朝拝(主の祈り講解9) 2005/09/11
『御国、力、栄光』

マタイ6:9-13

この朝で、夏の間ともに学び続け、祈り続けてきた主の祈りの説教を終えることになります。この学びの始まりに、祈りを学ぶとはどういうことなのかということについて語りました。そしてその時申し上げた答えは、祈りは祈ることによって学ぶということでした。祈りについてのあれこれを論ずるにまさって、何よりも大切なことは祈りの世界の中に入り、この口で「天にまします我らの父よ」と呼びかけること、私たちはこの学びを通して、主の祈りについて学ぶことにとどまらず、ともに「我らの父よ」と祈ることによってこのお方の子とさせられていくことを切に求めたいということ、そしてますますこのお方との交わりの中に生き、その中でなお、「我らの父よ」と呼びかける者へと整えられていく者となりたいということを語ってきました。実際にこの学びを続け、またそれに導かれて毎主日ごとに、そして事あるごとに祈り続けて来る中で、どのような恵みの実りがもたらされたのか、そのことにも心を向ける者でありたいと思います。
 そこで今朝は主の祈りの締めくくりとして、マタイ福音書に記された主の祈りの結びの部分、神をほめたたえる頌栄の祈りから学んでおきたいと思います。

(1)締めくくりの祈りを巡って
私たちが礼拝の度毎に祈る主の祈りは、「国と、力と、栄えとは、限りなく、汝のものなればなり。アーメン」という賛美の言葉、頌栄の言葉で締め括られますが、マタイの福音書の本文を読むと分かるように、実はこの一文は新約聖書の古く信頼できる複数の写本には含まれていません。つまり今日の研究では、この部分は元々のマタイ福音書の本文にはなく、後の時代の教会が書き加えた言葉ということになっています。またルカ11章を見ても、マタイにあるこの末尾の言葉は含まれていません。このような事情から、古くから、主の祈りの中にこの結びの祈りを加えるべきか否かについては多くの議論がなされてきました。今日の新約聖書学の常識では、これを本文には含まないというのが一般的ですので、ほとんどの日本語訳聖書もこれを記してはいません。その意味では、私たちが用いている新改訳聖書の扱いは、括弧付きとはいえ異例のことと言えるでしょう。
 しかし一方で、後の時代の教会が、主の祈りの締めくくりに賛美の祈りを加えた事の意義が十分に顧みられる必要があるでしょう。主の祈りが祈られてきた教会の長い歴史を顧みるならば、この結びの祈りは今私達がそのように祈っているのと同様に、主の祈り本体と一つの祈りとして祈られて来たからです。またマタイ福音書のオリジナルのテキストやルカ福音書に記されていないことが、この言葉が元来主イエスが教えられた祈りの中に含まれていなかったという結論に至ることには結びつかないと言う考えもあります。主の祈りをユダヤ教の祈りの形式と比較する研究者たちは、保存されてはいないが、この加筆部分に近い何かしらの結びの祈りがあったことを示唆しています。また新約聖書時代とほぼ重なり合う時代に記された『十二使徒の教え』(ディダケー)に収められている主の祈りには、「力と栄光とは永遠にあなたのものだからです」とあります。つまり教会の歴史のかなり早い段階から主の祈りの結びにおいて力、栄光、そして御国を父なる神に帰する祈りが祈られていたのであり、そのような祈りを主イエスが私達に教えてくださったことの意義は、これらの問題をもってしてもいささかも減ずるものではないと言えるのです。

(2)祈りの方向付け
 そもそもこのような神への賛美、頌栄の祈りは、旧約以来、神の民イスラエルの中で繰り返し繰り返し捧げられてきたものであり、今日の私たちにとっても、私達がささげる祈りの全体、信仰の全体を方向付ける重要な役割を果たしていると言えるのです。幾つかの旧約聖書の御言葉で確かめておきたいと思います。まず歴代誌第一16章28節。「国々の民の諸族よ。主にささげよ。栄光と力を主にささげよ」。これは詩篇96篇7節にもある賛美の言葉です。同じく歴代誌の29章11節。「主よ。偉大さと力と栄えと栄光と尊厳とはあなたのものです。天にあるもの地にあるものはみなそうです。主よ。王国もあなたのものです。あなたはすべてのものの上に、かしらとしてあがむべき方です」。さらに詩篇29篇1節、2節。「力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。御名の栄光を主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ」。また63篇2節。「私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています」。
 こうして見てみると、私達が「祈り」という言葉でとらえているものが、実は相当狭められたものであり、実際に祈りの世界の広がり、豊かさはどれほどのものであるかを教えられるのではないでしょうか。私達は祈りというとすぐに願い求めが頭に浮かびますが、祈りには賛美があり、感謝があり、頌栄があり、また願いもあり、とりなしもあり、悔い改めもあり、時には嘆きや呻き、叫びすらある。そういう祈りの諸要素の全体がしかし一つ
の大きな方向付けを与えられていく祈り、神を私たちの全ての全てとする信仰へと私たちを方向付ける祈り、それが今日私達が学び、そして祈ろうとしているこの祈りの意義なのです。

