使徒信条講解11
『おとめマリヤより生まれ』

「それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」イザヤ7:14

(1)歴史の現実としての主イエス誕生
聖霊による受胎に引き続き、使徒信条は「おとめマリヤより生まれ」と、キリストの人としての誕生について、それが処女マリヤからの出生であったことを言い表しています。今回はここから神の御子が人となって私たちの歴史と空間の中に住まわれた事実の持つ恵みと慰め、希望について考えておきたいと思います。キリスト教信仰は特に18世紀の啓蒙主義以来、その歴史的真実性が絶えず攻撃にさらされるようになりました。特に人間の理性によって納得されない事柄はすべて神話や古代人の表象的証言として、歴史の事実性を否定されてきたのです。この攻撃は主イエス・キリストの人格と御業にも向けられましたが、そこで特に格好の的となったのが主イエスの誕生についてでありました。処女マリヤから生まれたというこの自然を超えた事柄が、近代人の目には非自然的な事柄として映ったのです。
 確かに通常の生殖によらない主イエスの誕生は大変驚くべき事柄ですし、これに関わったマリヤについての評価も後の教会にとっては大きな問題となりました。使徒信条の「おとめマリヤより生まれ」との告白は、確かに使徒信条においてポンテオ・ピラトとともに固有名詞が出てくると言う点で一際輝いていますが、しかしそれとてもマリヤを特別な存在に祭り上げることをせず、ピラト同様に彼女が全く普通の一人の人間であることを証言しています。ですからマリヤを「神の母」と呼んで神格化することも、また神の母たるマリヤを罪なき人間と見なすようなことも実は全く相応しくない取り扱い方であると言わなければならないでしょう。あくまでも使徒信条は、主イエスの誕生が一人の人間を通して起こったことに焦点を合わせているのであって、マリヤはそのために神の恵み深いご計画の中で用いられた「主のはしため」なのです。
 使徒信条がこのようにあえて「おとめマリヤより」とその誕生の様を言い表すのは、このように主イエスの誕生が歴史の現実として起こったこと、主イエスがマリヤからの誕生によってまことの人間としての被造物性を身にまとっておられることとを証しするためであると言えるでしょう。この点で神が天地を無から創造されたのと、主イエスの誕生がマリヤからなされたこととは根本的に異なるものであるのです。神は無からこの世界を創造されましたが、主イエスの誕生はイザヤが400年も前に預言していたことの成就として、人間としてはダビデの子孫として、そのように人間の歩みの中に被造物性をとられるようにとの聖霊の取り計らいの中においてなされたことであるのです。

(2)被造世界の回復と更新
 この点を、私がこの説教において多くを学んでいるオランダの改革派神学者ファン・ルーラーの使徒信条の解説を通して学んでおきたいと思います。彼は言います。「もし人が天において新しく造られた人間の本性について語り、その本性とともに神の御子はただマリヤを通過したに過ぎないと言うならば、すべては異なってしまいます。その場合、救済は再創造、つまり古い創造の更新ではなくなり、まったく新しい創造になります。その場合、この新しい創造は古い創造に代わって現れます。しかしそうならば、人が古い使用済みの靴を投げ捨てて、その代わりに新しい靴を買い求めるようなものになるでしょう。もし人がそのように福音をそのように理解しますと、私たちの実存の理解においても、また人生や世界の評価においても、すべては全く異なってきます。その時には新しい世界が古い世界に取って代わるので、私たちは古い世界を見捨ててしまいます。そうしてキリスト者のこの世への責任を放棄するだけになります」。
 もし主イエスがマリヤを通して人間の本性を獲得されなかったならば、主イエスによって終わりの時にもたらされる真の人間性は、今私がこの身に帯びている人間性と全く断絶した異なるものになってしまうというのです。そしてそれは結果として私たちキリスト者にこの世界に対する責任を放棄させることになると警告しています。
 さらにファン・ルーラーは言います。「聖書的・宗教改革的な真の教えは、私たちにこれとは別のことを教えています。神の御子は人間の本性をマリヤより受け取ったのです。それゆえにこれは古い人間の本性です。それによって人間の現実全体が神によって受け取られたのであり、人間の現実は、あらゆる人間的なものに対する裁きでもある十字架の裁きを通してであっても救われるのです。それゆえ私たちはキリスト者として、この世的で物質的な現実の何物も断念する必要はなく、むしろそれをイエス・キリストの救いのもたらす支配のもとに呼び入れ、そこに位置づけるべきなのです」。
 このようにファン・ルーラーは終わりの時の被造物の完成を今の姿との断絶ではなく、再創造と更新という視野でとらえ、そこに御子のマリヤからの誕生の意義を見出しているのです。このダイナミックな視点は聖書の持っている大きな地平の中でのみ理解できることです。主イエスがおとめマリヤからお生まれになったことが、そこに主イエス・キリストにある真の人間性と真の被造物性の回復の始まりの端緒が開かれた子とを意味している。その驚くべき出来事を私たちはともに確かめつつ、来るべき終わりの時を待ち望んでともに使徒信条を告白したいと願います。




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