朝拝 2007/11/25
『見よ、それはよかった』

創世記1:29-31

 この秋から朝の礼拝で読み進めてまいりました創世記1章も、ついにしめくくりの箇所になりました。今朝はお読みいただいた御言葉を通して、私たちとこの世界に対する主なる神の恵み深い関わりについてともに教えられていきたいと思います。

(1)よき創造
 最初に29節から31節をお読みします。「ついで神は仰せられた。『見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての取り、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。』すると、そのようになった。そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日」。これで「光よ、あれ。」との言葉で第一日目から始まった創造の御業は、ついに完成を迎えます。主なる神は人間たちといのちある生き物たちのために、地に豊かに実をならせる数々の実と草を生じさせてくださったのでした。このように創造の最初の世界においては、基本的に人も生き物も他の生き物のいのちを奪って食する肉食の文化ではありませんでした。これは人間の食文化を考える上でもいろいろと示唆に富んだ事柄なのですが、むしろこの朝、私たちが特に目を留め、心に留めておきたいのは31節の御言葉です。「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった」。神が御自身の創造された世界をご覧になり、それを「非常によかった」と評価なさった。この神の喜びとしての世界ということを今朝、私たちはしっかりと受け取っておきたいと思うのです。
 今、水曜の祈祷会では17世紀のイギリスで作られたウェストミンスター小教理問答という書物を通して学んでいますが、その第9問では神の創造について実によく纏められた問答が記されています。「問:神の創造の御業とは何ですか。答:神の創造の御業とは、神が、すべてのものを無から、力ある御言葉により、六つの日にわたって、万事はなはだよく造られたことです」。ここにはこれまで私たちが創世記1章から学び続けてきた大事なポイントが簡潔な言葉で言い表されています。無からの創造、ことばによる創造、六日にわたる創造、そして「万事はなはだよく造られた」という、これを教理の言葉では「よき創造」と呼ぶのです。神が造られた世界はよき世界である。これが創世記1章が繰り返し私たちに語りかける大切な教えの言葉なのです。ここで少し振り返ってみますと、4節では「神はその光をよしと見られた」とありました。さらに10節。「神は見て、それをよしとされた」、12節。「神は見て、それをよしとされた」、18節。「神は見て、それをよしとされた」、21節。「神は見て、それをよしとされた」、25節。「神は見て、それをよしとされた」。そしてこれらのまとめの言葉が今朝の31節の御言葉なのです。「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった」。

(2)美しき創造
 主なる神は、こうして一つ一つのものが造り出される度に、それを見て、よしとされた。こうして御言葉を読んで来ますと、神さまは本当に私たちのこの世界を喜びの中で、楽しみの中でお造りくださったということがよくわかってまいります。土曜クラブで子どもたちがいろいろと紙工作をして帰りますが、子どもたちが紙工作でも粘土細工でも、砂場遊びでもとにかく夢中になって何かを造り出す姿は、私たちの中にもある創造的な喜びに通じるものがあります。出来あがった作品をまじまじと見つめながら悦にいる、というのもモノを造る喜びの大切な要素と思いますが、神の創造の御業もまた、そのような神の喜び、神の満足の御業なのであって、少々大胆な言い方をすれば、創造の御業は神の遊びであるとさえ言うことができるのです。
 ここで「それは非常によかった」と訳される言葉はヘブライ語で「トーブ」という言葉ですが、これは「よい」という意味のほかに「幸せである」とか「喜びである」という意味もあり、さらに「美しい」という意味も持つ実に豊かな言葉です。実際、ある日本語訳聖書はこの御言葉を「神が見ると、実に美しかった」と訳しているほどです。神の造られた世界は神の目に美しかった。ここで私たちはそこにある世界そのものの有り様ということと、その世界を見るまなざしの有り様という二つことに心を留めたいと思います。ある事物そのものが美しいかどうかというのは、一方では客観的なことがらでありますが、しかし同時に極めて主観的なことがらでもあるでしょう。誰が見ても「美しい」と感嘆の声を上げて見とれてしまうようなものが確かにありますが、しかし多くの場合は、そこにはかなり主観的な要素が大きく働くように思います。ある人にとっては息を呑むような美しい光景や事物が、ある人にとってはその心に何の感動も呼び起こさないということもあるでしょう。私自身はかなり無粋な人間だなあと思うのですが、そういう美しいものへのセンスというものが貧困だとつくづく思わされることがあります。秋の修養会でO姉のご主人が何枚か写真を撮ってくださり、それをアルバムにしてくださったのですが、そこに切り取られている子どもたちや皆さんの表情はもちろんのこと、私にとっては自分の家や教会に次いで詳しいはずの松原湖のキャンプ場がこんなに素敵なところだったかと思うような写真が何枚もありました。つまりどういうまなざしでそのものを見つめるのか、それが見られたものの美しさを引き出すことがあるということなのではないかと思うのです。主なる神がこの世界を見られて、この世界を「見よ、それは非常によかった、とても美しかった」と言われたことは、この神によって造られた世界が客観的に見て美しいかどうかということにまさって、神がこの世界とそこに生きる生き物たち、植物たち、自然、そして人間を喜び、楽しみ、いつくしみ、尊び、そして何より愛していてくださる、そのまなざしによって見つめていてくださるということなのです。神の喜びの中に、神の愛の中に見つめられる存在は、美しきものである。この大いなる恵みの事実を覚えたいと思います。イザヤ書43章7節 「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った」とある通りです。

