣教の使命を全うさせていただきましょう。

 

 



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