使徒信条講解17
『復活の信仰』

「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」Iコリント15章3−5節


(1)三日目の復活
 今回から数回にわたって、使徒信条が告白する主イエス・キリストの復活の意義について学んでおきたいと思います。主イエスの十字架の苦難についての告白に続いて、使徒信条は「主は・・・三日目に死人のうちよりよみがえり」と告白します。ここに歴史の中で決して繰り返されることなく、また他に比べられることのない唯一無比の出来事が起こったのです。もちろん主イエス・キリストの聖霊による降誕から復活に至るまでの御生涯全体が一回きりの決定的な意味を持つものでありますが、しかし生まれた、と言うこと自体はそれでもこの地上世界の中で繰り返されることであるのに比べて、死人の中からの復活は決して二度と再びこの地上に於いては起こりえないことであり、それゆえにこそキリストの復活の事実が、私たちの信仰の中核を形作っていると言えるのです。
 今回はその中でも三日目の復活という意義を考えたいと思います。キリストの復活は十字架の死から三日目のことであった。この事実に教会は復活信仰の土台を据えてきました。冒頭の第一コリント15章の御言葉は、初代教会の中ですでに定まった言い回しとして定着していた信仰の言葉です。そこでも「聖書に従って三日目によみがえられたこと」と記されます。この「聖書に従って」がどの聖書の御言葉を指すかについては諸説ありますが、古代教会では「主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。」というホセア書6章2節との関係でこの箇所は読まれたようです。また主イエス御自身も福音書の中の受難予告の際に、たびたび三日目と言うことに言及されていました。
 ではこの「三日間」にはどのような意味があったのでしょうか。第一に、主の復活が死の直後に起こったのでないことは、すでに主の葬り、陰府下りの箇所で学んだように、その死の経験が現実であり、主イエスが肉体の死のみならず父なる神に捨てられると言う苦難の極みを味わい尽くしてくださったことを意味していました。主イエスは死の現実をスキップして復活の栄光に進まれたのではなく、まさに私たちが味わわなければならない「終わり」としての死の現実をその身に引き受けて下さったのです。
 第二に、主の復活が三日目であったことは、その間に安息日を挟んでいたことになります。すなわち主イエスは旧約の安息を墓の中で過ごし、それを乗り越える仕方で三日目、日曜の朝に墓の中からよみがえられたのです。ここに旧約の指し示した贖いの本体であられる主イエス・キリストのお姿がはっきりと示され、主イエスの復活を祝う日曜日が今日の私たちの「主の日」の公同礼拝の基礎を形作るようになったのでした。

(2)復活と主の日
 主のよみがえりが日曜の朝であった。そこに旧約の安息日が指し示していたまことの安息の姿があります。主イエス・キリストは旧約聖書が指し示していた救いの約束を御自身の十字架の死と復活によって成就して下さいました。その主の贖いの御業によって、信じる私たちに、今やまことの安息が与えられているのです。私たちが本当に主の前に安息の時を過ごすのは復活の希望の光においてです。そしてこの復活の光の元に過ごす天の安息が、先取りされた形で私たちの前に与えられているのが、この「主の日」としての日曜礼拝の姿なのです。オランダの神学者ファン・ルーラーは使徒信条の講解書の中で次のように記しました。「私たちはキリスト者として、日曜日をただ単に毎週の労働の緊張を解く日として、あるいは単に市民的なくつろぎや家族的な平穏の日としてのみ祝うことはできません。そうするならば、日曜日は空虚な一日になってしまいます。残念ながら今日多くの人たちにとってそうなっているようにです。復活のこの日は、私たちをキリストの御言葉のもとに招き、そうすることで、復活した方に対する服従の中で新しい人生へと招きます。この新しい人生は、私たちが日曜日にキリストの御言葉と聖礼典から新しく受けるキリストの霊の力によって、家族や職場で、また教会や社会で、私たちの個人的生活と共同生活において、一週間を貫いて日々新たに証明されるはずです」。
 私たちがこのように主の日を復活の希望と喜びの中で過ごすことにより、私たちの日常はこの世のただ中において天の祝福を先取りしつつ人々に指し示すことになるのであり、それが復活の信仰に生きる私たちのこの世界に対する何よりの証しになるのです。礼拝の度ごとに私たちは主の御前に招かれ、御言葉と御霊を通してキリストの臨在の祝福に与り、御言葉の説教と主の晩餐を通してキリストの贖いの命に生かされ、そして日々の働き、家庭、学び、その他もろもろの所へと派遣されて行きます。そしてそのような日々において私たちの日常は天の御国の、永遠の安息を先取りしたものとなっていくのです。




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