(3)創造、摂理、そして喜び
 このことは神の摂理の働く場としての世界ということにも私たちの目を開かせます。伝道者の書3章12節に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」という御言葉があります。神の御業の美しさは、創造の御業において働くだけでなく、創造された世界を今も保ち、治めていてくださる摂理の御業においても同じように働くのです。このことを大変慰めに満ちた言葉で言い表したのがハイデルベルク信仰問答の第27問と28問です。「問27:神の摂理についてあなたは何を理解していますか。答:全能かつ現実の神の力です。それによって神は天と地とすべての被造物をいわばその御手をもって今なお保ちまた支配しておられるので、木の葉も草も雨もひでりも豊作の年も不作の年も、食べ物も飲み物も健康も病も富も貧困も、すべてが偶然によることなく、父親らしい御手によって私たちにもたらされるのです。問28:神の創造と摂理を知ることによって私たちはどのような益を受けますか。答:私たちが逆境においては忍耐強く、順境においては感謝し、将来については私たちの真実な父なる神をかたく信じ、どんな被造物もこの方の愛から私たちを引き離すことはできないと確信できるようになるということです。なぜならあらゆる被造物はこの方の御手の中にあるので、御心によらないでは動くことも動かされることもでさないからです」。
 創造の神を信じ、その神の摂理を信じるというのは、創造の時に働かれた神の御手が、今を私たちの上に、私たちとともに、働いていることを信じることです。主なる神は私たちとこの世界を喜びの中で創造され、それを今も御自身の喜びの中に支え続けていてくださる。そして創造された世界を「よきもの、美しいもの」と見つめていてくださるばかりか、その神によって支えられ続けている今この時のこの世界の営み、そこに生きる私たちの人生をも「よきもの、美しきもの」と見つめていてくださるというのです。私たちには喜べないこと、受け入れがたいこと、むしろ悲しみや苦しみ、悩みの連続でしかないようなこの人生を、しかし主なる神はよきもの、美しきものとして見ていてくださる。この神のまなざしの中に生かされることの喜び、慰め、その幸いをこの朝、深く心に留めたいのです。そしてこの世界とそこに生きる私たちの人生そのものを神からの賜物として感謝して受け取り、楽しみ喜ぶものでありたいと思うのです。この喜びを味わった人のひとりがパウロです。彼は神の創造と摂理の御業を通して自らの人生を喜ぶことを知った人でした。彼の喜びがほとばしりでるのはピリピ人への手紙ですが、その2章17節、18節で彼は迫害の中で自分自身のいのちが危険にさらされ続けるというまことに困難を窮めた人生を振り返ってこう語るのです。「たとえ私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたがすべてとともに喜びます。あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください」。このようにパウロが言い得たのは「見よ、それは非常によかった」と、この世界を見つめられた神の喜びのまなざしが、今の自分自身の人生にもまた向けられている事への確かな信頼があったからにほかなりません。
 そうであればこそ私たちもまた、私たちひとりひとりの人生を苦難の連続の、涙の連続の、決して順風満帆に生きてきたわけでない、迷いもし、つまづきもし、失敗もし、立ち止まりもし、回り道もし、人から見ればスマートな人生とはほど遠い、随分不格好な人生でありながらも、それでも「見よ、それは非常によかった」と言ってくださる神の眼差しの中に見つめられるかけがえなく尊い人生として、私はこの人生を喜ぶ。だからあなたも私といっしょに喜んでくれ、と主の恵みを証ししながら生きていくことができるのです。この幸いな人生をここから歩み始めていきたいと願うものです。

 



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