使徒信条講解1
『天に昇るキリスト』

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である。』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」ピリピ2章6−11節


(1)キリストの昇天の教え
キリストの御業の中心が十字架と復活にあることはこれまで繰り返し見てきた通りですが、それに比べて、復活された主イエスが天に挙げられた「昇天」の教理と、父なる神の右の座に着かれたという「着座」の教理は教会の歴史の中でもそれほど重視されてきたわけではありませんでした。しかしこの昇天の教理の重要性が改めて認識されるようになったのは宗教改革の時代、それもカルヴァンの流れを汲む改革派教会の伝統においででした。そこでのポイントは、復活のキリストはもはや地上にはおられないことの強調でしたが、特にこれは聖餐におけるキリストの臨在の様式を巡るカトリックやルター派との議論の中で整理されてきたのです。
カトリックにおいては聖餐におけるパンとブドウ酒が実体的に変化して、そこにキリストの肉体が現臨すると考えられ、ルター派においてはパンとブドウ酒と「共に、中に、下に」現臨すると考えられてきました。一方、同じ改革派の伝統でもツウィングリ派は聖餐は単なる象徴に過ぎず、そこにはいかなるキリストの臨在もないという立場をとりました。これに対してカルヴァンは、キリストは昇天されて天にあり、地上にはいかなるかたちにおいても実体的にキリストが臨在することはないが、しかしさりとて聖餐を単なる象徴とすることも誤りであり、むしろ天にあるキリストが聖霊の働きによって現臨されるとしたのです。ですから聖餐の際には聖霊を求める祈りが捧げられ、また聖餐の終わりには「スルスム・コルダ」(心を挙げよ)、あるいは「心を天に挙げよう」という合言葉が唱えられるようになっていったのです。このように「キリストの昇天」は、今日の御言葉が指し示すように、地上にある信仰者たちがもはや地上にはおられない主イエス、十字架の苦しみを経て復活され父なる神によって高く挙げられた栄光の主イエス・キリストを仰ぎ見、望み見て、そこに希望を見出すための教えであるということができるのです。

(2)キリストの昇天の意義
 このキリストの昇天が教える事柄を三つにまとめておきたいと思います。まず第一に、キリストの昇天は私たちに再び主が来たりたもう終末の時を待ち望ませるということです。ヨハネ福音書で主イエスはこのように言われました。「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。わたしの父の家には住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行ってあなたがたに場所を備えたら、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所にあなたがたをもおらせるためです」(ヨハネ14:1-3)。またこのようにも言われました。「わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたの所に戻ってくるのです」(同14:18)。使徒の働きの冒頭にはキリストが挙げられていく様子を見つめながら立ち続ける弟子たちに、御使いが「なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に挙げられたこのイエスは、天に昇って行かれるのをあなたがたが見た時と同じ有様でまたおいでになります」と語りかけたとあります(使徒1:11)。主イエスはご自分の御国をもって再び来たりたもう。この終末の希望を待ち望ませることにおいて、キリストの昇天は私たちの目を遙か先へと向けさせる力となり、そのときを目指して天を見上げつつ歩む背筋の伸びた信仰の姿勢を作り出すことができるのです。
 第二にキリストの昇天は私たちに聖霊を待ち望ませるということです。主イエスはご自身が地上を去ってのち、私たちを捨てて孤児にはしないと言われましたが、そのことの確かな保証として私たちのためにもう一人の助け主なる「聖霊」をお遣わしになると約束されました。そして事実あのペンテコステの時に聖霊はこの地上に降り、教会が生み出され、そして今や聖霊が私たちを導いてくださるのです。「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます」(14:26)、「わたしが父のちちのもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来る時、その御霊がわたしについてあかしします」(ヨハネ15:26)とある通りです。
 第三にキリストの昇天は私たちを福音宣教に向かわせるということです。天に挙げられた主イエス・キリストを見上げることは、単にその場に立ち尽くすことではありません。むしろその天から遣わされた聖霊の力を身に帯びて、私たちは再び主イエスがお出でになるその時まで、この地上にあって福音の宣教に励むのです。全世界に福音が宣べ伝えられ、それから終わりが来ると主イエスは言われました。私たちは天に挙げられたキリストを仰ぎ見つつ、「天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるすべてのものがひざをかかげめ。すべての口が『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられる」ことを目指して福音の宣教に励むのです。




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