使徒信条講解12
『苦しみを受ける主』

「彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」イザヤ53:5


(1)キリストの苦難
今回は、使徒信条において「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と告白されるキリストの苦難の箇所を取り上げます。使徒信条の御子についての告白は受肉と誕生に続いて直ちに御子の苦しみへとつながりますが、誕生後の主イエスの生涯については触れていません。主イエスの地上の御生涯はおよそ33年で、しかも後半の約3年にわたる公生涯においては、福音書に「人の子には枕するところもない」と記されているように、実に様々なお働きをなさいました。病人をいやし、足なえを立たせ、罪人たちと交わり、悪霊を追い出し、嵐を静め、死人を生き返らせ、そのようにして神の国の福音宣教に時を惜しんで勤しまれた主イエスのお姿を私たちはよく知っているのです。ところが使徒信条はそのような主イエスの地上の御生涯のほとんどを割愛して、受肉、誕生からすぐさま受難へと言葉を繋いでいくのです。それは一体なぜなのか。この使徒信条の書き方への問いについて、後の教会においては様々な理解が提出されてきました。例えばカルヴァンはジュネーヴ教会信仰問答の第55問で「どうして全生涯の歴史を省いて、降誕から直ちに死に移るのですか」と問い、「ここでは私たちの贖いに固有な、したがってある意味でその本質を含むことしか論じていないからです」と答えています。つまりカルヴァンによれば、使徒信条は短い信条の言葉でキリストの贖い主なることを言い表そうとしているのであって、それゆえに地上の御生涯の大部分は割愛されていると理解されているのでしょう。ところがこのカルヴァンの理解に、同信仰問答の講解を著したカール・バルトは問いを投げかけています。「私たちはここで、カルヴァンに対して少しく批判をしなければなりません。・・・イエスの生涯、その奇跡、その説教、使徒達との関係など、そうしたすべては贖いの本質に属しているのではないでしょうか」。カルヴァン先生が本質的でないといった主イエスの御生涯全体も、やはり贖い主としての主イエスのあり方にすべて属しているとバルトは指摘したのです。もとよりカルヴァンが主イエスの地上の生涯を重視していないと言うことではありません。しかしながらバルトの指摘もまた当を得たものであったと言えるのではないでしょうか。

(2)キリストの全生涯における苦難
 この点で、ハイデルベルク信仰問答書の当該箇所にあたる第37問の書き方は、大変短い言葉ではありますが、実に行き届いた表現を用いていると言えるでしょう。「問:『苦しみを受け』という言葉によって、あなたは何を理解しますか。答:キリストがその地上での全生涯、とりわけその終わりにおいて、全人類の罪に対する神の御怒りを体と魂に負われた、ということです」。ここでこの問答はキリストの苦難がその終わりによって集約される「全生涯」にわたるものであること、またキリストの受けられた苦難が神の御怒りを「体と魂」とに負われたものであることを教えています。つまりここでは人として生まれて下さった神の御子イエス・キリストの御生涯がその始まりから終わりに至るまで苦難の人生であったのであり、その御生涯の最後において、主の苦難の御生涯の全体が代表され、集約されていると言われているのです。さらにハイデルベルクによれば、その苦しみはキリストの「体と魂」とにおいて担われたこと言われています。
 ではなぜ主イエスはそれほどまでに苦しまれなければならなかったのか。答えは続きます。「それは、この方が唯一のいけにえとして、御自身の苦しみによってわたしたちの体と魂とを永遠の刑罰から解放し、わたしたちのために神の恵みと義と永遠の命とを獲得してくださるためでした」。ここに繰り返し語られるように、御子の苦しみは「私たちのためであった」のです。私たちの「体と魂」を贖い出すために、御子は「体と魂」とにおいて神の怒りを負って下さいました。それによって私たちは贖われて今ここにあるのです。

(3)ポンテオ・ピラトの裁きを通して
 ところでそもそも使徒信条がここで「ポンテオ・ピラトのもとに」と、一人の歴史上の人間の固有名詞を挙げることにも理由がありました。すでに見たように使徒信条が成立していった時代にはびこった異端は、キリストの受難の歴史性、ひいてはキリストの人性そのものを否定しようと言うものでしたが、これに対して教会は、その十字架と復活が歴史上の事実であったことを強調するために、あえて歴史上の実在の人物であった総督ピラトの名を挙げたのです。そしてただひとり罪のないお方であったイエス・キリストが、地上の裁判官の手による、しかも違法な手続きのもとで強行された裁判によって死刑を宣告され十字架刑に処せられたことを教えているのです。このような人の手による違法な裁判を通して、主イエスは父なる神の裁きに服してくださった。本来私が受けるはずであった裁きを、主イエスがこのような仕方で身代わりとなってその身に負ってくださった。このことの事実の重みを強調するために、使徒信条は敢えてここに「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみをうけ」と告白するようにと私たちを招いているのであります。あえて人間の罪の織りなす歴史の中にその身を置き、その生涯の全体によって私たちのために苦き杯を飲み干して下さった、このキリストの贖いの御業の重みを決して過小評価することなく、その主の苦しみによって与えられた救いの恵みをしっかりとこの身に担って、ともに使徒信条を告白したいと願います。




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