使徒信条講解2
『聖徒の交わりを信ず』

「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、―このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。―私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」Iヨハネ1章1−3節


(1)交わりの公同性
古代以来、教父をはじめとする教会の指導者たちは「教会」を言い表す用語として、いくつかの表現を用いてきました。「聖徒の集い」、「選ばれた者のからだ」、「聖徒の交わり」などです。その中で最も多く用いられたのがこの「聖徒の交わり」という言葉です。年代的には前回学んだように「公同の教会」という用語の方が古く使徒教父時代から用いられ、その後、五世紀以降にこの「聖徒の交わり」という用語が信条用語として定式化していったと考えられています。
さて、「聖徒の交わり」という時の「聖徒」と訳される言葉は、「聖」という言葉の中性複数の形であって、「聖なるものらの交わり」とも「聖なる人々の交わり」とも理解しうる言葉です。ここからこの言葉は「聖なる物に与る」こと、すなわち「聖餐」を意味しているという理解が生まれても来ました。これはこれで実に教会の本質を良く捕らえた理解であるとも言えるのです。しかしより本来的に「聖徒の交わり」とは「聖なる公同の教会」とは何であるかを説明した表現であると言えるでしょう。「聖なる公同の教会とはすなわち聖徒の交わりである」、つまり教会とは聖徒の交わりのことであるという訳です。まだこの用語が信条の言葉として定着する以前、4世紀の教父の一人であったレメシアナのニケタスという人物が、教会の洗礼準備のため手引き書の中で次のようなことを言っています。「教会とは全ての聖徒たちの集まりでなくて何であろうか。すなわち初めの時以来、族長たち、預言者たち、使徒、あるいは殉教者やその他の義人たちなど、かつており、今いて、そして将来いるであろう人たち、これが一つなる教会なのである。さらに言えば、天使たちやもともろの天上の権威さえも共に結び合って一つの教会となっている。それゆえあなたはこの一つなる教会のうちに聖徒たちの交わりが伴うと信ぜよ」。このように教会の交わりとは、時代を超え場所を越えて、代々の聖徒たちに連なり、また今この世界中の聖徒たちと共にあることを意味しているのです。

(2)聖徒の交わり
 私たちはこの「聖徒の交わり」の内容をより端的に言い表したハイデルベルク信仰問答に沿って理解しておきたいと思います。第55問には次のようにあります。「問:聖徒の交わりについて、あなたは何を理解していますか。答:第一に、信徒は誰であれ、群れの一部として、主キリストとこの方のあらゆる富と賜物にあずかっているということ。第二に、各自は自分の賜物を、他の部分の益と救いとのために自発的に喜んで用いる責任があることをわきまえなければならないということです」。
 ここで教会が聖徒の交わりと呼ばれるのは、キリストのからだの肢体である私たちが「誰であれ、群れの一部として、主キリストとこの方のあらゆる富と賜物にあずかっている」からであると言われます。ちょうどヨハネの手紙一が次のように記す通りです。「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです」(Iヨハネ1:3)。私の内に聖なるものがあるからではなく、教会の頭であるキリストの聖さに私たちがあずかっているゆえに、その交わりは聖なる交わりであるというのです。このキリストとの結びつきがしっかりと受けとられるならば、教会の交わりが単なる同好の集まりや人間的な集いに終わることはありません。そこでは絶えず頭なるキリストがその交わりの真ん中にお立ち下さり、私たちをご自身の中にある富と賜物とにあずからせて下さるのです。
 そして「第二に、各自は自分の賜物を、他の部分の益と救いとのために、自発的に喜んで用いる責任があることをわきまえなければならない、ということです」と記されます。聖徒の交わりとしての教会は、かしらなるキリストの富と賜物にあずかる交わりですが、しかしそれは私たちが受け取る側に立ち続けるためではなく、そのようにして受けた賜物を互いのために用いるためであるとハイデルベルクは教えるのです。

(3)分かち合い、仕え合う交わり
 ペテロの手紙一には次のように記されます。「万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン」(Iペテロ4:7-11)。
 私たちにはそれぞれ主イエスから豊かな賜物が与えられていますが、それは自分自身を豊かにするために用いられるのではなく、互いの益と救いのために喜んでささげ、仕え合うためであると教えられているのです。しかもそれは主から賜物を委ねられたものとしての「責任」であることを「わきまえなければならない」と命じられています。聖徒の交わり、それは互いに愛を要求し合い、仕えてもらうことを要求し合う交わりではなく、互いに愛を与え合い、互いに仕え合うための交わりです。そのために私たちは主イエス・キリストの富と賜物とをいただいているのです。




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