使徒信条講解03
『神を信じる』                               

「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。」Iコリント15章1−2節


(1)信じるということ
 「われ信ず」。言葉にしてみれば本の数語であって簡単に口にすることのできる大変短い言葉ですが、しかしこれは極めて大胆な言葉、簡単に口にすることのできないような意味の深い言葉でもあります。今日の私たちが生きる時代は、感覚的な知覚、客観的な認識、実証的な観察と実験、数学的な論証、論理的な証明が確かな拠り所とされる時代です。このような時代の中に生きる私たちにとってはもはや「信じる」という所作が入り込む余地は失われているかのようです。むしろ「信じる」ということは「迷信」「盲信」と言われるようにこのような近代的な認識を放棄した前時代的な人間のあり方のように言われることがしばしばですし、時に肯定的に語られることがあったとしてもそれはせいぜい個人的な信念といった心の内側の極めて個人的・主観的な事柄であって、それは「われ信ず」などと声高に告白するようなものではないと考えられているのです。
 しかし本当にそうなのでしょうか。使徒信条が「われ信ず」と告白する時、また私たちがこの信条を声を合わせて告白する時、そこで起こっていることは、そのような盲信的で主観的な個人的信念を独白しているに過ぎないのでしょうか。決してそうではありません。
 私たちが使徒信条を「われ信ず」と心から告白する時、そこで起こっているのは、父・子・聖霊の三位一体の神がご自身の存在と救いのご計画を私たちにお示しになり、その愛を御子によってあらわし、聖霊によってその御愛を受け入れさせて下さっていることがあらわれであり、この神の働きかけがあって初めて私たちはこの神に対する信仰を言い表すことができるのです。
このことは使徒パウロがコリント書で「私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです」と語っているように、神の言葉、福音の言葉である御言葉を通して今の私たちにもはっきりと語られていることなのです。

(2)神を信じるということ
 以上のことを踏まえて「信じる」ということを次の三つの言葉、すなわち「知ること」、「認めること」、「信頼すること」の三つの言葉で考えておきたいと思います。
第一の「知ること」について考えましょう。中世の神学者アンセルムスは「信仰は知解を求める」と言いました。人は神を疑うための知識ではなく、信じるための知識を求めるべきなのです。また宗教改革者カルヴァンは人の生きる目的を「神を愛する目的(神をあがめる目的)で神を知ることである」と言いました。ここには「知ること」と「愛すること」が一つとなった礼拝的な神認識が示されています。
 このことはまず何よりも神が私たちを知っていて下さるという神様の側の認識に基づいています。旧約聖書において神は「わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの」と、神ご自身がその愛をもって私たちを知っていて下さることを示しておられます。神が私を知っていてくださるので、私たちもこの神を知るのだということなのです。
 第二の「認めること」はどうでしょうか。信仰とは父なる神の差し出したもう救いの御手の確かさ、御子イエス・キリストがご自身の死と復活をもって与えてくださった贖いの確かさ、聖霊が私たちの心に働いて起こして下さる信仰の確かさを認めて、その御業が私のためであり、この神の行為が正しいものであって、その神の側に私は立つと決断して神の味方になることを意味しています。これもまた何よりも神が私たちを「ご自身のもの」として承認し、私たちの味方として立っていて下さることの確かさに基づくものなのです。
 そして第三のことは「信頼する」ということです。「彼に信頼するものは失望させられることがない」と御言葉は語ります。信頼とは認識や承認を土台とし、それらをもって最終的には相手との人格的な関係においてのみ成り立つものです。もし私たちが自分自身とこの世界だけを頼みとし、この目に見える世界にだけ信頼を置いて生きるなら、そこにあるのは最終的な失望でしかありません。なぜならこの天地はやがて過ぎゆくものであり、私たちはこの地上のものを何一つ持っていくこともできないからです。
しかし神を信じる者は、私とこの世界の事柄を神にお任せすることができる。「私たちは真実でなくとも、彼は常に真実である」というお方に、私たちはこの人生を丸ごと委ねて生きることができるのです。あなたの重荷を主に委ねよと神様は招いて下さいます。あなたの重荷を私のもとにきておろせ、私があなたを休ませるとおっしゃっていて下さいます。この方はそのように信頼するに足りるお方であり、またこの神様もそのような私たちにご自身を丸ごと委ねてご自身を信仰の対象としていて下さるのです。このお方を私たちも知り、認め、委ねることをもって心の底から大きな声で「われ信ず」とともにこの告白をささげさせていただきたいと願います。




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