(3)御国、力、栄光、そしてアーメン
 ここで、国、力、栄光を神に帰することの意味について考えておきたいと思います。「国」とは、すでに第二の祈願の「御国が来ますように」のところで触れられたように、御子イエス・キリストによって到来し、やがて全うされる神の国と支配への賛美であり、「力」とは、御子イエス・キリストを死者の中から甦らされ、この復活を初穂としてやがては万物を新たにさせ、更新させたもう神の力への賛美であり、そして「栄光」とは、やがて再び来たりたもう再臨の主によって完全なものとして私達が仰ぎ見ることが許される神の栄光への賛美なのです。そしてこの終わりの時の希望とそのヴィジョンを仰ぎ見つつ祈る私たちが、なおこの地上にあって、この祈りのヴィジョンとはずいぶんかけ離れたと思われるこの世の現実の中を生きながら、しかしその都度その都度立ち止まっては主の祈りを祈り続けることによって、この賛美、頌栄の祈りは具体的に形を取って実現していくのです。
 そして最後に主の祈りは「アーメン」と力強く結ばれます。ここでもハイデルベルク信仰問答の最後の第129問の大変優れた言葉をご紹介しておきたいと思います。「問:『アーメン』という言葉は、何を意味していますか。答:『アーメン』とは、それが真実であり確実であるということです。なぜなら、これらのことを神に願い求めていると私が心の中で感じているよりもはるかに確実に、私の祈りはこの方に聞かれているからです」。
 祈りはしばしば単なる自己満足や気休めに過ぎず、結局の所どんなに祈っても世界は変わらないと言われることがあります。しかし祈りは祈る私たちの思いよりも遙かに確かに、この祈りを聞かれる生ける神によって確かに聞き届けられ、そして御業がなされる。それゆえに私たちは「アーメン」と言い切ることができるのであり、また言い切らなければならないのです。それはこの神が私たちの父なるお方として、私たちに愛と恵みを注いで下さるという確信があるからであり、それゆえにこそ、私たちは再び「天におられる私たちの父よ」と祈り始めることが出来るのです。パウロもこの確信に立って次のように語ります。IIコリント1章20節。「神の約束はことごとく、この方において『しかり』となりました。それで私たちは、この方によって『アーメン』と言い、神に栄光を帰するのです」。
 この神の大いなる肯定の中にある時に、私たちは祈りつつも確信が持てず不安になる時にも、祈りながらも答えが出ずに行き詰まる時にも、祈ること自体がとぎれそうになる時にも、にもかかわらず、希望を持って祈り続けることが出来るのです。なぜならこの「アーメン」こそ、私達のうちから出てくる言葉ではなく、主イエスが私達にこう祈れ、とお命じになった祈りの締めくくりであり、私達に与えられた恵みの約束の言葉だからです。私達は真実でなくとも、常に真実でありたもうお方にあって、すべてのものは確かである。そう信じる信仰が、私達をして「アーメン」と祈らしめるのです。父なる神において全てが確かである。アーメンにはそういう確かな慰めの響きがあるのです。
 宗教改革者カルヴァンは言います。「もしわれわれの祈りが、われわれの価値によって神に捧げられるとすれば、ただ低く口ごもって言うだけで、誰が敢えて神の前に祈りうるだろうか。しかし今やわれわれはどんな悲惨の極みにあり、全ての者の中で最も無価値であり、何ら誇ることができるものも持たないとしても、われわれから祈る理由が取り去られることも、信頼がなくなることもない。なぜなら誰も、われわれの父から、その国と力と栄えとを奪い取ることは出来ないからである」。
 この約束に基づいた希望にしっかりと立って、日ごとに新しく、再び主が来たりたもうその時まで、この祈りを御前に捧げ続けこの祈りによって生かされ続けている私たちでありたいと切に願います。
 「また私は、天と地と、地の下と、海の上のあらゆる造られたもの、およびその中にある生き物がこう言うのを聞いた。『御座に座る方と、小羊とに、賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように。』また、四つの生き物はアーメンと言い、長老たちはひれふして拝んだ」(ヨハネ黙示録5章13節、14節)。




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