秋の修養会主日礼拝  2013/09/15
『聖霊に遣わされて』

使徒の働き13:1-4

 ようやく夏の暑さが一段落して、秋の一泊修養会を迎えました。朝の礼拝でご一緒に主を礼拝し、午後からは36名の兄弟姉妹たちで奥多摩バイブルシャレーに場所を移し、明日までのプログラムが計画されています。残念ながらご一緒できない皆さんも、ぜひお祈りをよろしくお願いします。
 秋の修養会では毎年、あらためて年間の教会主題を取り上げています。今朝は「主の臨在に導かれる教会」の姿を、使徒の働き13章に記された、アンテオケ教会がバルナバとパウロを宣教の旅に派遣する出来事からご一緒に教えられてまいりたいと願います。この朝も、御前に招かれたお一人ひとりの上に主の祝福がありますように。

(1)福音宣教の新たな展開
 皆さんは人生の歩みの中で、幾たびか大きな決断を下す場面があったことと思いますが、その時々、どのように決断をして来られたでしょうか。進路の選択、就職、転職、結婚、転居、ただ一人の決断ということにとどまらず、家族揃っての決断を迫られることもあったでしょう。教会としてもこれまでたとえば牧師の交代や会堂建設への取り組みなど、大事な決断を下す局面がありました。私も牧師としてそういった場面で相談を受け、ご一緒に祈る時を持ってきましたが、主の御心を受け取って決断し、実際に一歩を歩み出していくときに、その人の信仰の本質のようなものがあらわれますし、またそのような経験が信仰の成長、成熟において大きな飛躍をもたらすということも間近に見てきました。
 この年、私たちは民数記の御言葉から、主なる神の臨在の雲に導かれて荒野を旅する神の民の姿から、雲が留まる限りは宿営し、雲が動けば旅立つという徹底して主なる神の御心に従って時に忍耐し、時に決断する姿勢を学んで来ました。今年、雲は動いているのか留まっているのか。皆さんの中にはまさに動いたと言う方もあり、そうは見えないと言う方もいるでしょう。教会にとっても今年はまさに祈りの中で主の御心を尋ね求める日々でもありました。そこであらためてこの朝、私たちは使徒の働き13章の御言葉に目を留めたいのです。13章1節からの箇所は、使徒の働きの大きな区切りとなるところです。すでに以前、私たちは礼拝で使徒の働きを読みましたが、この書物は1章8節で昇天間際の主イエスが語られた御言葉を軸に展開しています。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、私の証人となります」。これに沿うように1章から12章まではエルサレムを中心にペテロたちの働きが描かれていたのに対し、13章からはいよいよ福音がユダヤを越え出て小アジア、ヨーロッパ、そして地の果てへと広がって行き、そこでの中心人物もパウロへと切り替わる新しい展開の始まりなのです。

(2)バルナバ、パウロの召命
 13章1節から14章28節にはパウロとバルナバの第一次伝道旅行の様子が記されますが、今日の箇所はこの働きのためにバルナバとサウロが召命を受け、遣わされて行く姿が描かれます。1節、2節。「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい』と言われた」。ここで預言者や教師という呼び名と共に紹介されているのは、アンテオケ教会を指導する立場にあった人々ですが、その名前を見るだけでも最初の異邦人教会であるアンテオケ教会が実にバラエティーに富んだ群れであったことが分かります。彼らは出身地も年齢も肌の色も、クリスチャンになる前の経歴も異なるバラエティーに富んだ人々が、アンテオケ教会を導く霊的な指導者たちでした。
 アンテオケの町はローマ、カイザリヤに次ぐ国際的な大都市でしたので、ここを行き来する人々は数多く、この町で主イエスの福音に触れる人々もあったでしょうし、アンテオケから他の地域へと帰っていったり移っていった人々を通して、小アジアの地方からも主イエスの福音を求めて飢え渇く魂の叫びが聞こえてきたに違いありません。そのような状況を目の当たりにして、一体自分たちに何ができるのか、自分たちは何をしなければならないのかという様々な思い、願い、考えが少しずつ胎動を始めます。その思いを育む場所は他ならぬ礼拝の場でした。礼拝の中で、断食の中で、祈りの中で、自分たちだけでない他の町の人々への宣教の思い、異邦人宣教への思いが少しずつ温められ、育まれ、それが形になって表れる時を待ち続けているのです。そしてその機が熟した時、聖霊は語られるのです。「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と。教会が新しい歩みを踏み出すに当たり、聖霊による導きが示されたのは他でもない礼拝においてであったことを心に留めておきたいと思います。しかもこの聖霊の語りかけは、小アジア地方で福音を必要としている人々がいる。誰かが遣わされて行かなくてはならない。では一体誰が。ちょうど旧約の預言者イザヤの召命の時に、誰が我々のために行くだろうという主の声を聞いたのと同じように、一人一人に対する主の聖霊の迫りがあったでしょう。そのような思いを抱きつつ、主の御心がどこにあるのかを求めて、彼らは礼拝の場に集い、断食をし、主の御心を求めて祈っていたのです。そんな時に「よし、俺が行く」とバルナバが言ったのかも知れない。「それなら私も」とパウロが願い出たかも知れない。いずれにしても、ここで導かれたのはバルナバとサウロの二人でした。
 しかし派遣されるのがバルナバとサウロの二人に決まった時、もしかすると教会は驚き戸惑ったのではないか、祈っておりながらも「いや、ちょっとそれは」と言ったのではないかと思います。かたやアンテオケ教会の指導者の筆頭格バルナバ。彼を送り出すというのはいわば教会の主任牧師を宣教師として送り出すようなものです。バルナバ先生は困ります、という声があってもおかしくはない。かたやサウロ。バルナバが後見人となったことで教会に迎えられた、かつては迫害者であったという曰く付きの伝道者です。先の名簿の筆頭と末尾の二人が選び出される。これは教会にとっては戸惑いを呼び起こすサプライズ人事であったかもしれませんが、しかしこの後の伝道旅行を追いかけていく中で私たちはこの二人こそが聖霊の導きの中での絶妙の組み合わせであったを教えられるようになるのです。なぜこの二人であったのか、その理由は突き詰めればただ一点に行き着きます。すなわちそれは主が彼らをこの務めに召されたということでした。
 
