使徒信条講解1
『死人のうちより甦り』

「私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。」ピリピ3章10−11節


(1)死人の甦り
復活の信仰は、十字架の信仰と並んで私たちの主イエス・キリストへの信仰を形作る最重要な要素の一つであると言ってよいと思います。主イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかって死んで下さり、そして三日目に甦ってくださった。このことがあって初めて私たちの罪の赦しと救いとが成り立っているのです。
 しかし同時に、この復活の信仰ほど時代のチャレンジを受けてきた教えも他にありませんでした。初代教会の時代に、すでに復活を否定する様々な説が広がっていました。たとえば一つには主イエスは十字架上で死んだのではなく、実は仮死状態になっていただけで、その後奇跡的に蘇生したのだという説です。しかし福音書の十字架の記事を読めば、ローマ兵が十字架刑に処せられたイエスの絶命を確かめるために脇腹を槍で刺したとあり、水と血が流れたとあるように、確かにイエスの肉体は死んでいたことが明らかです。二つ目は弟子たちが主イエスの幻覚を見た、と言う説ですが、これもまた福音書の記事によれば復活後、主イエスは弟子たちをはじめ何百人もの人々の前に姿を現し、その傷を示して見せたり、魚を食べて見せたりもしました。三つ目は思い込み説とでも言うべきものですが、弟子たちは悲しみのあまりイエスの死の現実を受け入れられず、その中からイエスが復活されたという信仰が教会の中に生まれ、広がっていったという説です。これと似たのが四つ目ですが、それは弟子たちがイエスの遺体を盗んでいって復活したというデマを流したという説ですが、この最後の二つに共通する反論は、その後の歴史の中で教会が通ってきた迫害の事実です。もし主イエス・キリストの復活が幻覚やデマであったなら、そのために多くの人が命を落とすことなど考えられないことです。人はウソのために死ぬことは出来ない。けれども使徒の働きが示す弟子たちの姿は、主の復活の証人としてまことに確信に満ちたものでありました。使徒ペテロとヨハネは主イエスの復活を宣べ伝えて逮捕され、ユダヤ人議会において口止めされた時に次のように言い切っています。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断して下さい。私たちは、自分の見たことを聞いたことを話さないわけにはいきません」(使徒4:19-20)。また他の聖書の御言葉も主イエスの復活を否定するような言説に対して、そのような疑いを振り払うに十分な確信に満ちています。使徒パウロが「もしキリストの復活がなかったのなら、キリスト教信仰の実質はない」(Iコリント15:14)とまで言い切ったごとくです。

(2)知り、あずかり、同じ状態になる
 冒頭のピリピ書の御言葉で、パウロは自らの強い願いを口にしています。「私はキリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです」。ここには主イエス・キリストの甦りの信仰が、どのようにして私たちの信仰の確信に至るかの道筋が明らかにされています。パウロはそれを「知り、あずかり、同じようになる」と表現しました。それによればキリストの復活の力を福音の告知を通して知り、知るばかりでなく、聖霊のお働きによってそれに自らが結び合わされ、そしてついにはその復活の命に私も同じように生かされるというのです。
 ハイデルベルク信仰問答第45問には次にようにあります。「問:キリストのよみがえりは、私たちにどのような益をもたらしますか。答:第一にこの方がそのよみがえりによって死に打ち勝たれ、そうして、御自身の死によって私たちのために獲得された義に私たちを与らせて下さる、ということ。第二に、その御力によって私たちも今や新しい命に生き返らされている、ということ。第三に、私たちにとって、キリストのよみがえりは私たちの祝福に満ちたよみがえりの確かな保証である、ということです」。
 ここでは復活がもたらす益が「すでになされたこと」(過去)、「今なされていること」(現在)、「これからなされること」(未来)であることが明らかにされています。第一の「すでになされたこと」とは、主イエス・キリストの十字架の死と復活による贖いの御業によって、すで主イエスを信じる者たちが決定的かつ一回的に義と認められているということです。第二の「今なされていること」とは、主イエスによって義と認められた私たちが今すでに主イエス・キリストの獲得して下さった永遠の命の祝福の中に生かされているということです。パウロはこの消息をローマ書6章で語りましたが、そのことが最も具体的な仕方で表されているのが洗礼の礼典であるといえるでしょう(ローマ6:1-11参照)。
 そして第三の「これからなされること」とはキリストの復活がやがての時に迎える私たちの復活の保証であり、初穂であるということです。ここにおいて主イエスのよみがえりは私たちを明日へと生かしめる希望となり、力となります。希望とは何か遠い先の事柄ではなく、むしろ確かな約束に基づいた、日々を生きる力、日常的で具体的な力です。その力に生きることができるところに、復活の信仰の最大の益があると言えるのです。




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