(3)教会の祈りと決断
 こうしてアンテオケ教会は「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」という聖霊の導きをしっかりと受けとめ、それに応答し、それに従い、そして聖霊に動かされていくのでした。たとえ仮にそれがバルナバ、サウロの自発的な申し出から始まっていたとしても、それでもそれは単なる人間の側の決断、行動ではない。使徒の働きにおいていつもことを始められるのは聖霊の神であられ、聖霊の主導権の中で、宣教の御業は推し進められていくと言う原則はここでも変わることがないのです。
 そしてついに3節。「そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した」。彼らは礼拝の中で聖霊の御声を聞き、召しと務めを確かめていったのと同じように、今度もまた礼拝の中で二人にバルナバとサウロの二人に手を置き、祈りの中に送り出すのです。断食と祈り。それは送り出す側もまた宣教の苦難に共にあずかる決意を表明したことの証しでしょう。教会はただバルナバ、サウロの二人だけを宣教の旅に送り出すのではない。そこでは教会もまた彼らとともに遣わされていくのであり、二人は教会から離れた存在でなく、むしろ教会そのものの派遣をその身に担って遣わされていくのです。教会は彼らのために祈り続けなければならない。自らも食を断ち、祈りに集中してこれから遣わされていく伝道者たちのためにとりなし祈り続けなければならないのです。
 この祈りの中でバルナバとサウロは派遣されて行きます。それは遣わされる二人にとっても、遣わす教会にとっても、そして遣わされた二人を通して福音を聞くまだ見ぬ小アジアの町々、村々の人々にとっても大きな祝福です。バルナバ、サウロの二人にしてみれば、恐れや不安を抱く要素は数知れずあったでしょう。けれどもその背後に教会の祈りがあるので、彼らは遣わされて行くことができるのです。二人を遣わすアンテオケ教会にしても、教会を導く大切な牧者二人を送り出すことには大きな決断が必要だったに違いありません。けれども犠牲を払うことなしに福音宣教は進まないのです。そうやって神の国の進展のために祈りの中に遣わし、遣わされていく時に、主はそこで捧げられた多くの犠牲は補ってあまりあるほどの祝福をもって教会を祝福し、主にある働き人たちを祝福してくださる。この神の国の不思議で、しかし確かでダイナミックな法則を、私たちもまたこの身をもって体験するものとさせられたいと願います。聖霊は人を召し出し、務めを委ねられ、教会を通して派遣される。そしてその祝福はさらに豊かになって教会を満たすのです。

(4)聖霊に遣わされて
 そして最後に4節。「ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った」。断食と祈り、そして按手をもってアンテオケ教会から送り出されたバルナバとサウロの旅立ちを、聖書は「聖霊に遣わされて」と表現します。二人を派遣されるのは他ならぬ聖霊の神御自身であられる。これこそが今開始されたばかりの第一次伝道旅行を始めとして、この後、使徒の働き全28章を貫いていく一貫した主張であり、また同時にそれはその後、今日にまで至っている神の国の宣教の一貫した主張なのです。
 聖霊のお働きを、私たちはしばしば超自然的なことと考えてしまいがちですが、この御言葉はむしろ目に見える現実や環境、それらを見据えての冷静な判断なども取り込まれた綜合的な働きであることを教えています。彼らはアンテオケを出発するとまず港町セルキヤへと下り、そこから船に乗り込むと最初の宣教地キプロス島を目指しました。なぜ彼らは最初にこのキプロス島を選んだのか。一つには4章36節にあるように、ここがバルナバの出身地で土地の事情にも明るく、親類縁者もいたであろうことから宣教の皮切りにはよい環境であること、今一つには11章19節にあるように、すでに以前エルサレムから散らされたキリスト者たちがキプロスを訪れて、この地に住むユダヤ人たちに福音を語ったという経緯があったということです。聖霊なる神は、そのような実際的な事情、経緯をも包み込むようにして二人をこの宣教の旅路へと遣わして行ったのでした。
 けれどもそれだけで十分かといえばそうではない。やはり目の前の現実、入念な下調べ、確かな見通し、そういうものを越えてなお、主の臨在の雲が動き出すときがある。その時をとらえて決断して立ち上がり、歩み出す信仰の勇気をも私たちは与えられていきたいと願うのです。この朝、私たちはあらためてこの礼拝の中で、私たちの内に、そして教会の中に働いてくださる聖霊の導きを待ち望みたいと願います。そして聖霊が証ししてくださる主イエス・キリストの御声を確かに聴き取りたいと願うのです。御言葉に聴く心が十分に整えられるように自らを吟味しましょう。御言葉に対して堅く閉ざしている心がないか。かたくなになっている心がないか。せっかく主が語ってくださっても他のことに心奪われて聞く耳がふさがってしまっているということがないか。主の御声を聴き取るための信仰のチューニングが合っているか。あらためてこの朝、互いに自らの主への心を整えつつ、主がお語りくださる生ける御声に聴き、そして信仰をもって決断し、聖霊によって遣わされて行く私たちでありたいと願います。



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